かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ロストロポーヴィチとロンドン・フィルによるチャイコフスキー交響曲全集5

東京の図書館から、7回シリーズで取り上げています、府中市立図書館のライブラリである、ロストロポーヴィチ指揮ロンドン・フィルによるチャイコフスキー交響曲全集、今回はその第5集を取り上げます。

第5集は交響曲第5番・・・・・ではなく、マンフレッド交響曲です。これが全集に入っているのは珍しいのですが、さらに珍しいのは、作曲順で収録されている、という点です。

マンフレッド交響曲は、交響曲第4番と第5番の間で作曲されています。そのため、成立順あるいは作曲順で並べるなら、これでいいわけです。とはいえ、マンフレッド交響曲を「交響曲」として収録するべきなのかは議論の余地はありますが・・・・・

ja.wikipedia.org

どちらかと言えば、交響詩とカテゴライズするほうが適切な感じすらする、マンフレッド交響曲。この全集では交響曲として扱っています。しかも、成立順。第1楽章と第4楽章ソナタ形式であるという点も、交響曲としてカテゴライズされる理由なのでしょう。確かに、ベートーヴェンの「田園」はなら交響詩なのか?ということにもなってしまいます。

ロストロポーヴィチは、ロンドン・フィルを存分に鳴らして、マンフレッド交響曲が持つ物語性の複雑さを分厚いアンサンブルで表現させています。鬼気迫る状況の部分ではその音が一斉に圧を以て聴き手に飛び込み、マンフレッドの壮麗な物語を、文字通り物語らせる・・・・・チャイコフスキーは第1楽章以外は破棄したいと表明しましたが、結局なされなかったのは、この作品が持つ壮麗さによる圧倒的なストーリーではないかと思います。そのストーリー性がしっかりと聴き手の心に刻まれる・・・・・さすがの指揮だと思います。

 


聴いている音源
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
マンフレッド交響曲 作品58
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

今月のお買いもの:アダム・フィッシャー指揮デンマーク室内管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全集8

今月のお買いもの、9回シリーズで取り上げています、e-onkyoネットストアにて購入しました、アダム・フィッシャー指揮デンマーク室内管弦楽団の演奏によるベートーヴェン交響曲全集、今回はその第8回目です。

第8回目は第8番。結構すっきりとした演奏は結構ありますが、情熱的な演奏でその存在感を高めています。快速さを単なる表面的なものにとどめず、古めかしさの中にある革新性を存分に引き出す効果を得ています。

このコンビにかかってしまえば、ファンからは凡庸な作品のように見られてしまいがちな第8番もとても魅力的な作品に聴こえてしまうから不思議です。それはそもそも、作品が持つ魅力だったかもしれません・・・・・

古典派の時代から現代まで、オーケストラは拡大をし続けました。そしてその間、オーケストラの団員達の技量も上がりましたが、そもそも大人数になったのは作曲家が求めた表現と、大人数により音の分厚さを求めたからです。

しかし今では、さらに技量が上がり、古典派の作品くらいならそれほど分厚い音を必要としなくなりました。であれば、基本室内オケで十分であるわけです。この全集はここまで「新しいオーケストラの時代」を明確に宣言しているわけです。この辺りはなかなか評価する人は少ないようです。

もちろん、まだ1曲第九が残っていますけれど、それでもこの演奏の新しさは変らないだろうと思います。ここまで全く飽きさせない演奏を聴かせてくれる全集も珍しく、まさに「新しいオーケストラの時代」を告げる演奏であると言えるでしょう。

 


聴いているハイレゾ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第8番ヘ長調作品93
アダム・フィッシャー指揮
デンマーク室内管弦楽団
(Naxos 96kHz/24bit)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ロストロポーヴィチとロンドン・フィルによるチャイコフスキー交響曲全集4

東京の図書館から、7回シリーズで取り上げている府中市立図書館のライブラリである、ロストロポーヴィチ指揮ロンドン・フィルによるチャイコフスキー交響曲全集、今回はその第4集を取り上げます。

第4集は交響曲第4番、そして幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」が収録されています。この二つを並べてきたかー、という感じがします。

交響曲第4番はチャイコフスキーがロシア的というよりはむしろ普遍的な人間の内面性を描こうとしている作品だと言えます。「フランチェスカ・ダ・リミニ」もダンテの「神曲」からインスピレーションを得た、人間の叫びとでもいえる作品です。ですから、実は似たものを並べていると言えますし、それはチャイコフスキーの音楽の特性を見せている、ともいえるでしょう。

ja.wikipedia.org

チャイコフスキー自身も当時様々な恋愛をしており、おそらく今風に言えば「バイセクシャル」だったと言えるでしょう。そんな自身の経験がこの二つの作品を似たものにしたのかもしれません。ロストロポーヴィチはそのあたりを堂々とオケを鳴らせており、テンポ的には多少ゆったり目で本来ならあまり私としては好きではないテンポであるにもかかわらず、全く気にならないものとなっており、むしろ好きな部類です。

