かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

ベートーヴェン ピアノソナタ第28番イ長調作品101

今日は、ピアノソナタ第28番です。正直、最初聴いたときには単に美しいという印象しかなかったのです。カップリングが「ハンマークラヴィーア」ですし。

しかし、この文章を書くにあたってウィキペディアで調べましたら、以下の文章に目が留まりました。

「作風として、ベートーヴェンのロマン期・カンタービレ期から後期への橋渡しをする入り口となる、重要な作品である。即ち、この作品は第26番Op.81b『告別』や第27番Op.90のソナタのような豊かな歌謡性を備えながら、孤高の境地へと達する後期のスタイルの特質を併せ持ったものである。」

そういわれれば、そう思います。

まず、この作品は改めて聴いてみますと、まず第1楽章はゆっくりと美しく、何かに憧れているかのような、憧憬のような音楽で始まります。思わずうっとりとしてしまいます・・・・・

しかし、それを破るような、鍵盤の連打!なんじゃこりゃ〜

その後の第2楽章。一応「行進曲」です(というより、第2楽章に行進曲をもってくる時点で、もうまた「なんじゃこりゃ〜」です)が、それがまた諧謔的で、まるでジャズのようにも聴こえます。確かに、この部分は初めて聴いたときには衝撃でした。山根弥生子さん、どんだけノリノリで弾いていたのでしょうか。

で、注目は第3楽章なのです。ウィキペディアでは以下のように解説しています。

「緩徐楽章を序奏としたフィナーレと見ることができる。その橋渡しの部分で第1楽章の主題が回想されるが、これは後に交響曲第9番で用いられる手法である。主部は堂々としたソナタ形式。展開部がフーガで開始されるのはピアノソナタ第29番『ハンマークラヴィーア』以降、後期ソナタの特徴である。最後は喜ばしく閉じられる。 」

これを読んだ上で改めて聴いてみますと、なるほど、確かに似ている・・・・・第九そっくりです。

序奏があって、第1楽章の回顧が始まったかと思うと、怒涛のごとく主題提示部が始まります。そして、一呼吸すると、主題展開部はフーガ。このフーガがまた見事です。考えてみれば、このフーガの採用も「なんじゃこりゃ〜」です。古典派じゃなかったっけ・・・・・

しかし、そのフーガは見事です。堂々としています。まさしく、この楽章から確実に音楽は孤高の領域へと入っていきます。しかも、そのフーガから見事に自然に主題再現部へと入ってゆき、最後は喜びに満ちて終わります。

こう見てみますと、第九へつながる「びっくり箱」がたくさんあり、しかも、音楽的にも驚きとその精神性の高さとがあり、聴けば聴くほど味が出ます。しかも、ウィキペディアにはこんな説明も・・・・・

「※CDによっては、序奏部分が第3楽章、ソナタ部分が第4楽章となっている場合もある。」

え、何だって?ということは、三楽章形式なのに、四楽章形式と捉えてもいいということか・・・・・

となると、どこまでこの曲は意欲的な作品なのでしょう。聴いてみると最初が美しいだけ、あっという間に音楽が終わってしまうのですが・・・・・

ベートーヴェン、心憎いですね〜。きっと、天国でほくそえんでいるでしょうね。

この曲からは必ずフーガが使われるようになります。その点が、後期の作品は注目ですし、また、ジャズらしい曲調が随所に出てくる点も注目だと思います。それはまたおいおい述べて行きたいと思います。