かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:アーノルド 交響曲全集2

今月のお買いもの、平成26年7月に購入したものをご紹介しています。今回はアーノルドの交響曲全集の2回目です。

第2集を取り上げる今回は、交響曲第3番と第4番を取り上げることになります。

まず第3番は1954年〜57年にかけて、ロイヤル・リヴァプールフィルハーモニック協会の委嘱により「ウィリアム・ウォルトンが終えられなかったものを埋めるため」作曲されました。

要するに、ウォルトンに依頼したけれども、間に合わなかったのでアーノルドに白羽の矢が立った、というわけです。

注目なのは音楽もさることながら、3楽章形式であるという点です。この1957年という時点に時至っては、それほど3楽章形式に意味があるとは思えませんが、シベリウスも存命中であり、当時の名だたる作曲家たちの影響を存分に受けた作品であると言えるでしょう。

では、3楽章という形式自体には何の意味のないのかと言えば、おそらくそうではないでしょう。1950年代後半から60年代というのは、第三世界で独立が相次いだ時代であり、イギリスもその時代の波をもろにかぶったのでした。それがコモンウェルス諸国の独立でした。

3楽章を使うということに自由だとか独立という意味が含まれており、シベリウスがそのテクストで使っているとすれば、アーノルドが影響を受けたのであれば当然、同じテクストで使うであろうことは容易に想像できます。ただ、だからと言って自由だとか独立だとかを雄弁に語る劇的な音楽になっているのかと言えば、必ずしもそうではありません。

そこがアーノルドの交響曲の特徴かと思います。特に第3楽章の諧謔性などは、何かを笑い飛ばすような点があり、それがまたウィットに富んでいます。

第4番はウィリアム・グロックBBCにより依頼されて1960年に作曲された作品で、アーノルドの交響曲中もっとも有名な作品と言われています。これは4楽章形式ですが、ジャズあり、映画音楽的部分ありの様々な顔を持つ作品です。調性が排除されてはいますが(これは第1番からそうなのですが)、速度指示などは古典的な交響曲そのものであり、アーノルドという作曲家の立ち位置がよく表わされているように思います。

ここまで聴いてきますと、アーノルドの交響曲は決して勇壮でもないですし、また何かを強烈にアッピールすることもないんですが、しかし存在感はしっかりとあるんですね。第4番でいえば、第1楽章のジャジーな面があるかと思えば緊張感あふれる、まるで映画音楽のような部分もあり、第4楽章に至っては諧謔性もありという、まことに一言では言えない魅力が詰まっています。

ようするに、金太郎飴ではないんです。その点こそがアーノルドの魅力であり、それが本来のアーノルドの音楽なのであろうと思います。不協和音多用で一緒だから映画音楽と同じであるというのは、少しピントがぼけているように思います。勿論、この二つの作品で多用しているような音楽を映画音楽でも使っているのは事実ですが・・・・・

映画音楽というのは、オペラと異なり、自分がストーリーを考えるものではなく、既に決まっているストーリーやシーンに、どんなテーマなら合うのかと突合していく作業です。もっと言えば、自らを他者に合わせる作業です。ところが交響曲は、依頼主から特にテーマが呈示されていなければ、基本的に自らを思い切り表現できる場です。ですから旋律が映画音楽と似ているからと言って、映画音楽であると断定するわけにはいかないのです。

アーノルドという作曲家が、基本的に自由主義陣営の作曲家であったことを、私達は想起する必要があるかと思います。その上で、アーノルドが生きた時代は、母国が衰退していく時代でもあります。様々なことがあったことでしょう。ちょうど現代日本がそうであるように・・・・・

演奏は、そんなアーノルドに寄り添うようです。声高に何かを叫ぶこともなく、淡々と音楽が流れていく。それでいてきちんと、私達の心に何かが想起される。それば私にとってはとても心地よい時間です。

まだご紹介してはおりませんが、この後もアーノルドは3楽章制の交響曲を作り続けます。それがいったいなぜなのかを考える時に、やはりキーワードになるのが自由だとか抑圧からの解放だとかであることは間違いないと思います。ただ、アーノルドの作品の場合、それが音楽としては明確ではないのです。様々な旋律の使い方から、聴衆が聴き取らなくてはならないのです。その聴き取りやすさという点で、この演奏はとても際だっているように思います。

ウィキでは、アーノルドの作品は分かりやすいとありますが、私は決してそうは思いません。旋律も必ずしもはっきりとしているわけではありませんし、むしろ20世紀音楽の特徴である不協和音多用による混沌さの表現であると思います。だからこそ、聴き手が様々なチャンネルを使ってアーノルドと「交信」しないといけないのですね。その意味ではむしろ分かりにくい作曲家だと思います。しかし、いったん交信に成功すれば、途端に面白くなるんです。

この演奏はそれに誠心誠意を込めていると思います。端正さというのは時としてつまらないという評価を受けますが、こういった知的作品ではむしろそうでないと曲が分からないという事態を招くような気がします。

他の演奏も聴いてみたいと思っている、今日この頃です。




聴いているCD
マルコム・アーノルド作曲
交響曲第3番作品63
交響曲第4番作品71
アンドリュー・ペニー指揮
アイルランド国立交響楽団
(naxos 8.505178-2)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村