こういった「説得力」こそプロオケの魅力だと思います。今でさえ、LGBTであり続けるということは「運命にあらがう」ことを使命づけられると言えます。ましてやチャイコフスキーが生きた時代をや、です。実はクラシックの世界でも、古くからLGBTの存在が確認されており、当然ロストロポーヴィチも知っているはずですし、ロンドン・フィルの団員達も公然の秘密として知っていたはずです。第4番の内面性や、「フランチェスカ・ダ・リミニ」で取り上げられている秘密の愛などは、共感するものも数多くあったことでしょう。

そういった「共感」が分厚い音として積みあがったのがこの演奏だとすると、情熱的でかつそれが全く嫌味がなくストレートな感情の発露にもなっているのもうなづけます。それが演奏を聴いている私に、恋愛という狭い領域だけではなく、運命に対してどう対処するのかという、現在の自分の状況をどう考えるかという普遍的なものへと変わっているのです。

現在難病にかかっている自分が、今後どう生きていくのか・・・・・こういう演奏を聴きますと、前向きに考えることができるのがうれしいです。

 


聴いている音源
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
交響曲第4番ヘ短調作品36
幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ロストロポーヴィチとロンドン・フィルによるチャイコフスキー交響曲全集3

東京の図書館から、7回シリーズで取り上げている府中市立図書館のライブラリである、ロストロポーヴィチロンドン・フィルによるチャイコフスキー交響曲全集、今回はその第3回目。第3集を取り上げます。

第3集には第3番「ポーランド」が収録されています。この作品はポーランドのリズムが最終楽章でつかわれているためにそう呼ばれている作品で決してポーランドの愛国的作品とまではいえない作品ですが、ロストロポーヴィチは結構速めのテンポを第1楽章で選択しており、結構祝祭感あふれる演奏になっています。

第1番と第2番はかなり国民楽派的な作品であったことに比べれば、「ロシアらしさ」というのは少ないため、ロシア5人組の影響から脱しようとしていると評価される作品であることも関係しているのかもしれません。それはチャイコフスキーの「自立」をも意味していると解釈することもできるからです。そんなチャイコフスキーの「想い」というものをロストロポーヴィチは楽譜から掬い取っているのかもしれません。

これは長く後期ロマン派の「派手」な部分を見てきた我が国聴衆には理解し難いかもしれません。最初私もそうでした。「ポーランド」なのだから、愛国的作品であろ、とつい思ってしまいがちです。しかしロシアの指揮者たちはこの第3番という作品をそのような表面的な理解と解釈をしていないことに気付くと、その祝祭的な音楽は実はまったく意味が異なるのだ、と気づかされるのです。それが、チャイコフスキーの「国民楽派」からの自立、です。

チャイコフスキーは様々批判されてきた作曲家でした。古くはあまりにもロシア的ではないとされ、ソ連時代にはブルジョア的と糾弾もされています。もしかすると「ポーランド」という作品はそのような論争を引き起こしかねない、実はチャイコフスキーの作品の中で非常に重要な作品である、ともいえるのかと思います。

5楽章というのも古典的なものからの脱却ということも意味するかもしれません。ただ、私としてはロシア的なものも感じる作品なのですが・・・・・・特に第4楽章スケルツォ

たいてい、国家的イデオロギー論争に芸術が巻き込まれるケースというのは、ある一点だけ取り上げてあげつらわれる、ということが多く、全体を聴いて評価するなんてことはありません。我が国でも、近年某6名を任命しないというケースがありました。あれも総合的に判断などしてはいないでしょう。ある一点だけ見ただけで問題にしたと考えて差し支えありません。その意味では我が国も旧ソ連となんら変わりはないんですが・・・・・

ロストロポーヴィチロンドン・フィルという名門を振ることで、私たち日本人にその表面的な見方の愚かさを突き付けているのかもしれません。

 


聴いている音源
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
交響曲第3番ニ長調作品29「ポーランド
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

今月のお買いもの:アダム・フィッシャー指揮デンマーク室内管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全集7

今月のお買いもの、令和4(2022)年1月にe-onkyoネットストアにて購入しました、アダム・フィッシャー指揮デンマーク室内管弦楽団の演奏によるベートーヴェン交響曲全集を取り上げていますが、今回はその第7回目です。交響曲第7番を取り上げます。

ここまで比較的アグレッシヴなテンポを選択してきた、アダム・フィッシャー。しかしこの第7番では決して全体的に速いという印象を持ちません。弦の使い方などで爽快という感じはありますが・・・・・

むしろ、全体的に「見えを切る」部分が多く、アグレッシヴさに多少のブレーキをかけることで聴衆に「何が起こっているんだろう?」とワクワクさせるような効果を持ちます。いたずらしている子供がふい、と別な方向を向いてお母さんに怒られても平気な顔をしているかのような・・・・・

茶目っ気たっぷりな子供のような演奏。これは新解釈だなと思います。何しろ第7番はベートーヴェンが最後の恋をしていた時期に書かれた作品ですから・・・・・しかも、不倫。

