かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:オルケストル・デ・ベル第3回定期演奏会

コンサート雑感、今回は令和2年1月5日に聴きに行きました、オルケストル・デ・ベル第3回定期演奏会を取り上げます。

衝撃的な第1回演奏会の「第九」から2年。昨年の情熱的なブラ1から1年。一日千秋の思いで待ち続けた「ベルオケ」さんの演奏会。今回は前2回のドイツ路線から一転、フランスの大作曲家サン=サーンス交響曲第3番「オルガン付き」がメインでした。

もしかすると、この「オルガン付き」は満を持して持ってきたのかも、とすら思います。ベルオケさんの名称から、そんな気がするのです。

実は今回、プログラムはオール・フランスもの。サン=サーンスの「死の舞踏」、フォーレの「ペレアスとメリザンド」、そしてオルガン付き。特に前半の2曲は生と死がテーマとなっているだけあって、前回までのドイツものとはまた違った作品たちです。

それを、見事に料理するんですよねえ、これが。だから悩んだんです、当日はわが魂の曲である第九を、以前素晴らしい演奏で聴いた都民響さんとソニー・フィル混声が演奏するので。まさかベルオケさんとバッティングするとは・・・・・

けれども、ここで私としては珍しい判断をしました。その第九よりも、ベルオケさんのフランスものを選択したのです。実は理由は明白でして、日本のオケがフランスものを取り上げることが少ないこと、そしてアマオケでの演奏は以前宮前フィルのものを聞き逃してしまっていること、なのです。

ですから、ベルオケさんがむしろ本当にどれだけの技量なのかを知るには、今年しかない!と思ったのです。都民響さんなんてまた今年も何度か演奏会がありますし、また今年も年末に第九を演奏するでしょう。しかしこのベルオケさんの演奏会は年1回。一期一会。そりゃあ、ベルオケさんです。

まず、サン=サーンスの「死の舞踏」。いやあ、これプロでしょ?と思います、ほんとに。それくらい美しく、かつ生命力あふれる演奏。続くフォーレの「ペレアスとメリザンド組曲も素晴らしい!特にシシリエンヌのフルートは絶品!マヂでベルオケさん聴いたら下手なプロオケは聴けなくなります。

そしてメインの「オルガン付き」。今、書きながらかつて県立図書館でかりてきてリッピングしてあるエッシェンバッハ指揮バンベルク交響楽団の演奏を聴いていますが、それを凌駕するかのような素晴らしい演奏だったと思います。特に第2部の開始はもう鳥肌立ちました。地鳴りがするというか・・・・・

それはオルガン付き全体にいえることなんですが、本当にじわりじわり熱狂が押し寄せてくるような。しかしそれは我を忘れたものではなく、魂が燃えるかのような情熱が冷静さの中にひそかに燃え盛っているけれども、もう冷静さという「容器」では小さすぎるかのような。

決してベルオケさんは若い人ばかりではないんですが、全国から集まったトラなしのオケは、じっくりと自分たちの「歌」を紡いでいるように思います。だからこそ、説得力のある、熱気あふれる演奏になるんだと思います。本当にこういうオケはずっと応援していきたいですよね~。

実家を離れて早数年以上が経ちました。地元のアマオケは宮前フィルではなくなって久しいですが、その宮前フィルが実力をつけている間、ほかのアマオケもしっかりと実力をつけていました。今ではもう、かつてプロオケが聴きに行けなくて悶々としていたのがうそのようで、バカらしかったなと思えるくらいです。そんな大切な意識をくれたオケの一つが、ベルオケさんであることは間違いないと思います。

来年は今度はフランスではなくロシアの作品、リムスキー=コルサコフの「交響曲」ともいうべきシェエラザード。どんな「ベルオケマジック」が聴けるのか、今から楽しみです。今年もこれで何とか仕事に集中できそうです。ありがたいことです、ほんとに・・・・・

 


聴いて来たコンサート
オルケストル・デ・ベル第3回定期演奏会
カミーユ・サン=サーンス作曲
交響詩「死の舞踏」作品40
ガブリエル・フォーレ作曲
組曲ペレアスとメリザンド」作品80
カミーユ・サン=サーンス作曲
交響曲第3番ハ短調作品78「オルガン付き」
室住素子(オルガン)
水戸博之指揮
オルケストル・デ・ベル

