今回のマイ・コレは、ブラームスの弦楽六重奏曲第1番と第2番です。演奏はコチアン四重奏団とスメタナ四重奏団のメンバーを加えた六人です。
このCDを買ったのは、当時入っていたアマチュア合唱団が地元のアマチュアオーケストラの姉妹団体であり、そのオケの合宿に帯同した経験からです。その時合宿でオケのメンバーが演奏したのが、ブラームスの弦楽四重奏曲第1番第1楽章だったのです。
もともと、私はこの曲が好きでした。とくに第2楽章のむせび泣く旋律・・・・・まるで失恋した時のような気持ちを思い起こさせるそのメロディ。それがたまらなく切ないからです。それもそのはず。この2曲とも、ブラームスの失恋が大きく作曲にかかわっているからです。実は、アガーテという女性とブラームスは恋に落ちます。しかも、伝えられているところによると結婚を感がるほどの関係だったとされています。しかし、なぜだかは謎ですが、彼はアガーテと別れてしまいます。そしてその後、彼は独身を貫き通すのです。
以下のウィキペディアの解説には全く触れられていませんが。
弦楽六重奏曲第1番 (ブラームス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%85%AD%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC1%E7%95%AA_(%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9)
クララよりも、少なくとアガーテとの関係による部分が大きいと、少なくとも聴いているCDのブックレットには書いてあります。むしろ、ウィキペディアではアガーテとの関係は第2番の解説で出てきます。
弦楽六重奏曲第2番 (ブラームス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%85%AD%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC2%E7%95%AA_(%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9)
それは、第2番の第1楽章第二主題終結部に出てくる、「アガーテ音型」です。ウィキペディアから引用しますと、
「この音型は、イ−ト−イ−ロ−ホという音であるが、ドイツ語音名で読み替えるとA−G−A−H−Eとなる。これは、アガーテの名(Agahte)を音型化したものだ、といわれている。また、ブラームス自身が「この曲で、最後の恋から解放された」と語った、とも伝えられたということも相まって、ブラームスの友人で彼の最初の伝記作家となったマックス・カルベック(Max Kalbeck, 1850-1921)以来、有名な逸話として伝えられている。」
この逸話には疑義も唱えられていて、本当かどうかはわかりません。ただ、私は第1楽章で使われているということと、ブラームスの言葉「この曲で、最後の恋から解放された」ということから、私は支持したいと思っています。実際、失恋から立ち直るためには、いつかは恋人の名前を叫ばないといけないのではないかという気がするからです。
それを端的に表現している歌手が、実は日本にいます。中島みゆきです。彼女の初期作品に出てくる失恋ソングは、どれも恋人の名前を呼ぶような、切なく苦しい女性の胸の内を表現していますが、それは男性だって実は一緒です。表に出さないだけですし、ましてや表現もしないだけで、何度心の中で「いかないで!(「悪女」)」と叫ぶでしょうか!
ブラームスはここで、恋人の名前を叫ぶことで、恋を終わらしたというのは恋愛心理から言って実はとても自然ですし、構造上から言いましても、第二主題終結部で叫んで、後はそれを忘却の彼方に忘れ去るがごとくの音楽が続いていることから考えましても、第2番では第1楽章と第2楽章、そして第3楽章と第4楽章とでは違いをはっきりと見て取ることが出来ます。
さて、そのような音楽をこの団体はどのように表現しているかといいますと・・・・・
一言で言えば、「恋愛は遠い昔さ」・・・・・
以前、サイモンとガーファンクルをとりあげた時がありましたが、その時「アイ・アム・ア・ロック」という曲があったかと思います。
マイ・コレクション:サイモン&ガーファンクル ベストセレクション
http://yaplog.jp/yk6974/archive/360
その「I Am A Rock(アイ・アム・ア・ロック)」の歌詞に、こう書いてあったのを覚えていらっしゃいますでしょうか。
人を愛した事があるのかだって?余計なお世話だ!
昔はそんなものにかかわった事もあったけどな
もう忘れちまったそんな記憶を呼び覚まして
どうすんだよ
人を愛したって、傷付くだけさ・・・
そう、この演奏はまさしくそのような、恋愛を相対的に突き放しているんです。それが端的に表れているのが、第1番第2楽章です。ここで、彼らはとても枯れた、むせび泣くというよりはむしろ端整を心がけ、むせび泣くのは極力抑えています。実は私はその部分がとても不満で、今でもこの演奏は一番ではありません(ちなみに、一番は友人からもらったカザルスホール・アンサンブルの演奏)。もっと弦を思いっきり弾いて、むせび泣いてほしいのです。
ところが、年齢を重ねてきますと、それだけでなくこの枯れた演奏もいいなあと思うようになりました。うん、年を取るとこんなものだよ、恋愛って・・・・・なんて。
私が彼らの年齢にそれだけ近くなってきたということかもしれませんし、また人生経験を重ねてきたということでもあるでしょう。もちろん、失恋も含め・・・・・
ようやく、私も失恋を「相対化」できる年齢に差し掛かってきたのかもしれません。そして、彼らが言いたいのは「失恋は哀しいというのは、ステレオタイプの感情じゃないですか?」ということなのだと、私は思います。
聴いているCD
ヨハネス・ブラームス作曲
弦楽六重奏曲第1番変ロ長調作品18
弦楽六重奏曲第2番ト長調作品36
コチアン四重奏団
スメタナ四重奏団メンバー
(DENNON COCO-75558)
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