かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:海の構図 中田喜直作品集1

今回のマイ・コレは、ビクターから出ている「日本合唱曲全集」中、中田喜直の作品集の第1集です。

中田喜直の作品って、何があるのかという方、そこらじゅうに存在します。「夏の思い出」が一番分かりやすいのではないでしょうか。そして、そのイメージで彼の作品を捉えてしまう人も名前からはおおいのではと思います。

中田喜直
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%94%B0%E5%96%9C%E7%9B%B4

ネットで検索したところ、中田先生(と尊敬の念をもって呼ぶことといたします。その理由は後で)の説明で一番適しているのは、ウィキだけでした。後は、「日本のシューベルト」というテクストで説明しているものばかり・・・・・

実は、それは中田先生の音楽の正当な評価ではありません。確かに、彼は児童向けの歌曲、つまり童謡を数多く作曲していますので、歌曲王だとは言えます。その点では確かに日本のシューベルトのような存在だといっていいでしょう。しかしそれは、音楽がシューベルト的であるという意味では決してないのです。

これはCDを買わないと分からない情報なのでここでご紹介しておきますが、中田先生はそもそも、東京音楽学校在学中、ドイツ音楽は後期ロマン派、特にリヒャルト・シュトラウスを範として学んだ人でした。そこから出発しのちにはフランス象徴主義から印象派の作曲家、フォーレドビュッシーラヴェルなどの影響を受けるようになったのです。

その影響がはっきりと見て取れる作品が、この第1集には並んでいます。特に、アルバムのタイトルになっている、第1曲目「海の構図」はまさしく、ドビュッシーの影響下にある作品であるといっていいでしょう。

実は、このCDを購入した理由は二つあります。一つは、その「海の構図」を大田区民第九合唱団在団中に歌うことになったことでそのレファレンスの意味で、そしてもう一つは、そもそも、私はその前の川崎市宮前区のアマチュア合唱団に所属している時に、中田先生の作品のリサイタルを聴きに行き、先生と直に話をした経験があり、その音楽や人間性に強く惹かれたことでした(ですから、私はこのエントリでは尊敬の念をもって「先生」と呼ばせていただいているわけです)。

合唱団で海の構図を歌うんだと聞いた時、ナイスチャレンジ!フォーレのレクイエムを歌った我が団であれば、行けんじゃないかといったのは他でもない私だったのです。しかし、「海の構図」はフォーレのレクイエム以上の難曲だったのです・・・・・・

「海の構図」(1961年作曲)はバリバリの現代音楽です。ドビュッシーの影響下にあるとはいえ、その音楽はすでにドビュッシーを通り越し、不協和音が当たり前に存在する音楽だったのです。私としては「北のシンフォニ―」以来の現代音楽でした。

友人提供音源:宮前フィルハーモニー合唱団「飛翔」 第4回定期演奏会
http://yaplog.jp/yk6974/archive/221

現代音楽は感覚だけで歌えません。歌いながらロジックを頭の中で組みながらじゃないと歌えないのです。それはモーツァルト以上です。結局、団を退団することになって本番で歌わずじまいでしたが、第1楽章「海と蝶」、第2楽章「海女礼讃」は練習した経験から、「頭を使わないと歌えない曲」であるとはっきりと断言できます。

そここそ、冒頭で述べた「『夏の思い出』のイメージで彼の作品を捉えてしまう人がいるのでは」ということなのです。実際は、その「夏の思い出」も頭をつかわないと歌えない歌であると、気づいていらっしゃいますか?そもそも、「夏の思い出」こそフランス象徴主義音楽の影響下にある作品です。最初のフレーズ「なつがくーればおもいだす〜、はるかな尾瀬、遠い空〜」では、尾瀬の後に八分休符が存在します(ですから、「、」がありますよね、私の文章には)が、それをきちんと休むことでリズムを作って行かないといけない曲なのですが、ここをすっ飛ばしてつなげてしまう人が多いのではありませんか?

