かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

音楽雑記帳:スウェーデン放送合唱団コンサートを聴いての雑感

今回は、久しぶりにコンサート評を書いてみたいと思います。評、というよりは雑感という感じですが・・・・・

ですので、タイトルにも「雑感」の二文字を入れてみました。

さて、今回行ってきましたのは、6月19日に神奈川県立音楽堂で行われた、「スウェーデン放送合唱団」のコンサートです。

これは東京でも行われたそうですが、内容はそれと同様ではないようです。以下、曲目になります。

1.「山に向かって目を上げよ」(オラトリオ「エリア」Op.70から メンデルスゾーン
2.詩篇2番「何ゆえ荒れ狂う異教徒」(「3つの詩篇」Op.78より メンデルスゾーン
3.「主は、汝のために御使たちに命じ」(オラトリオ「エリア」Op.70より メンデルスゾーン
4.小室内カンタータ「雪の夕暮れ」(プーランク
5.「3つの歌」Op.42(ブラームス
�@セレナーデ�Aヴィネータ�Bダルトゥラの哀悼歌
6.「自由」(カンタータ「人間の顔」より プーランク
7.「主を讃えよ」(スヴェン=デヴィッド・サンドストローム
8.「主に向かって新しき歌を歌え」BWV.225(ヨハン・セバスティアン・バッハ
9.「主に向かって歌え」(スヴェン=デヴィッド・サンドストローム

まず、全体的なことなのですが、とても声が軽いのです。それでいて力強さもあります。さすがプロだと思いました。合唱はこれを常に品質として維持するのがとても難しいのです。

実際、最後の方でお一人具合が悪くなり、歌えない方がいらしたくらい、プロでも体調管理は難しいのです。特に、6月という合唱団の演奏会としてはそれほどいい条件ではない時期に、体調を維持し、それなりの品質をたたき出すというのは簡単なものではありません。

合唱用語で「頭の上から声を出す」というのがあるのですが、まさしくそれにふさわしい発声で、それがゆえに透明感もありますし、またフォルティシモからピアニシモまで表現力豊かです。

それと、ホールに対するアジャスト力です。県立音楽堂は音の響きというより、そのアンサンブルの音が豊かに聴こえることが特徴です。ですから、いわゆる2秒などの残響があるホールではありません。ただ、多目的ホールとも違い、内部が木で覆われていますから、それだけ温かい音になることが特徴のホールです。

その特徴を十二分に発揮していました。このあたり、世界中のホールに慣れている、という印象を受けました。

また、並び方をけっこう舞台上で変えていまして、女声が両翼で男声が中だったり、女性が前に出て男声は後ろだったり、さらに女声のパートをシャッフルしたりと、めまぐるしく変わるのが印象的で、いろいろ勉強になりました。

さらに、指揮者が必ず口をあけて歌っているしぐさを見せていることです。これは実は合唱指揮では非常に重要で、それによってもっとしゃべってなど、声に出さずに指示を出すことが出来ます。それをプロの指揮者がやられているというのは、真に珍しいものです。それも大いに勉強になりました。

それでは、1曲づつ、簡単ですが参ります。

1.「山に向かって目を上げよ」(オラトリオ「エリア」Op.70から メンデルスゾーン

まず、「エリア」について簡単に説明しておきます。紀元前9世紀、イスラエルフェニキアと政略結婚をしますが、それが信仰の混乱を招きます。エホバ信仰だったイスラエルフェニキアのバアル信仰が入ったことがきっかけです。イスラエル人はバアル信仰へ傾いたことから神罰が下りますが、そのときエリアはエホバ信仰に立ち戻ることを主張します(何かに似ていますね、これ)。しかし、それがイスラエルの民衆の怒りを買い、エリアは迫害を受けることになります。

その結果、エリアは荒野に逃げることになりますが、そのときに救いのときは近い、だから山を見よと天使が歌うのがこの曲です。

ですので優しいアプローチが必要ですが、それが完璧です。女性が一列に並び、すばらしいアンサンブルを聞かせてくれました。

2.詩篇2番「何ゆえ荒れ狂う異教徒」(「3つの詩篇」Op.78より メンデルスゾーン

ここから男声も登場です。というより、ここから男声は舞台に入ってきました(つまり、第1曲目は女声のみ)。並びは左からアルト、バス、テノール、ソプラノという順番です。表現力は抜群です。この曲は荒れ狂う異教徒に無意味な抵抗をやめて真の救い主に従うよう歌うものですが、その主の言葉を伝える部分とそうではない部分のコントラストのつけ方などは、さすがプロです。

