かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:リスト 交響詩全集2

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、リストの交響詩全集を取り上げていますが、今回はその第2集を取り上げます。

元音源はブリリアント・クラシックスのこの全集は、通常なかなか演奏されないリストの交響詩を全部収録してくれているので、とても助かります。

実はこの第2集は、その後リストのピアノ作品も借りる敷衍となるものでもありました・・・・・

作品番号順に並んでいるまず第1曲目は、交響詩第4番である「オルフェウス」です。もともとは、グルックのオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」の序曲として1853年から54年にかけて作曲されたものです、が・・・・・

不思議だと思いませんか?グルックとは、バロック時代の作曲家であり、ヘンデルと同時代です。しかもそのグルックのオペラは音楽史的にも有名な作品です。それになぜ、リストが序曲を付けるのか?

オルフェウス (リスト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A6%E3%82%B9_(%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88)

オルフェオとエウリディーチェ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%AA%E3%81%A8%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7

リストという人は、作曲家、或はヴィルトォーソ・ピアニストとして有名なのですが、そもそも、前期ロマン派における偉大な指揮者の一人でもありました。ですから、グルックのオペラを指揮する機会があってもまったくおかしくないわけなのです。

そこで、リストはもともとあったグルックのものとは別な序曲を書こうとしたのでした。そのきっかけを与えたのが、指揮する機会とルーヴルで見た壺であったわけです。

交響詩の成立を見る時に、欠かせないのが演奏会序曲の存在です。リストの交響詩は演奏会序曲から派生しているため、序曲が後に交響詩になるという例はかなりあり、このオルフェウスもその一つだと言えます。

演奏会序曲と言えば、ベートーヴェンが書いているわけで、リストの管弦楽作品、とくに交響詩において、ベートーヴェンディオニュソス的な雰囲気が漂うのは当然であると言えます。しかも、音楽的には前期ロマン派であり、リストである・・・・・

オルフェウスは、その曠野であったと言えるのです。

続く2曲目のプロメテウスはまさに演奏会序曲が交響詩となったと言える作品です。

プロメテウス (リスト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%83%86%E3%82%A6%E3%82%B9_(%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88)

銅像の除幕式のために書かれた序曲であったという点が、リストの交響詩がいかなる成立を辿っているかを如実に表していると言えます。リストの交響詩がドラマティックなものを含有するのは、そういった元々の作曲理由にあると言っていいでしょう。

ここまでの2曲に関しては、ギリシャ神話がその大元にあるという点で、とても汎ヨーロッパ的な作品でもあります。特にプロメテウスは、人類の原罪というキリスト教的な部分も含み、私達に様々な示唆を与える作品でもあります。

3曲目のマゼッパは、他の作品と少し成立過程が異なり、元々ピアノ作品でありました。しかも、そのテーマは歴史上の英雄、イヴァン・マゼーパです。

マゼッパ (リスト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%91_(%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88)

この作品は、リストの愛国者としての立ち位置を如実に示していると言えます。リストはコスモポリタン的でありながらも、実に愛国心に富んだ人でした。それは彼の帰属が、あやふやであるという点に集約されるでしょ。それでもリスト自身はハンガリーに対する愛を持ち続けました。それが、ロマの音楽を祖国の音楽とすることなどに現われているでしょう(それは、間違いなく彼の人生を苦難にしたと言えます。現在の日本そっくりです!)。

だからこそ、様々なタイプの作品が残されていると言えます。マゼッパは決してハンガリーの英雄ではありませんが、ウクライナの英雄を相対視して、そこに「愛国者とは何か」を常に考えていたと言えるかと思います。

この作品はピアノ曲でもいくつか残っているという点が、後に私をリストのピアノ作品へと誘っていくのです・・・・・

さて、最後の第4曲は「祭典の響き」。借りたCDでは「祭りのどよめき」という題名になっていますが、この作品もそもそもが祝祭序曲であったのでした。

祭典の響き
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%AD%E5%85%B8%E3%81%AE%E9%9F%BF%E3%81%8D

交響詩の成立という点においては、劇の内容との関係はあまり気にしないほうがよいと私は思っています。勿論、交響詩は劇あるいは文学作品などとの関連がある訳ですが、演奏会序曲が交響詩へと移り変わっていくその過程こそ、リストのこういった、一件テーマと関係ない作品が存在することであると思っています。この後、多くの作曲家が交響詩を書いていくそのきっかけが、これらの作品であるのは間違いないわけなのですから。むしろリストは祭典を表現するのに、自身のプライヴェートを上手に使ったとも言えます。

「諸君、喝采したまえ、喜劇は終わった」。これはベートーヴェンが死の床に就いた時に発した言葉としてあまりにも有名ですが、これはもともとローマ皇帝アウグストゥスの「喝采せよ、劇は終わった」から採られています。人生を劇に例えるこの言葉を、ベートーヴェン銅像のためにカンタータを書いたリストが知らないわけがありません。自分の人生の佳き日のための音楽を、祭典用に使うというアイデアがあっても、決して不思議に私は思いません。

この第4曲目も、第1曲や第2曲同様、汎ヨーロッパの教養に裏打ちされていると言えます。

演奏は第1集よりはダイナミックさが加わり、劇的なものとなっています。オルフェウスはしなやかに、祭りのどよめきは華やかに、それ以外はドラマティックに。リストの交響詩が持つ様々な特色が、オーケストラによって見事に呈示されています。ただ、私としてはもう少し金管に力強さと分厚さが欲しかったなあと思います。この音源は全体的にそれは不足気味です。

然しながら、オケはリストが祖国と慕ったハンガリーのオケであり、そのせいかところどころ前のめりになって走ってしまう部分があります。アンサンブルが崩れているわけではないので不自然には感じませんが、明らかに聴いていて、演奏側に力が入っているのが分かる部分があるのです。

リストの管弦楽作品には多分に、リスト自身が「しこんだ」愛国心が強いのだなあと感じます。それを演奏するには、やはり「情熱と冷静の間」が重要だなあと思います。

愛国心ほど、人間を狂わせる「劇薬」はないですから。酒や薬を使わずに人間が狂えるのは、愛国心という「酔い」だけなのです。リストの交響詩はその「酔いの怖さ」を、私達に存分に教えてくれますが、それがまさしく前面に押し出された演奏であると言えましょう。




聴いている音源
フランツ・リスト作曲
交響詩オルフェウス
交響詩「プロメテウス」
交響詩「マゼッパ」
交響詩「祭りのどよめき」
アルパド・ヨー指揮
ブダペスト交響楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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