今日はピアノソナタ第18番です。作品31三部作の最後ですね。
この曲は軽く、「狩」という標題もつけられることもありますが、私としては「狩」という標題ですと、モーツァルトの弦楽四重奏曲のほうが印象が強いので、あまり狩というイメージはわきません。
しかしながら、第1楽章をよく聴きますと、第1主題がなんとなくそれらしく聴こえます。
運命の動機が形を出した最初の曲ということもあり、聴いていますとだんだん運命のように展開してゆき、飽きが来ませんが、それを知らなくても充分楽しめる内容で、かつ転調もベートーヴェンらしさが随所に出ていて、軽いとは一概に言えない内容です。
全体的には明るさが支配し、はたしてこの時期、遺書を書いたのか?と感じざるを得ないのですが、ところどころで、それらしい転調が出てきますね。それが、軽いだけではない内容になっているのだと思います。
ですから、この曲が明るいことが、余計胸に詰まります。実際は、死にたいくらいの絶望をしていたはずなのに、曲からは具体的には現れません。部分部分です。一体、この強さはどこから来るのか・・・・・
遺書を書いたくらいですから、彼も弱い人間だったはずなのです。しかし、この曲からはさほど感じません。なぜなのでしょうか。
ハイリゲンシュタットの遺書では、それは神から与えられた使命であると書かれています。それが本当かどうかは定かではありません。しかし、ひとつのきっかけになった可能性はあるのではないかと思います。
神からでなくても、私たちが困難にぶつかったときに、どのような気持ちでことにあたれば、心を強くもてるのかを、教えてくれているように思います。それを乗り越えるのが自分に与えられた使命である、と。
しかし、そこまで行き着くのは容易なことではないと思うのです。信仰があるから、ベートーヴェンはすぐそう考えたのかといえば、私は絶対違うと思います。もっともがいたはずです。逃げようとはずです。いや、いったんは逃げたこともあったはずです。
でも、彼はそこから立ち上がり、その困難を乗り越えるため、それを「使命」と考え、立ち向かっていったのだと思います。だからこそ尊いと、私は思っています。
運命のように華々しくはないですが、この曲からもそれをひしひしと感じ取ることができます。