3.「主は、汝のために御使たちに命じ」(オラトリオ「エリア」Op.70より メンデルスゾーン

第1曲とこの第3曲目は同じ「エリア」からですから関連がありまして、天使たちの守りがあろうというお告げの場面で歌われる混声四部です。たった4行の短い曲ですが、伸びやかに、そして力強くうたうのはすばらしいです。アマチュアですとどこかで必ず力が入ってしまい、アンサンブルが崩壊します。

4.小室内カンタータ「雪の夕暮れ」(プーランク

ここで、約半分が舞台から消えて、20名ほどでの演奏となりました。恐らく、この曲がもともと六重唱であるということがあるのだろうと思います(プログラムの解説には六重唱もしくは合唱のための曲とあります)。フランス語の発音が抜群で、しかもそれでいて全くアンサンブルが崩壊することがありません。アマチュアがフランス語の曲を歌う時には発音で苦しむためそちらに気をとられることが多いのですが、さすがプロです。

当たり前といえばそうかもしれませんが、プーランクのこの曲はかなり悲しい歌なのです。作曲が1944年という、フランスがナチスドイツに占領されている時期ですからとても厳しい時代を生きている人間を描いた作品です。ですから、まず発音というとても基礎的な部分をおろそかにしてしまうと、この手の曲は少なくとも私の経験上ではアンサンブルが崩壊します。そんなことが全然ないのです。

ただ、発声がちょっとぐらついた部分がこのあたりにはありました。気持ちが入りすぎているのか、あるいは体調が万全ではない団員もいたのかと推測されます。プーランクの曲の特徴でもありますが、やわらかいピアノが発声で必要とされる部分が連続しますので、そこを支えるのは大変です。

5.「3つの歌」Op.42(ブラームス

ふたたびここで40名超に人数が戻りました。

このブラームスの合唱曲は歌詞が韻を踏んでいるのですが、それをきれいに表現していました。あまり語尾を強調せず、でもはっきりと発声していました。曲の美しさだけでなく、その韻の美しさもすばらしかったです。ただ、私としてはもう少しはっきりと韻の部分をうたってほしかったのですが、それは解釈のちがいだと思いますし、全体的な曲調からしますと、やわらかくうたうというのが基本だと思いましたので、それはまあいいだろうと思います。

この曲あたりからちょっと発声のぐらつきが顕著になっていて、この梅雨にはさすがに対応しきっていないのかな、と感じました。

6.「自由」(カンタータ「人間の顔」より プーランク

実は、チラシにはこの曲が載っていなかったので、当日びっくりしたプログラムでした(恐らく、ネットでは載っていたのでしょうが^^;)。この曲は私はザ・タロー・シンガーズではじめて聴いて、衝撃を受けた曲なのです。その後、ベルリン放送合唱団でCDも買っています。

発声、表現力、いずれも文句ないもので、ブラームスまでに表面化した発声のぐらつきをこの曲では完全に抑えていて、すばらしいアンサンブルを聞かせてくれました。この曲は各パートが応答する構造になっていて、それが転調しながら最後の歌詞「自由」へと登りつめて行きます。その構造もよくわかる演奏でした。さらに、歌詞カードを見てもどこを歌っているのかがフランス語なので追い切れない部分がありますが、最後はリタルダンドをしてくれましたので、あ、そろそろだなと感じることができました。

それって、実はとても大事なことで、楽譜を確認していませんが、恐らく、最後の「自由」の歌詞にはフェルマータがついている筈で、最後思いっきり伸ばして終わるのですが、フェルマータがついているということは、通常その前からリタルダンドをします。それが成されているということから、楽譜の読み込み、そして歌詞に対する理解、いずれも深いものを感じました。

7.「主を讃えよ」(スヴェン=デヴィッド・サンドストローム

休憩後のこの聞きなれない作曲家の曲は、衝撃でした。讃えよというドイツ語の動詞Lobetを細切れに発音し(恐らく、八分音符以下の音符で書かれているはず)、それを各パートばらばらに歌い始めるという構造は、初めて聴きました。これは是非楽譜を見てみたいと思った一曲です。

