いよいよ、第32番を取上げます。やっと最後のピアノソナタまで〜、キター!
と多少おふざけ気味に始めてしまいましたが、そうしないと文章が堅くなるくらいこの曲は孤高であり、内面的であり、耽美的であり、幻想的であり、かつ、遊び心がありと、いろんな面を持ち、しかも厳しさの反面温かみもあるという、ベートーヴェンのピアノソナタの集大成という言葉がぴったり来る曲です。
幻想的かつドグマを含む第1楽章、天上の音楽と見まごうばかりの第2楽章。どれも語りつくせません。
実は、この曲は私が始めてベートーヴェンのピアノソナタを全曲聴いた曲です。FMでグールドを聴いて衝撃を受け、しかしそのときは全曲ではなかったので、全曲聴きたいと思っていましたら、その当時の友人が「グルダならあるよ」
あのう、欲しいのは「グールド」なんですけど・・・・・・
でも、だまされたと思って聴いてみてくださいと言われ、なら、「グルダ」をくださいってお願いをしていただいたのが最初です。
グルダといえば、バッハを尊敬し、モーツァルトはあまり重視しないと言われています。しかしながら、私がいただいたのはそれをものの見事に覆す演奏だったのです。それを理解するのに約7年かかりました。
演奏は、その方がFMよりエアチェックしたもので、ウィーン芸術週間でのライヴ。まず、バッハのクラビコードでの演奏で始まり、次にモーツァルト。幻想曲ニ短調K.397なのですが、最初はぜんぜん違う曲で始まります。実はそれがジャズなのです。まず、ジョー・ベヌッティのジャズから始まり、それがクラビコードへ変化し、いつしかピアノでのモーツァルトに変わって行きます。
グルダは、モーツァルトを散々いじったと言われていますが、確かにいじったのは確かです。しかし、それはモーツァルトに対する低評価から来るものでは決して在りません。むしろ、モーツァルトという作曲家の特質をよく知っているが故のいじくりなのです。その展開がなんと自然なことか・・・・・
これが本当に低評価なら、もっといい加減に遊んでいます。しかし、遊んでいるとはいえ、基本線はしっかりと維持しています。まじめさすら感じることができます。
そして、生真面目なモーツァルトを挟んで、その後が、第32番なのです。
グルダといいますと、ジャズに挑戦したクラシックピアニストとしても有名です。山根弥生子さんで聴いたときに、「そういえば、グルダでもっていたはずだ」と思い出したのです。
で、両方聴いてみました。どちらも第2楽章の該当部分、ジャズっています。そして、どちらもごく自然にクラシックへと帰ってゆきます。
グルダがこの曲をモーツァルト+ジャズの後にもってきたところに、彼の言いたいことが詰まっているように思います。変幻自在は、モーツァルトだけではないよ、と・・・・・
モーツァルトの即興性もすばらしいが、ベートーヴェンはそれを考え抜いて作曲したわけです。その完成度と精神性をもっとよく聴いて欲しい。そんな気持ちだったのかもしれません。
形式を見てみれば、二楽章形式。最後は革新的な構成で終わっています。しかも、のっけからフーガですし、最終楽章にはジャズがある。それでいていろんなのがあってまとまりがないのかといえば、全然そんなことはなく、とても構成上まとまっています。しかし、その精神性と技術要求水準が高いせいで、演奏はとても難しいという代物です。
恐らく、こう書いてみても私は全てを理解したわけではないと思います。それほど奥深い曲です。
考えて見ますと、この時期の彼の作品はそのような曲がおおく、そのうちのひとつが第九です。特に最終楽章は歌っても歌っても歌いきれません。これでよしなどとはまったく思えません。今半ば卒業した形になっていますが、それでも私は第九だけはまったく歌いきっていないと思っています。
さて、今回でベートーヴェンのピアノソナタはひとまず終了とさせていただきます。閑話休題でひとつ歌謡曲の話題を取上げさせていただき、その後はベートーヴェンの弦楽四重奏曲を取上げたいと思います。その合間に買ってきましたCDの話題をさせていただきたく存じます。