かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:大バッハの息子達2

神奈川県立図書館所蔵CD、大バッハの息子達の作品を収めたブリリアント・クラシックスの全集をご紹介していますが、今回はその2回目。カール・フィリップ・エマヌエルの作品の第2回目です。チェロ協奏曲を取り上げます。マテのチェロ、スッツ指揮、コンセルト・アルモニコの演奏です。

実は、この内二つはすでにこのブログで取り上げているんです。

今月のお買い物:C.P.Eバッハ フルート&オーボエ協奏曲
http://yaplog.jp/yk6974/archive/386

この内、フルート協奏曲が、この音源の第1曲目と第3曲目に当たります。演奏家の方であれば、「え、そんなことってあるの?」と思われると思います。実は、フルートでも、チェロでも、調性が一緒なんです。

これは聴衆である私自身も驚きました。通常は、移調されることが多いからです。しかし、カール・フィリップは全く移調せず、そのままにしてあるのです。さらに、チェンバロ用にも編曲されていますが、それも移調なしです。

このことに関してはすでにフルート協奏曲を取り上げた時に触れています。

「作曲は1750年ごろといわれており、同時期に同じ調性でチェロおよびチェンバロでも書かれています。どれが一番最初なの?といわれますと私も不勉強でどれとはお答えしかねます。チェロが最初というのが定説のようです(実際、これを書くために参照しましたウィキペディアではチェロ協奏曲と紹介された上で、フルートとチェンバロのヴァージョンありと書かれています)が、第1楽章はフルートを念頭に入れているように聴こえますし、第2楽章はチェロ、第3楽章はチェンバロをそれぞれ念頭に置いているように私は聴こえました。」

この演奏を聴いても同じ印象を受けます。2年前とあまり変わらない判断をしています。さらに今では、カール・フィリップは作曲時、その3つでの演奏を念頭に置いて作曲したのではないか、と今では思っています。それを指し示す一つの証拠が、調性なのです。

私は合唱団時代、同じ曲を移調して歌った経験があるのです。指揮者が作曲者でもあるからできた経験ですが、そこから言えば、調が一緒というのは、その3つの楽器で共通する調を知っている、つまり楽器に詳しくないとできない作曲だと言えるのです。

勿論、移調することが楽器を知らないということではありません。ただ、作曲者には得意とする楽器があるわけなので、専門外だとやはりその楽器に合うように移調するのが間違いがないのです。それを、カール・フィリップは移調していないということは、少なくともこの3つの楽器に関しては得意としていたことがうかがえます。これは、ウィキでも触れてくれていない点でしょう。

カール・フィリップエマヌエル・バッハ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F

できれば、第2番であるイ長調のもフルートで聴きたいなあと思います。そもそも元音源がブリリアントなので、ブリリアントあたりの棚を辛抱強く物色していればいつかは手に入るかもしれません。

バロックの作品や、或いはこういった多感様式などの時代の作品が日本ではあまり人気がないのは、面白い点がかなり高度な教養を必要とするせいもあるのかもしれませんが、たとえば、もう一曲位であれば収録可能ですから、チェロとフルート、チェンバロをそれぞれ聴き比べるなんてことがCDでできれば、その面白さに気付く人はいるように思うのです。音楽を演奏する人はクラシックだけではないですし、調性に詳しいのはクラシックだけではありません。他のジャンルを巻き込んでいくと、面白い効果が得られる可能性はかなりあると思っています。

本当は「想い」で述べるべきだとは思うのですが、たとえば、一時期「アンサーソング」がはやったことがあります。あれが実はバロックに範をとった、ある種の「新古典主義」であったと察知した人はいったいどれだけいたでしょう。いま、世界を見回しても、新古典主義音楽にあふれています。クラシックではすたれたその様式は、実は他のジャンルではしっかりと根を下ろしつつあります。そしてそれが、新たなムーヴメントを生みつつあります。バッハの音楽をストリートダンスに取り入れたり、昭和日本でも、ベートーヴェンピアノソナタが歌謡曲になったりしました。つい2年ほど前も、バッハの作品がロックになっています。

こういった音楽が当たり前になっているクラシック以外のジャンルでは、クラシックファン以上にバロックや多感様式の音楽の面白さは体で感じることが出来ます。本来は教養やロジックが組まれていることを、一瞬で見抜き、面白さを感じる・・・・・そう、世界の音楽シーンはある意味、バロックから前古典派の時代と同じような状況にあると言ってもいいでしょう。となると、こういった「大バッハの息子達」の作品は、もっと重要になっていくように思います。

演奏面ですが、古典派の決まりごとが第1集の団体よりも忠実に守っており、まさしく私が「面白いのでは」といったその通りの状況が現出されています。キビキビとしたリズム、流れる旋律。その上でどっしりとした安定感。それが生む「情熱と冷静の間」の絶妙なバランス・・・・・

一体、どこを突っ込めばいいのでしょうか。私には、見当たりません。



聴いている音源
カール・フィリップエマニュエル・バッハ作曲
チェロ協奏曲第1番イ短調Wq.170
チェロ協奏曲第3番イ長調Wq.172
チェロ協奏曲第2番変ロ長調Wq.167(ウィキなどでは171)
バラス・マテ(チェロ)
ペーター・スッツ指揮
コンセルト・アルモニコ

※Wq番号については、図書館の表記とネットでの表記が異なることから、私の方で修正しています。第2番は共通しているので修正していませんが、第1番はウィキなどネットのほうを採用し、第3番はフルートの番号そのままになっているため図書館の表記をそのまま採用して、チェロのウィキなどの記載を併記しています。


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