かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:武蔵野市民合唱団 第43回定期演奏会を聴いて

コンサート雑感、久しぶりに続きます。今回は平成29年6月3日に行なわれた、武蔵野市民合唱団第43回定期演奏会の模様です。

この演奏会に行った理由は、ピアニストがじつは以前私が入っていた合唱団のピアニストであるということがあるんです。かつ、それを某SNSで知ったため、行こうかとなった次第です。

武蔵野市民合唱団は、武蔵野市を中心に活動するアマチュア合唱団で、歴史もある合唱団です。

http://ms-chor.sakura.ne.jp/

今回の曲目は、以下の通りでした。

�@混声合唱曲 ふるさと春夏秋冬(吉岡弘行編曲)
�Aミュージカル曲集
�Bラター マニフィカート

1プロは実は聴けずじまい。当日、他の用事が重なり、それに思いのほか時間を費やす事になってしまったからです。ふるさと春夏秋冬とは、誰もが知っている「唱歌」を混声合唱にしたもので、武蔵野市民合唱団を指導されている吉岡先生によって編曲されました。唱歌はもともといくつかの声部に分かれているものもありますが、編曲されているのは、殆ど分かれていないものなので、できれば聴きたかったですね。

一応、編曲されている作品を列挙します。
早春賦
蝶々
霞みか雲か
夏は来ぬ
われは海の子
赤とんぼ
紅葉
虫の声
春が来た
ふるさと

早春賦や夏は来ぬは、亡き母が好きな歌でした。また紅葉はそもそも輪唱になっている作品ですから、それをどのようにアレンジされたのか、是非とも合唱団のアンサンブルで聴きたかったですね。

その次のミュージカル曲集は、踊りや寸劇まであり、楽しかったです。丁度私は「王様と私」から"Shall we dance?"から聴けたのですが、本当にダンスをしているには驚きましたし、聴衆に聴かせるという点をとても重視しているなって思いました。自分たちが楽しんでいるんですが、しっかり聴衆を巻き込んでいる。一ブロガーとしてだけではなく、本業でどうあるべきかまで考えてしまいました。だって、アンサンブルがしっかりしているんですもの。

そう、うまいんですよ、この合唱団。その上で、楽しんでいるし、また聴いているこちらも楽しい。なかなかできる事じゃないんですよ、これ。どの団体も独りよがりになるのが普通です。たまたま、例えばダズビのように、ファンがいてその独りよがりが楽しめるだけなんです。それは奇跡に近いんですよ。武蔵野市民合唱団さんのように、自分たちが楽しんでいるのが自然と聴き手も楽しめるっていうのは、単に奇跡が起っているだけはなく、むしろ奇跡を起こしていると言ったほうが正しいでしょう。

だからこそ、最後の「すべての山に登れ」はジーンと来てしまいました。演奏するピアニストと、宮前フィルハーモニー合唱団「飛翔」時代歌った作品ですが、聴き手として味わってみると、本当に素晴らしい作品なんですよ、「すべての山に登れ」と言う歌は。困難を前にして、人はいかに選択するのか。それはどう生きるかです。平均年齢がどこもそうですが高いこの合唱団は、アンサンブルが素晴らしいだけに、自らの人生を歌に込められるのでしょう。作品が持つ生命力と力を、聴き手にしっかりと伝えるだけの表現力も持っています。素晴らしかったです。

それはメインの「マニフィカート」で昇華していました。ラターの作品は「感動する部分」を極力排除した作品が多いのです。

ジョン・ラター
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%BF%E3%83%BC

ウィキでは「異例なほど保守的」とありますが、私からすればこれほどアナーキーな作曲家はいません。19世紀〜20世紀にかけての、特に後期ロマン派で好まれたものは一切拒否する作風こそ、「印象的でポップな旋律」となって具現化されているのです。ある意味新古典主義音楽の延長線上にいるとも言えますが、自国の旋律を使うなどはあまりしないことを考慮すると、新古典主義音楽すら超越する姿勢が見え隠れします。それがアナーキーでなくてなんでしょう。

