かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

想い:アマチュアでもこれだけやれる

先日の12月13日、私は荻窪にある杉並公会堂へコンサートを聴きに行ってきました。昨年も取上げました、コア・アプラウスの2009年の演奏会です。

曲目は、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」。かなり渋い曲で、アンサンブルをあわすのが大変な曲です。

ブラームスの曲というは、ブルックナーもそうですが重厚な和音が特徴です。混声四部合唱なのに実際は八部であるなど普通にあります。それは、発声とアンサンブルがしっかりとしていないと歌いきることができないことを意味します。

実力は折り紙つきだと私は思っていますが、それでも、アマチュアなのです。正直、プロほどの期待はしていませんでした。行く途中もカラヤン指揮、ウィーン・フィルと楽友協会合唱団というすばらしい演奏を聴きながら行っていますし・・・・・

ところが、第1曲目「悲しんでいる人たちは幸いである」が始まったとたん、イメージは一変しました。

なんと美しいアンサンブルだろうか・・・・・

それはまるで、天上の音楽です。天使が舞い降りたような、やさしくかつしっかりとした発声。涙がとまりません。

マチュアらしいあらは全く聴こえてきません。むしろ、オケのほうにそれは顕著でした。それでも、普通のアマオケに比べればものすごくレヴェルが高いのですが・・・・・

第2曲目と第6曲目はバリトン独唱と合唱という組み合わせですが、どちらも合唱がすばらしく、特に感じましたのは空気圧でした。フォルティシモで空気が自分にぶつかってくるのです!吹き飛ばされそうになりました。これほど空気を感じるコンサートも珍しいと思いました。

今回も、音色を考えて2階席を選び、しかも今回は早めに行ってど真ん中を選んだのですが、それよりもそういう空気が自分にぶつかってくることのほうがすごかったです。位置取りのせいもあるのでしょうが、それでも本当に吹き飛ばされそうになりました。

指導者であるメゾ・ソプラノは今回第2曲目から登場。第5曲目しか登場しませんが、これは指揮者の配慮かなと思いました。というのも、この女性いつも肩に力が入ってしまい、もっとのびのびと歌えるはずなのにそこがどうしても歌いきれていないという感想になってしまうのが欠点なのです。

しかし、今回はそれはだいぶ緩和されていたように思います。もし、頭から参加していたら、感受性が強い方なのでおそらく今回も肩に力が入りまくっていたことでしょう。今回も若干は力が入りすぎていたのですが、それでもほとんど問題がありませんでした。

全体的に合唱はアンサンブルが秀逸で、かつアインザッツの強弱もメリハリが利いており、1時間10分ほどがあっという間でした。テンポも速めで、ドイツ・レクイエムにありがちな後ろ向きな姿勢があまり見られず、むしろこの曲にはこれだけ前向きな要素があったのか!と目からうろこ状態でした。

これだけの演奏をするためには、地道な努力をいくら重ねたろうかと思いますと、終焉後舞台上に人が一人もいなくなるまでせきを立つことができませんでした。私もかつては合唱団員。そのイチローなみであろう苦労を考えますと、すぐに席を立つなど失礼であると思い、動けなかったのです。

特に、ソプラノの一人はかつて私が目をかけた方なのです。歌うことに不安を感じ、同じくアマチュアなので指導する資格などない私にいろんなことを質問されてきました。私はそれに誠実にお答えしました。発声時における注意事項、練習中の注目点、などなど数え上げればきりがありません。

そのときは私よりもうまく発声できなかったと記憶していますが、もうすっかり私を追い越して行ったなあと、うれしくてたまりませんでしたし、尊敬のまなざしで舞台を見つめていました。私はそれだけの種をまいた。それで充分しあわせです。必ず、その方が他の方にまた種をまいてくれることでしょう。それがつながれば、かならず合唱の輪が広がり、確実に日本のアマチュア合唱団のレヴェルは向上するでしょう。

先日、事業仕分けの内容にプロの演奏家が反対をされていましたが、アマチュアは国から一切お金をもらっていません。それでも、恐らく日本国内でも最高レヴェルの演奏ができることを考えますと、私はどうしてもそのご意見に異を唱えたくなるのです。