今日は、「熱情」です。ベートーヴェンのピアノソナタの中でも最高傑作と言われる作品ですね。
確かに、聴けばその構成と音楽、そしてこめられた精神に圧倒されます。どんな言葉で飾っても足らないでしょう。
まずは、素直に耳を傾けていただくことをお勧めします。
第1楽章を聴きますと、あれ?って思われる方が多いのではないかと思います。なぜなら、運命と同じ音形とリズムが出てきますので。
「タタタタン♪」という連打。それはまるでこの曲がピアノ版「運命」なのではないかと思うくらいです。ドレくらい関連があるかはわかりません。しかし、この曲が運命と同じ時期に作曲されたのは事実です。作品番号は運命より10若いのですが、この時期はいわゆる「傑作の森」の時期ですので、結構慎重なベートーヴェンも多作です。ですので、番号が離れているのはそれほど問題にはならないのではないかと思います。私も、この曲からは運命と同じ精神を感じます。
静かに始まり、そしてだんだん激しくなっていきます。途中、穏やかな部分もありますが、最後で再び嵐のような音の連打。聴いているうちに熱い気持ちが湧き上がってきます。
私は番号順に聞いてきて、特にこの時期はハイリゲンシュタットの遺書が書かれた時期なので音楽がどう関係してくるのかに注目して聴いていたのですが、書かれた時期より少したってからのほうが激しい曲が多いということに注目しました。
人間というのは、本当に悲しいときには涙すら出ません。確かに悲しいのですが、それをやりすごそうと必死なので、泣いたりわめいたりする暇がないのです。しかし、しばらく経ちますと、それが深く、かつ激しい悲しみとなってその身を包みます。それは、私も同じ経験をしましたので、よくわかります。
恐らく、ベートーヴェンも耳が聞こえなくなったというわが身に降りかかった悲しみの渦中では、明るさを保とうとしていたのですが、それがこの曲を書いたときには、もう抑えきれないほどの感情に包まれていたのだとすると、しばらく経ってからのこの曲が激しいというのはとても納得できるのです。
形式的には三楽章なのですが、どんな理由で三楽章を選んだかはわかりません。ただ、今までのピアノソナタよりさらに高みへ登ったことは間違いないのではないでしょうか。深い悲しみの中で、形式の革新性など考える余裕はなかったかもしれません。いずれにしても、この曲は私にとっては、同じ悲しみを抱えた人間同士、魂と魂で理解しあえるような気がします。たとえ、彼ほど私が尊くなくても。
人間ベートーヴェンが、自分の悲しみを聞いて欲しくて書いた曲だと、私は思いますので。