かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

ベートーヴェン ピアノソナタ第26番変ホ長調作品81a「告別」

今日は、第26番「告別」を取上げます。標題からして、悲しい曲なのでは?と思いきや、とても明るい曲です。すがすがしさを感じるくらいです。

この標題はベートーヴェンがつけているのですが、どこをどう聴いても「告別」という悲しいイメージがわきません。

毎回、間違いがないようウィキペディアを参考にして書いているんですが、これに関しては特に触れていないんですよね。

で、毎度のごとく私なりに考えてみたのですが・・・・・・

この26番は三楽章形式ですが、各楽章に標題がついています。それぞれ、ドイツ語で、「告別」「不在」「再会」となっています。つまり、離別〜再会までを描いているのです。

実際、この曲はベートーヴェンパトロン・弟子・友人だったルドルフ大公がウィーンを離れ、再び戻ってきたという出来事を扱っています。つまり、別れだけを描いているのではないということが特徴だと思います。

しかも、ルドルフ大公がウィーンを離れた理由は、ナポレオンのウィーン侵攻が原因でした。つまり、戦争です。実はこのことが、ベートーヴェンをして愛国心を目覚めさせることになりました。各楽章の標題がドイツ語であることがその表れです。その傾向はさらに次のピアノソナタで明確になります。

そういうテクストで考えますと、この曲に悲しみがない理由がわかるような気がするのです。つまり、いったんは別れてしまいますが、この戦争ドイツ側の勝利で終わり、再会を果たしました。ですので、単に「不在」になっただけであって、すぐ再会できたわけです。その喜びが大きかったのではないかと思います。

本来、ナポレオンの「自由、平等、博愛」に共感したベートーヴェンですが、ナポレオンが皇帝になったことにひどく怒っていたというのは、「英雄」のエピソードでも有名です。さらに、他国を侵略するという「専制からの解放手法」にも疑問を持っていたことが、「戦争交響曲」を書いたことでもわかります。

また、出版社がフランス語で標題をつけた(実は、この時代フランス語で標題をつけることはポピュラーでした。実際、私の山根弥生子さんのCDではフランス語になっています)ことに対しては抵抗し、ドイツ語で書くようにと注文をつけています。このことから、彼はドイツやその文化圏に対する愛国心を深くしていたことが読み取れます。

それがはっきりとわかるのが、以下のベートーヴェンのブライトコプフ・ウント・ヘルテル社に対する抗議文です。

「lebewohlはles adieuxとは全く違うものである、前者は心から愛する人にだけ使う言葉であり、後者は集まった聴衆全体に対して述べる言葉だからである」

アディオスはよくわかりませんが、映画「レ・ミゼラブル」の原語では個人に対しても使っていたように思います。一方、ドイツ語のほうを調べてみますと、確かに個人に対して別れの言葉をいうときに使うようです(郁文社 独和辞典)。だからこそ、ドイツ語表記にこだわったのだと思います。

こう考えて見ますと、一見すると標題以外にも多くの特徴があることが浮かび上がってきます。その上、実際には第2楽章と第3楽章は続いて演奏されますので、この曲は事実上の2楽章形式を取ります。

なんと、びっくり箱だらけです!

ほんっとにもう、ベートーヴェンって人は・・・・・とんでもない人です。