かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:シマノフスキ作品集2

今月のお買いもの、今回はシマノフスキ作品集の2枚目です。メインとしてはなんといってもシマノフスキバレエ音楽「ハルナシェ」です。

ハルナシェは、1931年に完成された正確にはバレエ・パントマイムの音楽です。シマノフスキの第3期といわれる時期の作品で、演奏会用序曲作品12からしますと「思えば遠くへ来たもんだ」という感覚の音楽です。ほとんど現代音楽ですから。

メロディラインがしっかりしている豊潤な後期ロマン派ではなく、民族音楽を基調とした、リズム重視の音楽へと変貌しています。ただ、シェーンベルクのような無調音楽とも違い、あくまでもタトラ地方の民族音楽を基調としていますので、その音楽は生き生きとしています。

彼はポーランドはタトラ地方の音楽をなるべく純粋な形で取り入れることに執心した人だったので、このハルナシェはその代表作といっていいと思います。最初に出てくる電話の音からこの音楽が只者ではないことを予感させますが、それを証明するかのごとく以後音楽が展開されてゆきます。

この曲が作曲された時期のポーランドはちょうど第二次世界大戦前夜であり、ナチス・ドイツの台頭という時代と向き合っています。そのせいか、この音楽も主人公は愛国者の農民です。その点もこの音楽の特性を語っているように思います。ソ連とドイツという大国に挟まれたポーランド地政学的な位置付けをどうとらえるのかという時代の流れの中で、自由なポーランドに対する危機意識というものを感じます。

このCDは輸入盤ですから解説が英語なので、翻訳するにはちょっと私には時間がかかりますので、いつかこの曲に関する著作を読んでみたいと思いますが、その音楽からして、戦争の足音と無関係ではないのでは?と私は思っています。それが杞憂であればいいのですが、私にはそう感じられません。

そう考える理由は、今年の春先に見た映画「カティンの森」にあります。第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻から始まりますが、ポーランドは戦争準備が整っておらず、あっという間にワルシャワが陥落してしまいます。その結果、ポーランドは降伏し、国家はドイツとソ連によって分割されてしまいます。そのソ連側で起こった虐殺事件が、「カティンの森」です。

この悲劇を考えるとき、私はやはりこの音楽が作曲された当時のポーランドを知る必要があるのではないかと思っています。それは翻って、現代の日本を考えるときの歴史の合わせ鏡になるのではないか、と思うからです。

もちろん、ポーランドと日本では決定的に違う点があります。それは国境が日本は海の上であるが、ポーランドは陸続きであったということです。しかも体制の違う二つの大国につねに狙われるという状況でもありません(幕末の日本であればこれは当てはまるでしょうが)。それでも、私は体制の違う軍事国家に囲まれているという点では一緒だと考えるのです。そして、唯一一緒である点は、同じ自由民主主義国家であるということです。

この視点から、わたしはぜひともこの時代のポーランドの状況を学ぶことで、今の日本を考えることはできないかと思うのです。そして、その結果もっとこの曲に対する理解も深まるのではないかと思います。

演奏も、とてもリズミカルで、それでいて品格があります。現代音楽でもこんな曲があるのだなと、今までの自分の現代音楽に対する意識が浅はかであったことを反省せざるを得ません。それだけの説得力ある演奏です。力強い合唱、カンタービレソリスト。そして豊潤でかつ野性味あるアンサンブルを聴かせるオケと指揮者。歌詞がわからないのがもどかしいです。ぜひとも知りたくなります。

二曲目は交響曲第4番。この曲ほど構造的に個性的な音楽はありません。ただ耳を傾けるだけであればとても素晴らしい音楽ですが、いったん構造までに興味を持ちますと・・・・・なんじゃこりゃ、です。

まず、交響曲といいながらピアノが入ります。それだけであればスクリャービンがすでにやっています。ところが、この曲にはカデンツァがあるのです!これは私もびっくりしました。

ですから、ウィキペディアで調べますと、二つの相反する説明が出てきます。シマノフスキのページでは「交響曲」と、交響曲第4番のページでは「ピアノ協奏曲」と説明されているのです。さらに、ご本人はこの第4番には「協奏交響曲」という表題をつけています。協奏交響曲は古典派でもハイドンモーツァルトの時代によく作られたもので、歴史的な流れからすれば、現在の協奏曲とほぼ同じと考えて差し支えありません。であるにも関わらず、わざわざ「協奏交響曲」という古典的な形式を標題に持ってきたのは、いったいどのような理由なのか、研究者でもあまりわかっていないようです。

一応、協奏交響曲という名称から、ウィキペディアでは「独奏楽器がオーケストラを圧倒するようなヴィルトゥオーゾ向けの作品ではないことを断わっている。 」といいますが、モーツァルト事典の「フルート、オーボエ、ホルン、ファゴットのための協奏交響曲」における説明では「各独奏楽器の名演奏家たちの競演を売り物として書かれた公開演奏会用の作品(P.432)」であり、その形式は古典派の協奏曲に基づくとあります。この点ではちょっとウィキペディアの説明と違います。このシマノフスキの場合、ピアノは一台だけです。おそらく、シマノフスキはオケとピアノがアンサンブルする作品という位置づけだったのだと思います。確かに、どちらも対等にわたりあうことで「アンサンブル」していることは確かだと思います。

ただ、それで協奏交響曲ねえ・・・・・と、私のようにモーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K.364」などが好きな人間からしますと、シマノフスキに一言言いたい気もするんですね。ただ、シマノフスキは批評家を全く恐れなかった人のようですから、「いや、かんちゃんさん、これは協奏交響曲です!」と言い張ると思いますが^^;

一応、そのシマノフスキの意思に恥じない、ものすごい演奏をオケ、ピアノともにしていて、聴いていてトランス状態になるくらいです。これほど力強い演奏をシンフォニア・コンチェルタンテでもコンチェルトでも聴いたことは私はありません。

三曲目と四曲目はマズルカ。これが一転してモダンで、哀愁がある素晴らしい曲です。なんと美しいのでしょうか・・・・・どこぞの街並みがふっと思い浮かぶようです。この人も室内楽を聴いてみますとまた楽しい作曲家ではないかと思います。

それをもっと感じるのは、最後の変奏曲です。こんなおしゃれで哀愁がある曲を書くとは!彼女と一緒に聴きたい・・・・・そんな曲です。10分ほどもある曲ですが、変奏曲がもつ楽しさももちろんありますので、聴いていて飽きません。それまでの現代音楽が一転してメロディーラインがしっかりとした美しい曲に代わるのですから、なんと守備範囲が広く魅力的な作曲家だろうと思います。



聴いているCD
カロル・シマノフスキ作曲
ハルナシェ 作品55
交響曲第4番作品60
マズルカ作品50-1
マズルカ作品50-2
変奏曲作品3
アンドルジェイ・バクレダテノール、ハルナシェ)
ヴィースロウ・クワスニー(ヴァイオリン、ハルナシェ)
ピョートル・パレクニー(ピアノ、第4番)
フェリシア・ブルーメンタル(ピアノ、マズルカと変奏曲)
クラクフポーランド放送合唱団(ハルナシェ)
アントニ・ヴィト(ハルナシェ)、イェルジ・セムクフ(第4番)指揮
ポーランド放送交響楽団クラクフ
(EMI 7243 5 85539 2 5)