かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:バーバー 管弦楽曲集

今日のマイ・コレは、バーバーの管弦楽曲集です。デイヴィッド・ジンマン指揮ボルチモア交響楽団の演奏の一枚です。

これを買ったのはその第1曲目である「弦楽のためのアダージョ」が映画「プラトーン」で使われたのがきっかけです。ベトナム戦争を描いたその映画は最後とても切ない場面で終わりますが、そこに流れるのがバーバーの「弦楽のためのアダージョ」なのです。

映画自体はベトナム戦争を題材にして、戦場の悲惨さを描いた名作ですが、音楽自体は「悲しい」という感じよりも「哀しい」という字を使うほうが適当でしょう。実際、映画も悲しみではなく私は「哀しみ」がテーマであると思いますし、作曲したバーバーもこの音楽を「葬式のために作った曲ではない」と述べています。そして私も聴いた当初に同様に感じました。

そしてそれは今でも全く変わっていないどころか、年々その思いは強くなっています。というのは、途中とても明るく清らかな部分があり、それはさわやかさすら内包します。それからしますと、葬送音楽としてとらえるのは適当ではないと思います。たまたま葬送音楽としても使える、というだけの話です。しかしそう考えてみますと、作曲者はいろんな感情をこの曲に込めているのでないかという気がします。だからこそたまたま葬儀にも合うというだけであると私は思います。

その弦楽のためのアダージョですが、もともとは彼が作曲した弦楽四重奏曲第1番の第2楽章を管弦楽へと編曲したものです。今こうやって改めて聞いてみますと、元の弦楽四重奏曲も聴いてみたいと思います。ネットではウィキペディアの説明が簡潔で詳しいです。またこの曲だけならばいろんなCDが当時から今でも出ています。

弦楽のためのアダージョ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A7

しかし、そこでこの曲だけを買いたくなかったのは、やはりこのあたりから現代音楽に少しずつですが興味を持ち始めてきたという私の心境の変化があります。とくにそれに影響を及ぼしたのは、やはり仕事でしょう。見えない不況、減らされていく給料。いったい自分はどう生きるべきなのか・・・・・そう悩んでいた時に出会ったのが映画プラトーンで、そこでバーバーの音楽に出会ったのです。そしてその音楽を聴いたとき、それまで私が接した現代音楽にはない、古典的でありながらしかし何か違うその個性に惹かれたのです。そういったことが、バーバーの曲をとりあえず俯瞰したいと思ったきっかけであり、その想いがこの一枚の購入へと相成りました。

次の序曲「悪口学校」はイギリスの劇作家シェリダンが1771年に書いた喜劇に音楽をつけたもので、1931年の作曲です。冒頭さすが20世紀音楽という和声を聞き取ることが出来ますが、しかししっかりとしたリズムがあることで音楽が流麗に流れてゆきます。この曲もある意味私の現代音楽観を変えた一曲でして、不協和音だけではない、しっかりとた旋律とリズムが付いたその音楽は衝撃でした。現代音楽はとひとくくりにすることの浅はかさをこの1曲だけでも恥じてしまいます。途中とてもロマンティックで分かり易い旋律も用意されており、現代音楽はどうも苦手、という方にはぴったりだと思います。

3曲目の「オーケストラのためのエッセー 第1番」は1937年の作曲で、実は第1曲目と同じ年の作品なのです。そのせいかどうかはわかりませんが、これも冒頭からとても切ない、哀しい旋律が支配します。和声はとても重厚で複雑ですが、しかしそれが音楽となるとなんと分かり易いものになっていることでしょう!最初の主題がさまざまに織りなされていて発展し、それでいて、その音楽から感じ取れるのは決して単純なものではない・・・・・まさしく、「エッセイ」の名にふさわしい曲です。

第4曲目は1933年に作曲された「シェリーによる場面の音楽」。これは一転して甘美な音楽です。それでいて不協和音が支配するという、やはり彼が20世紀の作曲家であるということを認識させてくれる一曲です。テンポもゆっくりで、一見するとうわー、苦手!という方もいらっしゃるかと思います(はい、私もはじめそうでした!)。しかし最初をちょっと我慢して聴いてみてください。私がなぜ「甘美」と表現したかが分かると思います。そもそもこの曲はイギリスの抒情詩人パーシー・シェリーの劇詩「解放されたプロメテウス」に霊感を受けて作曲されたもので、その詩の中で語られる愛の精神とその終焉が語られる場面に音楽をつけたものです。ちょっと我慢して聴いていただくと、あ〜なるほど〜と感じていただけるかと思います。ここで語られる愛は単純なものではないなと私などは唸ってしまいます。まあ、私もそれなりに人生生きてきていますからねえ・・・・・・

第5曲目は「オーケストラのためのエッセー 第2番」。1942年の作曲です。この曲になりますとさすがに不協和音ばりばりという感じですが、しかし旋律はしっかりと作られており、それが第1番よりもきちんと発展していくさまは冒頭から聴きごたえがあります。金管が奏でるこの世のものとは思えない感覚・・・・・神代かはたまた現代か、虚実かそれとも現実か・・・・・その狭間を行ったり来たりするその音楽は、リズムがあるがゆえに緊張感をもたらし、聴き手をぐいぐいと引き込んでゆきます。

第6曲目は「交響曲第1番」。と言っても1楽章しかない曲です。形式的にも音楽的にもこの曲ほどバーバーを20世紀の音楽家と認識させれらるものはありませんが、しかし構造をよく見てますとその1楽章は4つの部分に分けられており、それぞれは急〜スケルツォ〜緩〜急となっていて、それはまさしくシンフォニアと言ってもいいくらいです。ブックレットには「古典派の交響曲を総合的に処理した形をとっている」とありますが、私は古典派の形式を借りながら、逸れ以前の「シンフォニア」という形を現代に復活させたという印章をもちます。まるで交響曲の歴史をこの1曲に詰め込んだような・・・・・それは以前にも4楽章で作曲した作曲家がいましたが、バーバーはさらにバロックまでもを詰め込んで、しかしあくまでも音楽としては現代音楽で彩るということをやってのけているように思います。彼は交響曲を2曲書いていますが、この曲だけ演奏機会が多いというのは納得です。

ジンマンとボルチモア響が奏でるアンサンブルは素晴らしく、重厚で美しい音楽をしっかりと奏でています。当時私もシカゴ響などのビッグネーム以外は卑下する意識を持っていましたが、それを恥じねばならないと実感させられた一枚でもあります。つまり、たんなる勢いだけで演奏できない曲がここには並んでいるのです。また、縦の線をそろえようとすることでもなかなかできない豊潤な音楽が現出されているのです。それに気が付いたとき、わたしはもしかするととんでもない一枚を買ったのではないかと、今となっては思っています。10数年かかってたどり着いた、このCDの価値・・・・・

現代音楽の名演というのは、そういうものなのかもしれません。



聴いているCD
サミュエル・バーバー作曲
弦楽のためのアダージョ 作品11
序曲「悪口学校」作品5
オーケストラのためのエッセー 第1番 作品12
シェリーによる場面の音楽 作品7
オーケストラのためのエッセー 第2番 作品17
交響曲第1番ホ短調作品9
デイヴィッド・ジンマン指揮
ボルチモア交響楽団
(ARGO POCL-1255)



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