令和2(2020)年1月5日、東京墨田、すみだトリフォニーホール大ホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。

神奈川県立図書館所蔵CD:フランク 室内楽全集1

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回から4回に渡りまして、フランクの室内楽を収録したアルバムをご紹介します。

フランクという作曲家も、日本ではそれほど聴かれているとはいいがたい作曲家だといえるでしょう。交響曲は1曲だけですしね・・・・・ほんとに交響曲至上主義なんですから、ったく。

その割には、ピアノ・ソナタだといろんな作曲家が出てくる出てくる。それって一体・・・・・と、借りてきた当時ほんとに僻僻していたんです。そのため、フランクのこのアルバムを見つけたときは何か宝物を見つけたかのような気がしたのを覚えています。

さて、そのフランクの室内楽もそれほど数が多いわけではないですが、魅力的な作品が多いのが特徴です。その中でも特に有名なのが、今回取り上げる第1集に収録されているヴァイオリン・ソナタではないでしょうか。

ja.wikipedia.org

なんと言っても献呈はイザイにですし、そのイザイが初演ですしね~。哀愁漂う作品は、常に私の魂を癒してくれます。

そのほかの3曲も美しい曲ばかり。特に協奏曲的二重奏曲第1番は、二人の会話が楽しそう。

で、じつはウィキにはこのようにあるのですが・・・・・

「作品番号の「FWV番号」とは、音楽学者のヴィルヘルム・モーアが作成した「セザール・フランク作品目録」の番号である。セザール・フランクの楽曲一覧(英語版)のようにモーアの頭文字「M」で表示されることもある。しかし、完全な作品年代リストに順次対応した整理番号はいまだ表れていない。」

しかし、このアルバムではFWVというのを使わず、CFFを使っているのです。これが検索しても全くヒットしません。けれども、その番号を使ったサイトなどは次々ヒットするのです。ちなみに、上記ヴァイオリン・ソナタはFWV8ですがCFF123です。

ウィキの楽曲一覧を見てみると、この第1集に収録された作品はフランクの後半生にほとんど作曲されていることがわかります。唯一の例外が最後に収録された「協奏曲的二重奏曲第1番」。1844年で、フランクがオルガニストとして活躍していた時代の作品です。

ja.wikipedia.org

作品番号も見え隠れするのですが、もしかするとFWV以外とM以外にもあることを、ウィキの編集者は知らなかった可能性があるのでは?と思います。実際、英語版だとしっかり載っています。

en.wikipedia.org

となると、これからはFWVとCFFの併記が必要かもしれません。ぜひとも音楽出版業界の方は考えていただきたいなと思います。

さて、演奏するはピアノがライヴリー、ヴァイオリンがサムイルと決して有名な演奏家とは言えない二人なのですが、実に歌う!やはり、音楽は歌ってくれないとって思います。不協和音ひしめく20世紀音楽だって、歌えばそこに生命が宿るものですが、フランクの作品はアンチ印象派でもあったわけですから、なおさら歌う必要があると思うんですね。もちろん過度に歌いすぎるのもフランク辺りだと問題なのですが、適度に歌っているのが心にしみてきます。

結構波乱万丈のフランクの人生を自分たちと重ねているのかいないのか、とにかく、ほんとに歌っているのは、聴いているこちらまでいい気分になります。フランクは室内楽のほうが素晴らしい作品が多いのではないかという仮定は、この瞬間確信に変わったのでした。

 


聴いている音源
セザール・フランク作曲
ピアノとヴァイオリンのためのソナタ イ長調CFF123
憂愁(メランコリー)~ピアノとヴァイオリンのための~CFF122
アンダンティーノ・クイエット―ゾ作品6~ピアノとヴァイオリンのための~CFF115
ヴァイオリンとピアノのための協奏曲的二重奏曲第1番~ダレラックの『ギュリスタン』の楽想による CFF117
デヴィッド・ライヴリー(ピアノ)
タチャーナ・サムイル(ヴァイオリン)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:アラウが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集6

東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリをご紹介しています。クラウディオ・アラウが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の第6集になります。

第6集には、第16番から第18番の、いわゆる作品31がすべて収められており、少なくともアラウは第13番~第18番を一つのヤマとみていることが見て取れます。それはちょうどベートーヴェンが聴覚をほぼ失い、絶望の淵で「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた時期に重なります。

