かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ベートーヴェン チェロソナタ全集1

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回から2回にわたりましてベートーヴェンチェロソナタを取り上げます。演奏はミッシャ・マイスキーマルタ・アルゲリッチです。

アルゲリッチはヴァイオリンソナタの時にも出てきましたが、これは「ベートーヴェン全集」からのものです。

これを借りましたのは1年半ほど前です。ベートーヴェン室内楽にすっかりはまっていました。ここまで弦楽三重奏曲にヴァイオリンソナタと来ていることからもお分かりのように、ベートーヴェン室内楽をとにかく片っ端から聴きたい!と思っていた時期です。

ベートーヴェンチェロソナタは「チェロの新約聖書」とも言われる音楽史上重要なジャンルですが、その割にはあまり人気はないような気がします。やはり、ベートーヴェンは弦楽器が「弾けなかった」という誤った情報が流れているせいなのかと思ってしまいます。

弾けなかったのではなく、他人の前で弾くほどの実力(つまり、オーソリティ)ではないということで、アマチュア並みかそれ以上には弾けたということなのです。その点を忘れてはならないでしょう。

この全集はありがたいことに番号順に収録されていますから、今回はまず第1集を取り上げ、第1番から第3番までをご紹介しましょう。

まず、第1番は1796年に第2番とともに作品5として作曲されました。ヴァイオリンソナタと違い、いきなりヴィルトーゾしています。それでもまだ若干チェロはピアノの伴奏のような感じですが、けれどもベートーヴェンの意識として、双方対等という意識がそこかしこに見える作品です。

もともとベートーヴェンはピアニストですから、私は相方の楽器が伴奏になるということは考えられないと思っています。音楽史から言えば、○○ソナタはピアノが伴奏であって、○○が主です。それをベートーヴェンは対等にしようとしたということを忘れてはなりません。第1番と第2番はチェロが伴奏と言われがちですが、そうではなくピアノをいきなり高いレヴェルの演奏にしてしまったため、相方の楽器の書法が追いつかないという印象を私は持っています。

それはこの演奏を聴きますと明らかで、マイスキーはいきなりアインザッツを強めにしてアクセントをつけ、高貴さを前面に押し出しています。それに応じてアルゲリッチも激しい演奏をしています。それで十分セッションになっています。

むしろ、楽曲の構造に目を向けるほうがいいのではと思います。第1番と第2番どちらも長い前奏があって主題が提示されます。これもなかなかソナタではない構造で、ベートーヴェンがいかに初めから「前の時代と違うもの」を目指していたかがよくわかります。

チェロソナタ第1番 (ベートーヴェン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC1%E7%95%AA_(%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3)

チェロソナタ第2番 (ベートーヴェン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC2%E7%95%AA_(%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3)

それを受けての第3番です。

チェロソナタ第3番 (ベートーヴェン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC3%E7%95%AA_(%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3)

この曲こそ、「チェロの新約聖書」と呼ばれている楽曲ですが、それにふさわしいものとなっています。ピアノとチェロが対等になっています。お互い旋律を競い合う、まさしく「セッション」が徹頭徹尾つらぬかれています。その上で、第1番と第2番でも採用している長い前奏が付きます。音楽的にもさらなる高みへと昇っています。

ここまでを俯瞰しますと、なぜ私が「初めから『前の時代と違うもの』を目指していたかがよくわかります。」と言ったのかがお分かりかと思います。ピアノが通奏低音的にとらえられる時代は終わりを告げ、モーツァルトによって主役に躍り出たピアノをベートーヴェンはさらに高めたとことで、通奏低音としても使われるチェロも、コンチェルト同様に主役にしなければならないという、並々ならぬ「意思」です。

つまり、この二つの楽器を使うこと自体、モーツァルトの時代から沸き起こってきた新しい時代の動きをうけつぐものである、ということです。チェロはバロックの時代には通奏低音であり、カンタータの中では重要な役割を果たしたとはいえ、器楽曲ではあまり重要な位置を占めなかったのに対し、古典派の時代になりますとボッケリーニなどによって協奏曲の主役に躍り出ます。ピアノもバッハが平均律クラヴィーアを作曲していらい、性能の向上が見られついにモーツァルトによって協奏曲の主役に躍り出ることとなります。

ここでヴァイオリンソナタの第9番を振り返ってみましょう。この曲はベートーヴェンが『ほとんど協奏曲のように、相競って演奏されるヴァイオリン助奏つきのピアノ・ソナタ』とついています。なぜそう付けたのかが、チェロソナタで明らかになると思っています。つまり、二つの協奏曲の主役であった楽器を、ソナタとして成立させたということこそ、ベートーヴェンが言いたかったことなのでは、と。それこそ、ベートーヴェンが目指したものである、と。

ヴァイオリンは自分自身が自信が無いうえに、身近に専門の演奏家もいなかったため、苦労していますが、チェロは一転、フランスの高名なチェロ奏者デュポール兄弟がいました。そのため、助奏ではなく、対等にできたのではないかと思います(この点は専門家も指摘をしていますね)。それだけ、楽曲としての充実度も高いわけですが、人気はヴァイオリンソナタに較べるとさっぱりです。

特に第3番は気高さの上に爽快で、美しいというだけでは形容しきれない素晴らしさがあります。1808年の作曲ですから第1番と第2番からは12年の歳月がたち、ヴァイオリンソナタは第9番までを作曲し終えています。ベートーヴェンの理想とそれを実現しようとする成長が、ここに認められます。



聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
チェロソナタ第1番ヘ長調作品5-1
チェロソナタ第2番ト短調作品5-2
チェロソナタ第3番イ長調作品69
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)



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