神奈川県立図書館所蔵CDショパンピアノ作品全集の今回は第10集を取り上げます。マズルカの第2部となります。
マズルカはポーランドのいくつかのリズムを使った作品ですが、基本的に私的な音楽と位置付けられます。この第10集にはそんな作品が幾つか収められています。
例えば、22曲目の「エミール・ガイヤールに捧ぐ」がその典型的な音楽と言えるでしょう。エミール・ガイヤールとはパリで親交のあった銀行家の娘で、ショパンはそういった自分と親交のあった人にこのマズルカを作曲したのです。
マズルカは小品でいくつかにまとめられていることが多いのですが、その多くは親交のあった個人に献呈されていることが多いのが特徴です。確かに、マズルカを聴きますととても短い曲なのですが、ショパンらしい哀愁と、民族的なリズムを使うというナショナリズムとが、ロマンティシズムの中できちんと同居し、ナショナリズムはいったいどこへ行ったかという、どこから見ても気品のある優雅な作品に仕上がっています。
その点を強調するかのように、このマズルカ第2部では、アシュケナージはとても丁寧に演奏をしています。決してたったか先へと行きません。十分に余裕をもって、ゆったりと弾いています。もっとピアノに詳しい人であればここでペダルがとかを十分に考えながら聴くことができるでしょう。
全集を聴くというのは、こういったいろんなメッセージを受け取ることでもあります。もちろん、全集でなくてもそういったメッセージを演奏で発信されているはずですが、一部を切り取っている場合もあります。それを俯瞰してみるためには、やはり全集というのはとても役に立ちます。
出来れば、アシュケナージだけでなく、他のピアニストでも全集を聴きたいものです。
この第9集と第10集という、かなり後ろにマズルカを持ってきたところに、アシュケナージが言いたいことが詰まっているように思います。これだけヴォリュームがあって、ショパンを代表するものであればついもっと前に持ってきたくなります。それをあえてせず、ショパンの音楽の特質を語ろうとする編集は、私でさえ見逃していたものを教えてくれます。
ショパンの音楽が持っている詩的な部分と、その陰に隠れたナショナリズム。その二つを融合するために学習した先人の音楽。そういったものがショパンの音楽にはすべて入っているのだと、この第10集でも思い知らされます。
聴いている音源
フレデリック・ショパン作曲
マズルカ
第30番 ト短調作品50-1(1841〜1842)
第31番 変イ長調作品50-2(1841〜1842)
第32番 嬰ハ短調作品50-3(1841〜1842)
第33番 ロ短調作品56-1(1843)
第34番 ハ長調作品56-2(1843)
第35番 ハ短調作品56-3(1843)
第36番 イ短調作品59-1(1845)
第37番 変イ長調作品59-2(1845)
第38番 嬰ヘ短調作品59-3(1845)
第39番 ロ長調作品63-1(1846)
第40番 ヘ短調作品63-2(1846)
第41番 嬰ハ短調作品63-3(1846)
第42番 ト長調作品67-1(1835)
第43番 ト短調作品67-2(1849)
第44番 ハ長調作品67-3(1835)
第45番 イ短調作品67-4(1846)
第46番 ハ長調作品68-1(1829)
第47番 イ長調作品68-2(1827)
第48番 ヘ長調作品68-3(1829)
第49番 ヘ短調作品68-4(1849)
第50番 イ短調、遺作「ノートル・タン」(1840)
第51番 イ短調、遺作「エミール・ガイヤールに捧ぐ」(1840)
第52番 変ロ長調、作品番号なし(1826)
第53番 ト長調、作品番号なし(1826)
第54番 ニ長調、遺作(1820?)
第55番 ニ長調、作品番号なし(第54番の改作)(1832)
第56番 変ロ長調、作品番号なし(アレクサンドラ・ウォロウスカのために)(1832)
第57番 ハ長調、遺作(1833)
第58番 変イ長調、作品番号なし(1834)
ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
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