前に、私はベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」とは、ベートーヴェンが「生まれ変わるために必要な儀式」のように述べたことがあると思いますが、その証拠に、ベートーヴェンはこの時期、「新しい作品がこれから生まれる」と周囲に述べています。そのことをアラウはとても重要なことだと考えているように思います。

例えば、テンペスト。激しい演奏が常の作品ですが、アラウは決して激しさ一辺倒ではなく、さりげなく柔らかいタッチを入れて哀愁も表現しています。ベートーヴェンの「激しさ」の根っこにある「悲しみ」というものにもフォーカスしているこの演奏は、もともと対人援助職にもついていた私にとってはとても共感できる演奏となっています。

ベートーヴェンというと、「闘争」だとか「戦い」だとか、とかく英雄的にみられる傾向が強いんですが、一人の人間でしかありませんでした。特にそれは甥カールとの関係の史実において決定的だといえます。そのうえで、酒飲みで、現代風に言えばAC(アダルト・チルドレン)。そんな人が、自らの道を芸術と決めて、自らの人生のために芸術を紡いだのです。

アラウの演奏には、どこかベートーヴェンのそんな「覚悟」というものと、秘められた内面とをいかに同居させるかという試みが見えるんです。そしてその試みは見事に成功しているといえるでしょう。決して強くなくても音は強く聴こえますし、その中にやさしさも見え隠れする・・・・・なんと素敵な演奏だろう!

ここまでいくつかの全集を聴いてきて、これだけ感動するというか、「書ける」全集も正直珍しいと思います。もちろんほかの全集が書けなかったというわけではないんですが、一つのスタイルをがっちりと決めてしまっていると、当然他の集でもほぼ同じってこともあるので・・・・・まあ、それがまたその演奏者の強烈なメッセージだったりもするので、それがいけないってことではないんですけれどね。

アラウの場合、基本的に「歌っている」演奏なのに、単にそれだけなのに、よく聴いているといくらでもこちら聴き手が書き手として表現できる演奏なんです。それは私自身が気付かないうちに強烈に共感していることを意味します。やっぱり私は退いても合唱屋なんだなあって思います。「歌うたい」として「ピアノ・ソナタ」という「器楽曲」を聴いているってわけです。これはもう染みついたものですから、どうしようもできないんだなと本当に思います。

その点では、もう借りているからいいや、ではなくて、借りているけれども聴いてみよう!と判断したのは、間違いではなかったと思います。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第16番ト長調作品31-1
ピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品31-2「テンペスト
ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調作品31-3
クラウディオ・アラウ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:アラウが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集6

東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリをご紹介しています。クラウディオ・アラウが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の第6集になります。

第6集には、第16番から第18番の、いわゆる作品31がすべて収められており、少なくともアラウは第13番~第18番を一つのヤマとみていることが見て取れます。それはちょうどベートーヴェンが聴覚をほぼ失い、絶望の淵で「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた時期に重なります。

前に、私はベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」とは、ベートーヴェンが「生まれ変わるために必要な儀式」のように述べたことがあると思いますが、その証拠に、ベートーヴェンはこの時期、「新しい作品がこれから生まれる」と周囲に述べています。そのことをアラウはとても重要なことだと考えているように思います。

例えば、テンペスト。激しい演奏が常の作品ですが、アラウは決して激しさ一辺倒ではなく、さりげなく柔らかいタッチを入れて哀愁も表現しています。ベートーヴェンの「激しさ」の根っこにある「悲しみ」というものにもフォーカスしているこの演奏は、もともと対人援助職にもついていた私にとってはとても共感できる演奏となっています。

ベートーヴェンというと、「闘争」だとか「戦い」だとか、とかく英雄的にみられる傾向が強いんですが、一人の人間でしかありませんでした。特にそれは甥カールとの関係の史実において決定的だといえます。そのうえで、酒飲みで、現代風に言えばAC(アダルト・チルドレン)。そんな人が、自らの道を芸術と決めて、自らの人生のために芸術を紡いだのです。

アラウの演奏には、どこかベートーヴェンのそんな「覚悟」というものと、秘められた内面とをいかに同居させるかという試みが見えるんです。そしてその試みは見事に成功しているといえるでしょう。決して強くなくても音は強く聴こえますし、その中にやさしさも見え隠れする・・・・・なんと素敵な演奏だろう!

