かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:旧ソ連共和国作曲家撰集

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。今回は旧ソ連の共和国の作曲家の作品を収録したアルバムをご紹介します。

これがもともとナクソスだったかどうかは、もう記憶がありません。いかにもナクソスがとり上げそうな作品ばかりですが、かといって1曲目の「ガイーヌ」は中学校の音楽鑑賞でも取り上げる作品ではあります。ただ、「剣の舞」だけですが。

「ガイーヌ」をある意味組曲でもいいので全曲取り上げるようなことがなされるといいと思うのですが、その意味でもこのアルバムはいい編集をしているなと思います。

ソ連社会主義革命は間違っている、という指摘を良く見かけるのですが、全体的な結果としてはそうだったと私も思います。けれども、この革命がロシア帝国内の多民族の近代化を推し進めたこともまた事実なのです。それを認めないってことは、韓国の近代化に我が国が果たした役割を喧伝することもまた間違っていると言うことになりますけれども・・・・・

クラシック音楽を聴くということは、おのずと世界の歴史に触れることを意味します。そこで我が国の歴史と比較して、理解しようとする。その繰り返しなんだと思います。前半2曲はハチャトウリャンの有名曲ですが、でもなんで「仮面舞踏会」が出てくるのかって不思議に思ったことはありませんか?仮面舞踏会は、ヨーロッパの宮廷において普通に行われていたことであり、一方でイタリアのヴェルディがオペラとして作曲し、一方ではハチャトウリャンが劇音楽として作曲している題材です。どちらも貴族風刺な部分があるわけですが、とりわけロシアのものは帝政ロシアに対するアンチテーゼとして書かれています。

ja.wikipedia.org

それは、社会主義ソ連であれば、政府の方針としてアンチ帝政ロシアになるわけですから、当然ハチャトウリャンもその路線で書くわけです。ですが一方でハチャトウリャンは自国グルジア(現ジョージア)の民謡等も挿入することを忘れてはいません。

もちろん、ソ連が各共和国を抑圧したことは事実です。一方で、帝政ロシアから解放したのもソ連だったのです。だからこそ、ハチャトウリャンはソ連の方針に沿いつつ、自国へのパトリオティズムを曲に反映させたというわけです。そういった複雑な事情が絡んでいるのが前半2曲だと思います。

後半2曲は、ハチャトウリャンのあまり知られていないバレエ曲と、あまり知られていない作曲家、イッポリトフ・イヴァノフの作品。と言っても、私にとってはよく知った作品でもあります。スパルタクスは以前県立図書館で借りてきているはずですし、イッポリトフ・イヴァノフはずーと前に「マイ・コレクション」で紹介している作曲家です。しかも、その作品こそ、このアルバムに収録されている組曲コーカサスの風景」。二つあるうちの一つだけがここには収録されています。

これらの作品のなんと生き生きとしていることか!演奏するのはアルメニア・フィル。歌うその演奏は実に魅力的です。なぜそうなのかと言えば、やはりそこに民謡が含まれているからであるといえるでしょう。翻って、韓国の日本統治時代、そんな作品が生まれたのでしょうか?そりゃあ、彼らの愛国心から言って、日本に対して物言いたいのは、同じ愛国者として当然のことであると私は理解しています。それが媚韓だとか言いたいのなら言えばいい。では、旧ソ連のこれらの作品のような作品すら生み出すことができなかったことを、どのように考えるのか、です。

それを考えずに、現在破滅的な状況が日韓の間に起きていることを、どれだけの人たちが危機意識として感じているのか、生命力のある演奏を聴けば聴くほど、疑問が湧き上がらざるをえません。

 


聴いている音源
アラム・ハチャトウリャン作曲
バレエ「ガイーヌ」組曲
組曲「仮面舞踏会」
バレエ「スパルタクス組曲
ミハイル・イッポリトフ・イヴァノフ作曲
組曲コーカサスの風景」作品10
ユーリ・ボゴシアン(独奏ヴァイオリン)
アルメン・メスビアン(独奏チェロ)
ロリス・チェクナヴォリアン指揮
アルメニア・フィルハーモニ管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます