東京の図書館から。小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。今回はシェックの歌曲集「好ましき慎み」作品62を収録したアルバムの、まずは1枚目をご紹介します。
2枚組のこのアルバムは、下記ウィキで言及されているシェック再興に寄与したアルバムです。まさかそんな重要なものだったなんて、検索するまで全くわかりませんでした。
オトマール・シェック
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%AF
シェックはただ自由に創作したかっただけだったと思うんですが、たまたまそれがナチスには都合がいい創作だった・・・・・本人は苦々しく思っていたような気がします。フランス6人組に影響を受けるということは、シェックには19世紀から20世紀初頭にかけての国民国家が抱える問題点に気が付いていて、ある種の危機感を持っていたんだと思えるからです。
この「好ましき慎み」は戦後の1947年〜49年にかけて作曲された作品です。ちょうどシェックがナチスとのかかわりでクラシック界で「干された」時代に当たります。そんな時期にあってもシェックは自分のスタイルを変えることはありませんでした。おそらく、ナチスが勝手に祭り上げたのであって自分は支持したわけではないと思っていたからだと思います。そもそも、ナチスのような狂気の出現こそ、シェックが持っていた問題意識だったのではと私には思えるんです。それが勝手に使いやがったんだ、と。
まあ、その点は当時を知らないと断言はできないのでそれは避けますが、少なくとも、シェックは自分から積極的に支持したわけではないと境界線を引いた人だったんだと思います。この「好ましき慎み」はそんなシェックのプライドが詰まった作品でもあると思います。
メーリケの様々な顔を持つ詩。それがまるで万華鏡のように目くるめく音楽。才能の豊かさを感じます。そしてその万華鏡を構成するのが、二人のソリストで歌われるという点です。なんと!バリトンとメゾ・ソプラノなんですよね、これが。
普通歌曲なら、歌手は一人です。けれどもこの「好ましき慎み」では二人いるんです。ピアノは1台。バリトンが歌う曲とメゾが歌う曲とがあり、交錯していきます。一人が二人になるだけでとても新鮮かつ豊潤な世界が構築されています。こういうのを才能というんだと思います。
歌うは、バリトンはフィッシャー=ディースカウ。メゾは白井光子。特に出色は白井。発音に平べったい部分もあるんです。それでも日本人の体格的な問題からぼやけた部分もあるんですが、さすがドイツを拠点に活動しているだけあって欧州的な発音になっているのは聴いていて聴きやすいというか、生命力を感じることにつながっています。ディースカウはもちろんのこと。発声が深いことが重要なのであって発音が深いことではないんですよね。この二人の歌唱は参考になることがたくさんあります。こういった演奏は決して合唱ではないんですが合唱団にとっては勉強になることがたくさんあるので、ぜひとも合唱をやられている方は聴いてみるといいと思います!
2に続くw
聴いている音源
オトマール・シェック作曲
歌曲集「好ましき慎み」作品62
(エドゥアルド・メーリケの詩による歌曲)
CD1
�@献呈
(自然)
�A或る冬の朝、日の出前に
�B夜の二重唱
�C森のはずれで
�D小夜啼鳥に
�Eテックにて(荒れた高原)
�F少女を5月に
�G公園で
�Hわが川
(愛)
�I粗悪品
�J騎士の求婚
�K姉妹
�L美しきロートラウト
�Mペレグリーナ(「画家ノルテン」より)
�N過剰
�O夜、机の前で
�P遠くより
�Qいざ行け
ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
白井光子(メゾ・ソプラノ)
ハルムート・ヘル(ピアノ)
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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