実際、私もそうでした。中学生か小学生の時、かつて合唱をやっていた母にこのあたり猛特訓を受けたのを今でも覚えています。「休符は切る!そこでリズムを作っているのよ!」

そして、それがもっと高度になったのが、「海の構図」です。この作品は合唱は比較的ゆったりとしたリズムですが、ピアノはまるでドビュッシーのように流れるようなものです。名作の条件を兼ね備えた、難しい作品です。現代音楽のなんたるかを見せつけられた作品が、この「海の構図」であるといってもいいでしょう。

次の「午後の庭園」(1948年作曲)では少し現代音楽的な色彩は弱くなりますが、それでも途中で現代音楽的な不協和音が鳴り響きます(「八月のヒロシマ」)。和声よりも、旋律線に於いてフランス音楽的な流麗なものを追い求めた作品が、この作品です(ブックレットより)ので、当時の先端の和声を取り入れないのは当然の結論だったのかもしれません。1948年と言えば、終戦後3年なのですから。

最後の「都会」(1966年作曲)は、印象派というよりもまさしくこれも象徴主義、上記であげたフランスの作曲家の中ではドビュッシーの影響下にある作品と言っていいでしょう。都市の外面的、内面的なものを表現したこの作品は、まさしくドビュッシーが「前奏曲第1巻」などで現出させた象徴主義を、混声合唱において都市を題材にして作りあげたものです。不協和音もそれほどきつくなく、アンサンブルは作りやすいのではないかと思います。

どれも、作品としてはこの第1集に収められている作品はフランス象徴主義の影響下にあり、けっしてシューベルトが属する「前期ロマン派」ではありません。その点は、はっきりと述べておきたいと思います。

この、音楽史を俯瞰しても決して簡単とは言えない作品を、三つのアマチュア合唱団が、完璧なアンサンブルで表現しています(実際、ブックレットでは中田先生のお墨付きがついている団体です)。「海の構図」が神戸中央合唱団、「午後の庭園」が松山市民合唱団、「都会」が四季の会ですが、どの団体も実力あるなあと溜め息が出ます。もし、欠点を述べるとすれば、神戸中央合唱団の日本語の発声かなと思います。やわらかさにこだわるあまり、日本語が濁ってしまっている部分があると思います。濁音が濁るのは作品がつくられた時代はそういう発声だったのでいいのですが、全体的にそれでいいのかなあという想いはあります。まあ、作曲家がいいというのですから、問題はないのではと思います(もし、今でも先生が生きておられたら、議論したいところではありますが)。

私の一押しは、松山市民合唱団です。不協和音でも決して濁らない日本語の発音。だからと言って、所謂平板な発音である日本語ではなく、しっかりと深い発声となっている点が素晴らしいです。同様の理由で、四季の会も素晴らしい!ただ、神戸中央合唱団をフォローしておきますと、N響とのモツレクは素晴らしい、気合いの入った演奏であり、宗教曲では他の追随を許さないということは述べておきたいと思います。それが今回は裏目に出たのだと思えば、合唱出身の私としましては、これ以上の批判はできません。少なくとも、私ができなかったことを、神戸中央合唱団の団員たちは見事にやってのけているのですから。「頭を使って歌う」ということを。

その点でも、松山市民合唱団も、四季の会も、素晴らしい団体なのです。そして、それはプロではなく、アマチュアなのだということを、はっきりと述べておきたいと思います。そしてそれは、中田先生の想いでもあった(ブックレット)ということも、付記しておきたいと思います。

この中田先生の集は、いずれ全部そろえたいとおもっています。いつか「今月のお買いもの」で取り上げることができればと思っています。



聴いているCD
中田喜直作曲
混声合唱組曲「海の構図」
混声合唱曲集「午後の庭園」
混声合唱とピアノのための組曲「都会」
(「海の構図」)
根津弘指揮
神戸中央合唱団
ピアノ:森本恵子
(「午後の庭園」)
佐藤陽三指揮
松山市民合唱団
ピアノ:広川奈緒
(「都会」)
前田二生指揮
四季の会
ピアノ:堀井和子
(日本ビクター VICG-60143)



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