今日は、ピアノソナタ第12番です。まず、目を引くのが「変イ長調」。あまり聞かない調性ですね。
そこで、変イ長調を調べてみました。出典はウィキペディアです。
「古典派時代以前の鍵盤楽器の調律法として主流であった中全音律では、この調の主和音が大変汚い響きになってしまう。そのため、機能和声上極めて重要なV7→Iの和声的解決がこの調では成り立たない。またヴァイオリンでは音階に開放弦が一つしか含まれないため主要三和音・副三和音ともに倍音の響きに乏しく管弦楽や弦楽を伴う室内楽には適さないとされた。音楽理論家のシューバルト (18世紀活躍) は『墓の調性であり、死、墓、朽ち果てること、審判、永遠がその範疇にある』と述べている。このようなことから、古典派以前の作曲家はこの調を主調に選ぶことがほとんどなかった。」
なるほど、という感じです。つまるところ、変イ長調は音楽として最後が落ち着くことが難しい、というわけです。
それは、この曲が最後また「あれ?」って感じで終わるところに現れています。
しかし、もうひとつ注目は、上記であげた文章の中のこの部分、
「音楽理論家のシューバルト (18世紀活躍) は『墓の調性であり、死、墓、朽ち果てること、審判、永遠がその範疇にある』と述べている。このようなことから、古典派以前の作曲家はこの調を主調に選ぶことがほとんどなかった。」
という点です。しかし、そのウィキペディアのページを見てみますと、実はベートーヴェンはピアノソナタで変イ長調の曲を主調で2つ、楽章でひとつ、合計三曲書いています。具体的には、主調ではこの12番と31番、そして楽章では昨日述べました第8番です。
私は、この点こそ、ベートーヴェンがこの曲であらわしたかったことなのではないか、という気がしてならないのです。その最も最たる点が、この曲の第3楽章が葬送行進曲になっている点です。第3楽章に葬送行進曲を持ってきたいがため、変イ長調という「墓の調性であり、死、墓、朽ち果てること、審判、永遠がその範疇にある」調性を選んだのではないかと思うのです。
多分、この曲を最初に聴いた人たちは、ぶったまげたのではないかと思います。つまり、それ以前は変イ長調という調性をいくら葬送行進曲があるとはいえ、直接全体の調である主調に持ってくることはなかったわけです。しかし、ベートーヴェンは持ってきてしまったのです。
ここに、私はベートーヴェンの「びっくり箱」、つまり革新性を感じるのです。その上4楽章制で第2楽章はスケルツォです。これは後年の第九そっくりです。さらに、ソナタ形式はまったくなく、まさに驚きの連続というべき曲です。
しかし、聴きますとこれがなんとも親しみやすい旋律なのです。特に第3楽章は後年劇音楽「レオノーレ・プロハスカ」WoO96の第4曲に編曲されていますので、聞き覚えのある方も多いのではないでしょうか。実際、私もその一人です。初めて聞いたときに「あれ、これはオケで聴いた事があるぞ!」と思いましたから。
ウィキによりますと、初期から中期に移る時期の作品と説明がありますが、もっといってしまえば、ベートーヴェンが確かにそれ以前のピアノソナタとは一線を画す曲を書き始めようとする「意思」を感じます。
この曲はショパンも好んだそうで、その影響が彼のピアノソナタ第2番でみられるとのことですが、確かに、構成はそっくりだと思います。
しかしながら私はそれよりも、同じ調性の曲の中にシベリウスの「フィンランディア」があることに興味を持ちました。なぜなら、第3楽章の副題が「ある英雄の死を悼む葬送行進曲」と名づけられているからです。この葬送行進曲の相手は調べた限りナポレオンではないようですが、ベートーヴェンがこのピアノソナタを書いたときにはナポレオンがヨーロッパを帝政から民衆を開放して行った時代です。一方、フィンランディアはロシアの圧制からの独立を果たすために書いた曲です。そんな時代の空気を、もしかするとこの曲はたぶんに反映しているのかもしれません。