今日は、ピアノソナタ第17番を取上げます。一般的には「テンペスト」の名で知られています。
この曲ほど、短くもいろんなネタがある曲もないのではないでしょうか。まず、「テンペスト」。本好きの方ならお分かりでしょうが、もちろんシュエークスピアのテンペストに由来します。ベートーヴェンが弟子のシントラーから曲の解釈を求められたときに「シェークスピアのテンペストを読め!」といわれたという逸話に由来するからです。
ただ、私の聴いている山根弥生子さんの演奏では、パッケージに「テンペスト」とは書いていないのです。つまり、標題なしです。ですので、どこまでこの曲がテンペストを念頭において作曲されたのかはわかりません。恥ずかしながら、私自身テンペストを読んだことがありませんので、この曲がどこまで原作を反映したものかを判定することができないのです。
ですので、いつかはテンペストを読んでみたいですね。しかし、類推できないことはありません。実は、この「テンペスト」は多くの作曲家が題材として取上げており、その中にチャイコフスキーがいます。彼もテンペストの序曲を書いているのです。その曲とこの第17番とを比べてみますと、コンテキストに共通のものは感じられますので、恐らく逸話はあながち間違いではないのではないかと思います。
特に、それを感じることができるのが、ニ短調という調性です。これは第九と同じ調です。英雄的でかつ悲劇的な調性なので、テンペストをあらわしていても不思議はないのです。
その上、ベートーヴェンはボン大学の聴講生でした。そこでシェークスピアにも触れたことがわかっています。そういう情報を総合すると、私はこの曲はまさしくベートーヴェンが言うとおり、テンペストを根底に置いた曲であると考えます。
上記でニ短調であることを取上げましたが、この曲は最初と最後がニ短調という調性構成をとります。つまり、ニ短調は主調であるだけでなく、全体を貫く調でもあるわけです。これは実は珍しく、普通主調は第1楽章に使い、後は変化させることが多いのですが、ここでは最後にもう一度もってきているわけです。ベートーヴェンのこの曲にこめた意思を感じます。
ウィキペディアでは、第3楽章を取上げ、「第3楽章は、ごく短い動機が楽章全体を支配しているという点で、後の交響曲第5番にもつながる実験的な試みのひとつとして考えられている。」と述べられています。さらに、全楽章ソナタ形式で、でも三楽章形式と、実はかなりの「びっくり箱」ぶりです。その上、曲そのものも今までとはがらりと変わります。いわゆるベートーヴェンらしい、高貴で、英雄的な部分が支配しています。今までのいわゆる「サロン風」が、ここからはひとつの高みへ登ろうとしようとしているのがはっきりと見て取れます。
それが、耳が聞こえなくなってしまったということを認識してしまった、いわゆる「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたことと関係があるのかどうかはわかりません。少なくとも、耳が聞こえなくなっているという「事実」が影響していることは間違いないのではないかと思います。それほど、この曲は他の作品と一味違って聴こえます。
山根弥生子さんはアコーギグのすくないピアニストです。少なくとも、私が聴いている演奏ではほとんどテンポのゆれがありません。それなのに、ここまで何かを感じるということ自体が、この曲がもつエネルギーと、革新性を物語っているように思います。