かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:シベリウス 劇音楽集2

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、シベリウスの劇音楽集を取り上げていますが、今回はその第2集です。

オペラと違う「劇音楽」。なんでこんなものを作曲したんだって思いますよね?というか、劇音楽だと例えばベートーヴェンの「エグモント」などは高評価なんですが、ならなぜ映画音楽は卑下するのですか?実は同じものです。劇音楽とはまさに、演劇のサウンドトラックのことを指すからです。

映画音楽とはまさに、映画のサウンドトラックです。なのに劇音楽は高評価で映画音楽は卑下されるのには、日本だけの特色にさらにもともとは演劇は古代ギリシャ以来の芸術であるという意識があるからではないかと思います。けれども、サウンドトラックであるという点で何ら変わりありません。むしろ20世紀は映画のサウンドトラックで優れた作品が続出した時代です。ショスタコーヴィチしかり、伊福部昭しかり。その他上げればキリがありません。

シベリウスはなぜ劇音楽を手掛けたのか。ネットで目ぼしい情報は見つからないですが、シベリウスの母国フィンランドという国がたどった歴史を紐解いていくと、一つの可能性が浮かび上がります。それは、演劇は多数の人に見られる芸術である、ということです。

それはクラシック音楽を「聴く」というのでも多くということでは同じですが、演劇で自作が流れればそれだけ認知度は上がりますし、何よりも祖国のもう一つの芸術に音楽という分野で貢献ができるということ、なのです。パトリオティストであったシベリウスが、そういった劇音楽を書くことをネガティヴにとらえるとは考えにくいんです。

だからこそ、多くの劇音楽が残されたといえるでしょう。その中には、パントマイムのためのものすら含まれます。それが「スカラムーシュ」。フィンランド独立後なので明るい部分も散見されるのは、そもそもこの作品がパントマイムのための音楽であるということと無関係ではないでしょう。ただ、我が国ではパントマイムというとおどけたというイメージがあると思いますが、本来はそのおどけた部分に隠された風刺や批判を表現している芸術です。となれば、なぜシベリウスがパントマイムのためにも作曲したのかは、おぼろげながら見えてくるのではないかと思います。

ほかに収録されている作品は、シベリウスらしい和声たっぷりで、ともすれば崇高で重々しい雰囲気すら醸し出しますが、この「スカラムーシュ」だけは異彩を放ち、明るさと暗さがらしからぬ塩梅で同居した、けれどもとても味わい深い作品だと思います。

第1集と同じくユッシ・ヤラス指揮のハンガリー国立交響楽団のコンビによるサウンドは、残響が短いけれど豊潤な響きとなっています。特に残響が短いのはまるで舞台でオケが演奏しているかのような感じすら受けます。誠実で堅実な演奏からにじみ出る、演奏者の魂レベルでの共感。それはヨーロッパの伝統を受け継ぎながらも、現代という時代を生きる私たちの魂の反映にもなっています。というか、シベリウスの作品たちはようやく聴き始められたといっていいだけしか時間が経っていません。これからどんどん熟成され、この演奏以上のものが出てくるはずだと思っていますが・・・・・

日本ではシベリウスの音楽を正確にオケに伝える指揮者が少ないのが現状です。心理の側面から思い切った指示が出せる指揮者が今後どれだけ出るのか・・・・・楽しみでもあり、不安でもあります。




聴いている音源
ジャン・シベリウス作曲
《歴史的情景》組曲第1番作品25
《歴史的情景》組曲第2番作品66
スカラムーシュ》作品71
《白鳥姫》組曲作品54
ユッシ・ヤラス指揮
ハンガリー国立交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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