かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

ベートーヴェン ピアノソナタ第22番ヘ長調作品54

今日は、ピアノソナタ第22番を取上げます。ウィキペディアにも書かれていることですが、この曲は本当に影が薄いですねー。

しかし、そうであればこそ、取上げてみたいと思ってしまうのが、私の性分です。困ったもんだ。

実は、大学の卒論もそれで大失敗しているんですよ。テーマは、「院政期の天皇と摂関」。専門家でもあまり触れたがらない分野です。そのため、論文もすくないですし、著作ももちろん少ないです。

ですので、学士論文なのに、かなり強引な自説を展開しました(汗)

こういう作品を取上げるたび、そのときの思い出がよみがえってきます。

で、この第22番ですが、おそらくベートーヴェンピアノソナタの中では2番目くらいに短い曲ではないでしょうか。私が聴いている山根弥生子さんで10分ほど。11分台を切る位でしょうか。ソレくらい短い曲です。

ただ、この曲はかなり面白いです。まず、ソナタ形式を持たない点、そして最初のきちんとした2楽章形式であるという点です。

詳しい作曲の動機はわかっていない(ウィキペディアより)そうですが、私は状況証拠から(このあたりが、卒論から脱却できていない部分でもあるんですが^^;)、ソナタ形式を持たないソナタを目的としたのではないか、と思うんです。

それは、「ベートーヴェン音楽夜話」などでもmusiker氏が述べていますが、ベートーヴェンにとってはピアノソナタは実験の成果であると同時に、さらなる実験の舞台でもあるわけです。そのひとつの集大成として、この22番があるのではないかという気がするのです。

第九で考えてみましょう。第九はもちろん、第1楽章こそソナタ形式ですが、本来ソナタ形式であるはずの最終楽章は、変奏曲形式です。合唱が入っているという点に注目が集まってしまいますが、本来第九の革新性はそのことではなく、むしろ最終楽章にソナタ形式がない、という点にあるのです。それは、後の時代、マーラーへと受け継がれてゆきます。

そう考えて見ますと、この作品の重要度はかなり高いと私は思います。