どこか、愛する人に会いに行くベートーヴェンの「茶目っ気」がフォーカスされているような気すらします。手紙では大人な文章というか、壮麗な言葉がつづられていますが、実際のベートーヴェンはどんな感じだったのか・・・・・むしろ子供っぽかったのかもしれません。

まあなんてお茶目・・・・・素敵💛

・・・・・人妻さんなら、ありえる話です。私、以前合唱団で人妻さんにもてましたから・・・・・って、理由になっていないだろ!というおしかりもあろうかと思いますが、結構これが大有りなんですよ、ええ。だって、普段触れない茶目っ気たっぷりな男性がそこにいるんですよ、旦那とは違う。そりゃあ、ワクワクもするってもんです。

アダム・フィッシャーはそんな「茶目っ気ベートーヴェン」をこの第7番のスコアから見出したのかもしれません。聴いていて徹底的に楽しいんです!ベートーヴェン交響曲第7番の演奏ではここまで楽しい演奏は珍しいように思います。

いずれにしても、ここまで本当につまらない演奏が一つもないのが素晴らしい!「新世代の演奏」というナクソスの触れ込みは、あながち間違ってはいないと思います。

 


聴いているハイレゾ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第7番イ長調作品92
アダム・フィッシャー指揮
デンマーク室内管弦楽団
(Naxos 96kHz/24bit)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ロストロポーヴィチとロンドン・フィルによるチャイコフスキー交響曲全集2

東京の図書館から、7回シリーズで取り上げている府中市立図書館のライブラリであるロストロポーヴィチ指揮ロンドン・フィルによるチャイコフスキー交響曲全集、今回はその第2回、交響曲第2番「小ロシア」を取り上げます。

第2番「小ロシア」は少し民族意識のある作品ですが、ロストロポーヴィチは第1番とは一転、かなりアグレッシヴな演奏になっています。それはやはりこの曲が多少民族意識の強い作品ということが影響しているのだろうと思います。

一方、カップリングの「ロミオとジュリエット」序曲は雄大な、まさに「物語る」演奏になっています。ロンドン・フィルという名門だからこその重厚なサウンドを存分に鳴らす演奏です。

それはこの第2集に収録されている2つの曲の演奏に共通するものになっています。第2番はアグレッシヴである一方で重厚でもあります。音が圧倒的迫力をもって迫ってくるという感じ。そしてその圧倒的な迫力が、説得力を持っています。多少のテンポの差なんてどうでもよくなります。コンサートホールにいれば間違いなくブラヴォウ!をかけてしまう演奏です。

録音はおそらく古いので、フォルティシモでは音がつぶれ気味ではあるんですが、それでも情熱がひしひしと伝わる演奏です。特にロメオとジュリエットに関しては、私が持っている中ではトップを争う演奏であり、さすが「チェリストロストロポーヴィチのタクトであるなあ、と思います。

 


聴いている音源
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
交響曲第2番ハ短調作品17「小ロシア」
幻想序曲「ロメオとジュリエット」
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ロストロポーヴィチとロンドン・フィルによるチャイコフスキー交響曲全集1

東京の図書館から、今回から府中市立図書館のライブラリから、ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるチャイコフスキー交響曲全集を7回シリーズで取り上げます。

借りてきたCDには録音年代までは載っていなかったのですが、おそらく60年代ではないのかと思います。実はこの全集、番号順なのですが、1曲1枚になっているので・・・・・

まあ、チャイコフスキー交響曲は比較的長いですから、そういうこともあるだろうなあとは思います。

さて、第1回目は第1番「冬の日の幻想」。結構最近私が好きな交響曲の一つになっています。確かに精神性とか内面性というものにフォーカスされていないのでつまらないという人もいるかもしれませんし、かつては私もそんな一人だったのですが・・・・・Covid-19に昨年罹患してからは、この曲に魅力を感じるようになりました。

それ以前から、この第1番にはだんだん魅力を感じていました。特に、自然が美しい種子島南種子町で聴きますと、本当に人懐っこい魅力的な曲だと思ったのです。チャイコフスキー交響曲が持つどこか人間味ある温かみは、おそらくこういった人懐っこさが根底にあるのだろう、と思い始めました。

ロストロポーヴィチのタクトは、多少ゆったり目。チェリストらしいなと思います。低弦部を過度に強調せず全体の中で浮き上がらせ、絶妙なバランスの中で歌わせています。ところどころ解像度が少ない部分もあるのがとても残念だなあと思います。DSEE HXを動作させてハイレゾ192kHz/24bit相当で聴いていますが、確かにいい空気感になっているんですが、音が密集してクラマックスになるところは音がつぶれているんです。でも、おそらく現代の録音技術ならいい音で記録が残せたと思います。

秘めた情熱を演奏に載せるロストロポーヴィチ。タクトでは思いっきりオケに歌わせるその様子を聴くことができるのは、とてもうれしいことでもあります。

 


聴いている音源
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
交響曲第1番ト長調作品13「冬の日の幻想」
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。