かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第15番・第16番

昨日に引き続き、神奈川県立図書館所蔵のアルバン・ベルクベートーヴェン弦四第15番と第16番です。

第15番は私にとっては涙なしには聴けない曲です・・・・・それをなんとまあ、アルバン・ベルクはいっそう涙させてくれるのでしょうか。

みずからが病気になったり、あるいは身内が病気になったりした経験がある人は、この曲を聴いてつい涙してしまうのではないでしょうか。それを、アルバン・ベルクアインザッツのすばらしさと高いレヴェルのアンサンブルで表現します。

特に、第15番の第3楽章。この曲は病気からの快復を神に感謝する楽章ですが、それがなんとも美しすぎて涙が出てきます。

恐らく、この作品を作曲してまもなく、ベートーヴェンが死んでしまうことを知識として私は知ってしまっているせいかもしれませんが・・・・・・

一方の第16番。これの何と明るいこと!まだまだ私はやれますよ!もっと作曲しなくちゃね、なーんてベートーヴェンが言ったのごとくの作品で、それを生き生きと表現するアルバン・ベルクはもう最高としか言いようがありません。

実は、私はこの第15番と第16番を聴きますと、亡き母を思い出すのです・・・・・

母の最期は癌でした。子宮頸部腺癌。見つかったときにはレヴェル�Vで、すでに5年後の生存確率が50%という厳しい状態でした。そんな中、一度目の手術は成功し、快復しました。ちょうど第15番を作曲したときのベートーヴェンのように・・・・・

ところが、2年も経たないうちに転移。最後はなんとも明るい母のわがままを残し、私たちの前からあの世へと旅立ってゆきました・・・・・あのお菓子が食べたいから買ってきてね、なんて言い残して。

結局、そのお菓子を母は食べることなく亡くなったのです。

この二つの作品は、そんな母との別れを髣髴とさせるもので、それをすばらしい演奏でアルバン・ベルクは表現しています。

かつて、私はこう述べたことがあったと思います。アルバン・ベルクはすばらしすぎて、心の琴線に触れるので、スメタナのほうがいいのです、と・・・・・

実は、そう述べる背景には、私の母との別れも深く関係しています。母との別れを思い出さざるを得ない場面もあるのです。ですから、アルバン・ベルクのほうがすばらしいに決まっていますが、それでもスメタナ四重奏団の演奏のほうがいいときもある、ということなのです。

アルバン・ベルクのこのすばらしい演奏を受け入れることのできた1年半前、恐らく私は母を失った傷をようやく修復できたのかもしれません。恐らく、それより前は聴いても拒絶していたように思います。

この演奏を聴いたときに流した涙を未だに忘れません。一ついえることは、この一枚が私の心を根底から慰めてくれたということです。

もしこの一枚に絶妙なタイミングで出会っていなかったら、もしかすると私は未だに母を失ったことを思いっきり引きずっていたことでしょう。

まだ引きずっていないかといったらうそになりますが、だいぶ楽になったことは確かだと思います。

そんなことをどうしても考えてしまう一枚です。



聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132
弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135
アルバン・ベルク四重奏団
(元CD:東芝EMI TOCE-6003)