今日は、「ハンマークラヴィーア」を取上げます。といっても、もうこれで三度目になりますが・・・・・
もちろん、ベートーヴェンのピアノソナタ全曲を取上げるシリーズの一環として、ということになります。
初めては、瀬川玄さんの魂のこもったすばらしい演奏。そしてCDはここで取上げている山根弥生子さん。聴くたびに、私はなんとすばらしいタイミングにすばらしい演奏家でこの曲に出会ったのだろうと、感謝の念でいっぱいです。
4楽章形式で、この曲が4楽章の曲としては最後になります。期せずして、形式的には革新的なものですね。そして、スケールも一段と大きくなり、孤高さはより鮮明になります。
第1楽章のあのきらびやかとも言うべき、壮大な音楽は初めて聴いたときには興奮しました。生でベートーヴェンのピアノソナタを聴いたのは初めてでしたし(ピアノソナタ一曲丸々は、32番が初めてです。グールドでした)、しかもそれが「ハンマークラヴィーア」。
今改めてここまで全曲を振り返ってみますと、私は初めてにしてなんとすごい曲を生で聴いてしまったのだろうと、驚かずにはいられません。
「ハンマークラヴィーアか。何もかもが美しい・・・・・」
と、宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長のようにつぶやかずにはいられません。
内容的にも、第1楽章と終楽章にフーガがあり、名実共にベートーヴェンのピアノソナタを代表する名曲中の名曲と称えられるべき曲でしょう。ピアノソナタの中でも「別格」としても差し支えないでしょう。
フーガは特に第4楽章はかなり早い段階でフーガへと突入し、音楽がさらに高みへと昇華されています。
これぞ、「温故知新」なのでしょう。もともとフーガは、バロックで確立した形式です。モーツァルトもレクイエムなど数える曲でしか採用していません。エマニエル・バッハに師事したのにも関わらずです。一方、ベートーヴェンは後期ピアノソナタ全曲に採用し、さらにはそれを交響曲でも採用しました。しかも、それは二重フーガであったわけです。それが第九です。
ベートーヴェンがこの曲に関して一切の妥協をしなかった理由は、そんなところへのこだわりにあるのかもしれません。「50年も経てば人も弾く!」と。しかしながら、弾くようにはなりましたが、依然難しい曲であることは確かなようです。どのピアニストへ伺っても、「大変だ」という言葉しかかえってきません。
もともと、フーガは難しいのです。私も第九を歌ったことがありますから、その難しさは身にしみてわかります。何が難しいかといいますと、ひとつにはタイミング、そしてもうひとつは同じようなフレーズを聞き分けながら間違わず正確に演奏してゆくという姿勢を保ち続けることなのです。
そのためには、ものすごい集中力が要求されます。場合によっては、イチローなみの能力すら要求されるのです。
ですので、上手に弾きこなす方は尊敬してしまいます。
とにかく、フーガが二つの楽章で出てきて、それがさらに時期的にはすでにロマン派へ片足を突っ込んでいるような状態(特に、第3楽章でそれを見ることができます。一瞬、ジャズめいた部分もありますね)で採用されているということ自体が「なんじゃこりゃ〜」です。それだけのびっくり箱を用意して、音楽は壮大かつ孤高、さらに華麗にして、別格。
もう、これ以上どのような言葉で表現すればいいのでしょう。
この曲はどんな演奏家でもかまいませんのでとにかく聴いてみることをお勧めます。