かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト交響曲全集 ピノック/イングリッシュ・コンサート編3

神奈川県立図書館所蔵CDピノックモーツァルト交響曲全集の今回は第3回目。第3集を取り上げたいと思います。

この全集は基本的に明らかに偽作というものははじいていまして、新全集で偽作の疑いの程度は収録しているというのが基本ですが、この第3集にはピノックの独自の視点が反映されています。

まず第一点が交響曲変ロ長調K.Anh216の収録です。最新の新全集ではのぞかれたこの交響曲を、ピノックは収録しています。

K.74g (Anh.216 / Anh.C11.03) 交響曲 第54番 変ロ長調
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/works/sym2.html#K74g

確かにこの曲はモーツァルト全集でも説明がなく、このサイトでようやく見つけたくらいです。その点で、この第3集はありがたいものでもあります。

もう一つは、K.75です。この曲も偽作の疑いが晴れないのですが、その理由が第2楽章にメヌエットが来ていることにあります。

モーツァルト交響曲 K.75 ヘ長調の概要と演奏
http://www.kanzaki.com/music/perf/moz?o=K.75

交響曲 第42番 ヘ長調
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/op0/k75.html
(※エンコードを「日本語EUC-JP」にしてご覧ください)

しかし、この演奏ではなんと、第3楽章においています。間違ったのか?と思いまして実はモダンのマリナーのデータを見てみましたら、これも第3楽章においているのです。

これはいったいどうしたものか・・・・・この演奏が間違っているのか?

いや、こんなことは通常であれば、つまり楽譜通りであれば起こるはずがありません。唯一の可能性は、指揮者がスコアリーディングの末、第2楽章に来ていることが間違っているのだと判断した、ということです。

考えてみましょう。そもそも、この曲は直筆譜はおろか、同時代の筆写譜すら残っていないのです。もっと後の、19世紀の筆写譜しか残されていません。その点で疑義がはさまれたことで偽作の疑いがあるわけですが、マリナーとピノックの二人はもう少し推理を働かせ、写譜するときに間違えたと考えたということなのではないでしょうか。

私がそう考えた理由が、恐らく写譜がなされた時代はベートーヴェンの第九が作曲された後ではなかったのか、ということをこの2人が考えたからではないかということです。ベートーヴェンの第九はトリオであるスケルツォが第2楽章におかれています。

ベートーベン交響曲第9番の概要と演奏
http://www.kanzaki.com/music/perf/lvb?o=op.125

そのことが写譜者に混乱を与えた可能性を考えたと推理すれば、この二人が第3楽章と第2楽章をひっくり返したと考えていいと思います。

確かにそれで全く問題ないです。一度ひっくり返して、楽譜通りだとどうなのかも検証してみる必要があるでしょう。こういった点はリッピングしてデータで取ってあることの利点です。また「音楽雑記帳」のネタが増えました^^;

こういったことは実は音楽だけでなく、歴史ではよくあることでして、日本史でもしょっちゅうです。そのため、まず史料批判ということをやるのですが、マリナーとピノックはその「史料批判」を行ったうえで、この演奏を行っているということになろうかと思います。

その点で、国史学士である私にとっては、好感が持てる演奏です。



聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
交響曲ニ長調K.97(73m)
交響曲ニ長調K.95(73n)
交響曲第11番ニ長調K.84(73q)
交響曲変ロ長調K.Anh216
交響曲ヘ長調K.75
交響曲ハ長調K.96(111b)
トレヴァー・ピノック指揮、チェンバロ
イングリッシュ・コンサート



このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。