神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ルーセルの交響曲全集を取り上げていますが、今回はその第2集を取り上げます。
第2集では第2番と第4番が収録されていますが、この二つの偶数番号の交響曲はそれぞれ異彩を放っています。
第2番は標題音楽となっていますが、3管編成と編成としては大きなものです。壮大なテーマを扱っている作品なのでそのようにしたと考えられますが、そもそも、この作品だけ3楽章制なんです。
私は常に、3楽章制の時は、自由と言うキーワードが隠されているのではないかと想像して聴きます。それはフランスのバロック時代の交響曲が3楽章制であったことから、新古典主義音楽においては3楽章制を採ると言うことは背景に自由というキーワードが隠されていることが多いからです。
ところが、この作品には、明確に自由というキーワードを想起することができません。ただ、作曲年代は1919年〜21年。つまり、第1次世界大戦直後に着手されているんですね。と同時に、最初の第1番からは実に15年ほどの年月がたっているんです。
悲惨な戦争が終わった頃に、二つ目の交響曲・・・・・二つ目ということは、引きつづきということですから、命の連続性を想像させます。このことが、ルーセルをして、3楽章制という、フランスの伝統に即す一つの理由になったのではないかと、私は想像しています。
つまり、この作品にもしっかりと「自由」というキーワードが隠されている、と言うことになります。ただ、ストーリーを見て行かないとその点は受け取るメッセージとしては見えにくいものであると言えるでしょう。素直に音楽に耳を傾けるだけでも、とても興味深い作品だと思っています。
3楽章とも標題が付いてはいるものの、ルーセル本人はそれを後年後悔していたようです。この時期は絶対音楽に傾倒していたそうなので。とはいえ、私は人生を明確に描いていると思います。標題を見なくても、そこかしこにそれを想起できる材料は音楽の中に転がっています。後はそれを私たちがどのように受け取るか、だけです。
第4番は一転して明るい作品です。対位法も導入されている点から、明確に新古典主義音楽だといえますが、時代としては新古典主義音楽が斜陽化していく時代の中で、あえて新古典主義音楽にこだわることによって、あえて自分の個性を明確化しているように見えます。フランスものにあるようなおしゃれな感覚はなく、むしろ武骨で、ドイツものが好きな人のほうが好む音楽なのではって思います。
その武骨さが売りであるルーセルの交響曲を、フランス国立管を存分に鳴らすことで、デュトワは豊潤な音楽を現出させています。時としてカンジンスキーのような音色すら見えるルーセルの音楽を、自在に操り、オケと共にアンサンブルして、生命力を生み出し、明確に私たちに伝えようとしています。ルーセルの作品にある武骨さがアクセントとなっていて、まるでピリリと辛い香辛料のようにスパイスとなっていい味になっています。
ルーセルの交響曲が持つ、さまざまな側面を存分にバランスよく表現することにより、作品が持つ魅力が浮き上がり、しっかりと私たちに届いているのは素晴らしいと思います。
第1集同様、肩ひじ張ったものはなく、ごく自然であり、強迫的なものもありません。祖国の作曲家に対する誇りが、ひしひしと演奏から伝わってきますが、それも本当に自然なんです。さすがデュトワ。フランスものを振らせれば、本当に自然体で向き合って、素晴らしい演奏を呈示してくれます。
ルーセルという作曲家の、例えば協奏曲も、こういった全集の演奏を聴きますと、聴きたくなりますね〜。ルーセルの交響曲は4つしかないんでこれで終わりなんですが、聴けば聴く程味が出る演奏は、何度も味わいたくなるものです。
聴いている音源
アルベール・ルーセル作曲
交響曲第2番変ロ長調作品23
交響曲第4番イ長調作品53
シャルル・デュトワ指揮
フランス国立管弦楽団
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