かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:オペラ「ペレアスとメリザンド」

コンサート雑感、今回は平成30年12月9日に行われた、オペラ「ペレアスとメリザンド」を取り上げます。と言っても抜粋なのですが・・・・・

え、そんな公演、新国あたりでありましたっけ?って?いや、そんな大きいホールではありません。ある方の邸宅で行われた、サロン形式によるものです。なんと!オケの代わりにピアノ一台。ソリストは3名。

勿論、もともとのオペラはもっと登場人数は多いんですけれど・・・・・

ペレアスとメリザンド (ドビュッシー)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%89_(%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC)

それをです、たった3人プラスピアノ1台でやってしまおうって言うんです。でも、こういうコンサートを、私は待っていました。

実は、こういった形式のコンサートは、ヨーロッパだと普通に行われています。音大生が教会のチャペルを借りてだとか、アンサンブルは室内楽やピアノ1台とか。ですので、特に変わったものではないんです。

ピアノを弾くは、このブログでもご紹介してきた瀬川玄氏。ソリストは、これも以前瀬川氏と共に取り上げた加來氏(ゴロー)。その二人にさらに山口女史(メリザンド)、中嶋氏(ペレアス)が入るという構成です。

そのお二人も表現力抜群!特に、ゴローを歌った加來氏にメリザンドが迫られる場面では、山口女史の本当に怖がり青ざめた表情は抜群でした。また艶があり伸びやかな歌唱も素晴らしく、入門編としてはもうこれ以上ない素晴らしい演奏だったと思います。

ただ、時間の関係で第4幕までしか演奏できなかったのが残念だと思います。このオペラは、ウィキにあるような難解な作品なのかもしれませんが、第5幕まで見ることで実はわかるようになっていると私は思うからです。

第4幕で、ペレアスとメリザンドの二人は愛し合いますが、その結果ペレアスはゴローの嫉妬により殺されてしまいます。そしてメリザンドも、ゴローの刃が直接の原因となって、子供は産みますが死んでしまいます。これは当時好まれた比喩的オペラであり、私年は特段難しいとは思わないのです。特に臨床心理から見てみますと、まさにドビュッシー象徴主義の音楽としてこの作品を書いたのだなと思うわけなのです。

ゴローは多少歳の行った男性です。しかもある国(ドイツと思わしき)の王族です。そんな男性が単に見初めただけで女性を妻としてしまう旧態依然とした姿勢、そしてその姿勢が行き着く先として、大切な二人を一時の感情で殺し、悔やむことになる・・・・・これは、当時ヨーロッパを覆っていた、民族自決の精神の負の側面をずばり言い当てていたという「比喩」でもあると思っています。

このオペラで設定した「アルモンド王国」には、2つの意味が込められていると思っています。それは一つは、語源となったアルマンド、つまりドイツという国とフランスという国の関係ですし、そしてもう一つには、ドイツ的なものとは実は汎ヨーロッパとして言える、旧態依然の制度、もっと言えばハプスブルク帝国による支配を意味していると取れば、ドビュッシーが製作途中で述べた「ワーグナーに対抗するもの」というものが何であるかが浮かび上がってくるのです。

単に泣かせればいいだけであれば、今回瀬川氏が選択したように最後二人が殺される場面で終わればいいのです。しかし、ドビュッシーはそうしなかったのです。あえて最後ゴローが後悔する場面を用意し、その上であたらしい命も誕生させてます。これはあたらしいヨーロッパという意味が込められていると私は解釈しています。ドビュッシーがいかに当時の社会を鋭く見ていたかの証明だと私は思っています。

どうしても、私達はそのロマンティックな旋律から、音楽とは後期ロマン派だと思ってしまいがちですし、実際私も後期ロマン派の作品は大好きです。しかしその歴史は決してロマンティックなものであったわけではなく、人間の欲望が暴走した結果、2つの世界大戦という結果につながった、そしてそこには意外と民族自決という側面もあったことを想起する時、アッと気がつく部分が「ペレアスとメリザンド」にはたくさん含まれているのです。

以前、私はこのブログで、新古典主義音楽は後期ロマン派の負の側面から距離をとる運動だと述べたことがあるかと思いますが、ドビュッシーのこのオペラはまさしく、その曠野だったのです。ですのでできれば第5幕までやれるとよかったなあと思うのですが、まあ、時間がかかればその分ギャラも増えますし・・・・・難しい選択だったと思います。

そんな中で、人間模様にフォーカスして、しっかりと表現できていたのは素晴らしかったと思います。特に山口女史の歌唱は言葉も大切にされており、こからの活躍も楽しみな存在だと思います。一方中嶋氏はもっと言葉を「立てて」良かったと思います。どうしてもドビュッシーということでふんわりとさせたかったのでしょうが、印象派ではなくて象徴主義であれば、もっと旋律や言葉をはっきりさせても良かったと思います。

その意味ではさすがだったのは加來氏でした。BCJのメンバーでもある氏の表現力と、言葉を大切にする姿勢は素晴らしく、どうしても美しい女性に恋してしまうゴローが年甲斐もなくメリザンドを無理やり妻としてしまう点を実に鋭く表現できていたと思います。私自身も未だに女性が好きですし、まだまだ恋したい!って思っていますが、そんな自分に「ゴローみたいになっていないか」と反芻させるだけの迫力を持っていました。

これからもこのような企画をどんどんやってほしいなあって思いました。




聴いてきたコンサート
クロード・ドビュッシー作曲
オペラ「ペレアスとメリザンド」(ピアノ1台とソリスト3名によるコンサート形式)
メリザンド 山口清子(ソプラノ)
ペレアス  中嶋克彦(テノール
ゴロー   加來徹(バス)
瀬川玄(ピアノ)

平成30年12月9日、東京世田谷、瀬川邸

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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