毎週金曜日の「友人提供音源」、今回はグルダの名演をご紹介します。
これもFM音源なのですが、そんなことが全く気にならないクオリティです。
実は、この演奏は以前ご紹介しています。ベートーヴェンのピアノソナタ第32番を取上げたときに聞き比べでご紹介しているのです。
収録されているのは、バッハ、モーツァルト、ジャズ、自作の演奏、そしてベートーヴェンです。
このCD(正確にはCD-R)は私の人生を変えたといっても差し支えないでしょう。それまで交響曲か合唱曲しか興味のなかった私を、ピアノ曲へ向かわせた一枚なのですから。
フリードリヒ・グルダ。名前だけは知っていましたが、どんな演奏をするのかは全くの未知の人でした。それでも、この演奏を求めた理由はその内容にあります。
演奏のいくつかがクラビコード(チェンバロとは違います。詳しくはウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89を参照してください)で行われているのです。私はそれに興味をそそられ、お願いをしました。つまり、当時の私にとっては、これは珍演奏を集めるに過ぎませんでした。
ところが、実際聴いてみますと、とんでもなくすばらしい演奏だったのです。グルダのすばらしさを知っている方からみればそんなの当たり前だと仰るかもしれませんが、ピアノ曲をほとんど一切聴いていなかった当時の私からすれば、それはまさしく目からうろこがとれた瞬間でした。
バッハのフーガとイタリア協奏曲、そして彼の自作「リコのためのアリア」はクラビコードで演奏されています。グルダを調べてみますと、彼はいろんな実験をしているのです。ジャズに挑戦したりとか、枚挙に暇ありません。恐らく、この演奏は彼にとってその一部に過ぎないのでしょう。
その演奏がどのようなシチュエーションで行われているのかも注目です。1978年のウィーン芸術週間という、広く知られた舞台で行われているのです。
そういう意味では、半分はすべて実験と言っていいでしょう。1曲目と2曲目のバッハを完全クラビコードで、そして3曲目のモーツァルトをジャズを導入部としてその部分にクラビコードを使用、そして原曲部分ではピアノと凝った構成ですが、それが全く飽きないのです。
普通、このような演奏はどこかで飽きがきます。それが全くないのです。このことが、私をピアノの世界へと導くことになりました。
ピアノを基礎として、いろんな楽器が織り成す世界。それにすっかり魅了されたのです。
それでもっとピアノ曲を聴ければよかったのですが、当時私は合唱団で広報を任されていたことと、仕事上厚生年金基金が大転換期を迎えていたということもあり、ピアノ曲まで聴くだけの余裕はありませんでした。しかし、この演奏を聴いていなかったら、恐らくその後県立図書館へ行ったときにベートーヴェンのピアノソナタを全曲借りて聴いてみようとは思わなかったことでしょう。
その決定的な理由となったのが、収録されているベートーヴェンのピアノソナタ第32番でした。それだけいろんなことをやっておきながら、メインはベートーヴェンの最後のピアノソナタを持ってくる。しかも、その手前には彼はあまり評価をしていなかったというモーツァルトの幻想曲を持ってきていて、ピアノ一台でこれだけの世界があるのかと驚嘆せずにはいられませんでした。
実験のメインは、何と正当なピアノ曲。しかも、ベートーヴェン。しかし、第32番がどのような曲か知っていらっしゃる方は、なるほどな〜と唸らずにはいられないでしょう。その2曲前、グルダはモーツァルトの幻想曲ニ短調K.397を持ってきているのですが、これが上記しましたジャズを導入部としてクラビコードやドラムスを使用し、その後原曲部でピアノを使うという構成なのです。つまり、これはベートーヴェンのピアノソナタ第32番を持ってくる導入ともなっているのです。
それは、ベートーヴェンのピアノソナタ第32番の第2楽章を聴けばわかります。この楽章ではジャズらしい部分があり、ジャズはここから始まったという意見もあるくらいジャズらしく聴こえます。それを最後の頂点に持ってくるための仕掛けが、クラビコードの使用とモーツァルトの幻想曲でのジャズの使用だと考えていいでしょう。
まさしく、これは「グルダの世界」なのです。
この衝撃が、私を今ピアノ曲へといざなっています。
聴いているCD
グルダの世界
(友人提供のFM音源のため非売品)