特に宗教音楽に関しては、レクイエムで「怒りの日」を入れないなど、新しいキリスト教音楽の指針に基づいた作品を数多く生み出しているのがラターなのです。言うなれば、20世紀音楽の一方の最前線にいる作曲家であり、そして21世紀の今なお、その先頭で走っている作曲家だと言えましょう。

確かに、旋律は和声重視なので保守的ではあります。でもその保守的な旋律の使い方が、みごとなまでにクラシック音楽的ではないのです。ジョン・ケージなどの和声や調性がどこか行った作品の一方で、旋律的な音楽も数多く作曲されたのが20世紀ですが、その「旋律的」というほうの最前線にいるのがラターだと言えます。

だからこそ、ラターはプログラムでも引用されていますが、「なかなか作曲できなかった」のであろうと思います。マニフィカートも宗教音楽である限り、神を賛美する所でどうしても扇情的になります。それからいかに距離を取るか・・・・・それがしっかり定まらないとと、ラターは思ったのだと考えます。ラターはそれをラテン語圏の国々で、踊りとともに祝うことから着想を得ます。そうして生まれたのが、マニフィカートです。

ラターはバッハの音楽を高く評価しています。バッハの音楽にも扇情的な点がないとは言えませんが、コレッリの作曲法則をしっかり守って作曲するその結果、あまり扇情的な部分は本当にコアな部分以外にはないという作風が出来上がりました。その上で、バッハはフランスバロックから受け継がれた「舞曲性」を作品の随所に取り入れるのがもう一つの作風です。そこにラターは突破口を見いだしたのです。

そういった作品ですから、合唱団が楽しめないと難しいんですね。この作品はオケ付きなので、それはオケもです。それが本当によく「おどれている」んです!楽しんでいるのが聴衆たる私にビンビン伝わってくるんですね。それでいて、アンサンブルやアインザッツも秀逸ですし、勿論音程もその平均年齢からすれば本当に安定しています。こんなアマチュア合唱団が、しかも市民合唱団で、関東にあったかーと、感慨無量です。

特に関東は、市民合唱団のレヴェルが、関西にくらべ下がり続けているという現状があります。企業合唱団が多かったせいですが、武蔵野市民合唱団さんは市民合唱団という特色を存分に生かし、歌うことに一生懸命だと思います。上手にしっかり歌う事にも一生懸命であれば、純粋に楽しむことにも一生懸命なんです。練習でのその様子がまるで目に浮かんでくるようです。そりゃあ、私もかつてはアマチュア合唱団員でしたから、容易に推測できます。

こんな合唱団なら、入りたいなあって思わせてくれました。まあ、住居の問題でちょっとやめとこうってところなんですが、でも、また聴きに行きたいと思わせてくれる合唱団でした。フィルハーモニック・コーラスさん、負けて居られませんよ!この合唱団、本当に上手です。一度武者修行をお奨めします。

来年ももし日程が合えば、聴きに行きたいです。




聴いてきたコンサート
武蔵野市民合唱団 第43回定期演奏会
混声合唱曲 ふるさと春夏秋冬(吉岡弘行編曲)
ミュージカル曲集
オペラ座の怪人」より「ザ・ファントム・オブ・オペラ」
コーラスライン」より「One」
メリー・ポピンズ」より「チム・チム・チェリー」
「キャッツ」より「メモリー
王様と私」より「Shall we dance?
レ・ミゼラブル」より「Do you Hear the People Sing?」
「ザ・サウンド・オブ・ミュージック」より「すべての山に登れ」
ジョン・ラター作曲
マニフィカート
樫本伴実(ソプラノ)
佐藤季里(オルガン、ピアノ)
小介川淳子(オルガン、ピアノ)
ムサシノ・ゾリステン
吉岡弘行指揮
武蔵野市民合唱団

平成29年6月3日、東京武蔵野、武蔵野市民文化会館大ホール

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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