かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト交響曲全集 ピノック/イングリッシュ・コンサート編8

神奈川県立図書館所蔵CDピノック/イングリッシュ・コンサートモーツァルト交響曲全集の今回は第8集を取り上げます。

収録は第29番と第28番で、これも作曲順として間違っていないのですね。

そしてこの二つからは確実にモーツァルトの音楽が変わっていることを感じ取ることが出来ます。全集を買うならやっぱりこういった楽しみがないと意味ないですよね〜。

皆さん、考えてみてください。全集を買って、その中で頻度高く聴くのはいったいどれほどでしょう?心に残る曲はいったいどれくらいでしょう?

数は言えなくても、全部と言える人はいないのではないでしょうか。そうなると、単に好きで聴くというだけでは、全集を買う意味ってないですよね?何か特徴がないと買わないのではと思います。

それが一応、この全集には新モーツァルト全集に基づいて作曲順に編集し、明らかな偽作は抜いているという方針がはっきりとしていれば、楽しめます。その変遷に興味を持っていたり、歴史に関心があったりする人であれば必ず買う人はいます。

もし、購入が少なくても、このように公的機関が購入し、図書館で貸し出せば、それはその地域の文化レベルが明らかに上がったことになります。私は県民としてそれを誇りに思っています。

さて、この2曲はともに4楽章制を取る作品で、序曲的な雰囲気はなくなっています。その意味で音楽が変わってきているという判断になるわけです。その原因はいったい何かを常に私は考えているのですが、一つの理由としては彼の成長と旅行があげられると思っています。

確かに、音楽的にはハイドンよりも突き抜けたものがあると思っています。その原因を考えた時、やはり旅というものを抜きには出来ません。彼はたびをすることによっていろんな作曲家と出会い、そして音楽を聴いているはずです。彼くらいの才能であれば、即座に写譜をしてしまうくらい朝飯前でしょう。

その才能を語る時、抜け落ちている部分があります。つまり彼はそこで学習しているということを。それがないとアレンジというものは出来ないんです。そして問題意識の高さ。自分ならこうするという確固としたものがあるからこそ、他の人の旋律を即アレンジして弾いてみせるなどできません。

発想も豊かです。その理由として基礎的な学習もきちんとしていることも見過ごされがちです。

つまり、モーツァルトの音楽は、科学でいう「基礎研究」がしっかりとなされているからこそ、枝葉が豊かであるということなのです。そこの部分こそ一番大事なのです。彼が才能を発揮した最大の理由、それは父による基礎的な学習と、旅による「気づき」という学習なのです。

モーツァルトの天才的な面だけがクローズアップされますが、しかしエジソンのこの言葉はモーツァルトにも当てはまるように思います。

「天才とは、99%の努力と、1%とひらめきだ」

その99%の努力が、なぜかモーツァルトだけ抜け落ちるのですね。

こういった点を顧みるには、やはり全集を、しかも作曲順に聴くことが大切なのです。



聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
交響曲第29番イ長調K.201(186a)
交響曲第28番ハ長調K.200(189k)
トレヴァー・ピノック指揮、チェンバロ
イングリッシュ・コンサート



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