しかも、その動詞だけで10分くらいかけるという曲で、最後はハレルヤで終わるのが歌詞からいいますと本来なのですが、そのハレルヤはあっけなく終わってしまいます。それよりも、その前の行「(その方の恩恵と誠は)我々の上に永久に行われるのだから」の部分が事実上クライマックスになっています。その表現力!その前の部分では力強く一瞬無調音楽的な部分があるにも関わらず、切り替えてやわらかい表現。抜群です。

この曲で作曲家が何をいいたいのかが、垣間見える演奏でした。

8.「主に向かって新しき歌を歌え」BWV.225(ヨハン・セバスティアン・バッハ

実はプログラムを読んで知ったのですが、スウェーデンルター派ですから、バッハの曲を原語のまま演奏するということがよくあるそうで、そう考えますとスヴェン=デヴィッド・サンドストロームは宗教音楽を得意としているとのことですから、当然バッハの曲を参考にして音楽を書いてもおかしくないわけです。なるほど、それで一緒に取上げるのかと納得です。単に自国の作曲家だから取上げるのではなく、このバッハを取上げることでスウェーデンの文化そのものを紹介しているというわけなのです。

この2曲では合唱団のならびが一緒で、実は前の曲でバスから始まりソプラノへと受け継がれる部分があったのですが、それだと並びはおかしいのでは?と思わず考えてしまったのです(両翼女声、中男声)。しかし、それはこのバッハとの関連を伝えたくてである、と思い至ったときに、自分の浅はかさを恥じました。

このバッハでは、合唱団の女声2パートそれぞれを二手に分け、応答する形にしています。それはこの曲が中間部でポリフォニックな合唱とカンツィオナル形式であるコラールとが対話するよう歌われる部分があるためで、そのために合唱団をいわば女声だけ二つに分けているのです。そうしても実は前の曲でも全体としてはまったく問題なく、この二人の関連性とその基となるスウェーデンの文化を表していると気づき、恥じ入った次第です。

勿論、この曲では完全なアンサンブルを聞かせてくださいました。

9.「主に向かって歌え」(スヴェン=デヴィッド・サンドストローム

この3曲とも共通していえることなのですが、指揮者ダイクストラはバッハとスヴェン=デヴィッド・サンドストロームの差をも際立たせてくれています。例えば、同じLobetはバッハとサンドストロームとでは違いますし、この曲のうたいだしであるSingetもバッハと違います。バッハと違い、この曲ではSingetはふたたび細切れで、つぶやくような音になっています。それがピアノで続いていきますので、集中力を切らすわけには行かないはずです。

しかもこの曲は前の曲に比べ長い曲で、全体が3部に別れています(実は、この構造もバッハのBWV225と一緒であることを付記しておきます)。途中からフォルテとなって盛り上がっていきます。

サンドストロームのこの2曲ともなのですが、途中フレーズの最後がハミングになる部分があり、それはたいていピアノもしくはピアニシモで歌われています。それまでフォルテだったフレーズはまるでいきなりフェードアウトするかのように最初のピアノもしくはピアニシモへと表現されてゆきます。そのくりかえしで曲はしばらく続き、最後盛り上がって、さてハレルヤは今度は盛り上がるのか!と思いきやまたもやあっけなくピアノでかつ半終止で終わります。

拍手していいのかどうか迷うくらい、あれ、これで終わったんだよね?という最後でしたが、そのご万来の拍手が沸き起こりました。

当日はさらにアンコールを2曲演奏してくださいましたが、曲名は残念ながらわかりません。アンコール第1曲目、指揮者ダイクストラがさーっと脇へよけ、合唱団だけでアンサンブルを作っているのに感動して、思わず最後にブラヴィ!をかけました。まあ、プロだから当たり前といえばそうなのですが、指揮者なしで40名超がアンサンブルをあわす為には、よほど訓練をしてさらに力がなくては出来ません。その基礎力に対して、賞賛する意味で私はかけました。

しかし、一つだけ辛口にいいますと・・・・・

プーランクの「自由」、あの曲は最後女声が一人だけ高音で「自由と」とさけぶのですが、女声でもなかなか難しいのではありますが、この部分は日本の合唱団、ザ・タロー・シンガーズのほうが断然上です。発声もきれいですし。一方のスウェーデン放送合唱団は、全体的には力強さがありましたが、最後のその部分はやはりちょっとだけかすれ気味・・・・・

人間の顔が第二次大戦中、まさしくレジスタンス活動の一端として作曲されたことを考えますと、もう少しその点は大事にしかし大胆に歌って欲しかったと思います。

それ以外は、ほぼ満点の、すばらしい演奏会でした。