ここまでいくつかの全集を聴いてきて、これだけ感動するというか、「書ける」全集も正直珍しいと思います。もちろんほかの全集が書けなかったというわけではないんですが、一つのスタイルをがっちりと決めてしまっていると、当然他の集でもほぼ同じってこともあるので・・・・・まあ、それがまたその演奏者の強烈なメッセージだったりもするので、それがいけないってことではないんですけれどね。

アラウの場合、基本的に「歌っている」演奏なのに、単にそれだけなのに、よく聴いているといくらでもこちら聴き手が書き手として表現できる演奏なんです。それは私自身が気付かないうちに強烈に共感していることを意味します。やっぱり私は退いても合唱屋なんだなあって思います。「歌うたい」として「ピアノ・ソナタ」という「器楽曲」を聴いているってわけです。これはもう染みついたものですから、どうしようもできないんだなと本当に思います。

その点では、もう借りているからいいや、ではなくて、借りているけれども聴いてみよう!と判断したのは、間違いではなかったと思います。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第16番ト長調作品31-1
ピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品31-2「テンペスト
ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調作品31-3
クラウディオ・アラウ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:アラウが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集5

東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリをご紹介しています。11回シリーズでお届けしているアラウが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の、今回は第5集を取り上げます。

第5集には第13番から第15番が収録されています。ちょうど作品27の二つが一緒になっているのです。

これ、これまでのアラウの収録とはちょっと違うなって思っています。今までなら、組み物でも録音時間に入らなければ二つに分けることだってあったにも関わらず、作品27は二つが一緒になっているのです。これは録音当時のメディアの収録時間を考えたとき、奇跡としか言いようがないんですよね。

ということは・・・・・これはあくまでも私の推測ですが、アラウはこの二つは一緒に収録したかったのではないか、だからこそほかの作品はやむを得ず二つに割ったとすれば、納得がいくんですね。

第14番「月光」は、ベートーヴェンのロマンティストとしての側面が語られますが、瀬川玄氏のアナリーゼによると、むしろ第1主題は「うらみつらみうらみつらみ~♪」だというのです。なぜならば、その直前、ベートーヴェンは失恋しているから、です。

ja.wikipedia.org

enc.piano.or.jp

まるでベートーヴェンをあざ笑うかのように結婚するグイチャルディ。その悲しみに耐えるベートーヴェン・・・・・ああ、そのほうがしっくりくるねと私も思います。その失恋という「喪失感」を手放すために作曲したのが、この作品だとすれば、臨床心理学的にも腑に落ちます。

アラウの演奏は、第3楽章の嵐のような部分にも実は繊細なタッチを使っており、決して力任せではないんです。そのうえで、前後の作品、第13番と第15番をまるで鏡像のように配置して、第14番の存在を際立たせる・・・・・しかも、第13番もとても感情の起伏があるように演奏し、まるで感情のさざ波に私たちが洗われるかのようなのです。こういう点はニクイですね、アラウ。

歌うアラウは再び健在なのですが、その歌い方がさらに繊細さを増しているように思いますし、とても激しいのに丁寧さもあるという、神経を使っている演奏です。アラウはどこでこんな感情の表現を見出したのだろうって思いますが、とにかく、ともすれば単調にも弾けるこれら3つの作品を繊細に扱い、複雑な心理を表現するのはあっぱれです。

これで4つ目の全集ですが、ほんと、演奏はより多く聴くべきですね、できるだけ。しかも図書館でかりてきてリッピングするだけですから場所も取らない。なんでもっと早くそういうことに気付かなかったのかなあって思います。それだけ早く魂が豊かになったはずなのに・・・・・ちょっとだけ悔しいです。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第13番変ホ長調作品27-1
ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調作品27-2「月光」
ピアノ・ソナタ第15番ニ長調作品28「田園」
クラウディオ・アラウ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。

コンサート雑感:MAXフィルハーモニー管弦楽団第9回第九演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は令和元年12月30日に聴きに行きました、NAXフィルハーモニー管弦楽団の第9回第九演奏会をとりあげます。

MAXさんの第九を聴かないと年を越せない、そうなってきました。我が家は最近弟夫婦も実家に来て年越しをするので私も大みそかは実家なので、ベートーヴェン交響曲全曲演奏会など行けないのです、ぐすん。

そのかわり、最後をMAXさんの第九で締める、それが年末の恒例となってきました。今年も本当に素晴らしい演奏でした。

昨年よりも信頼できるオケ。そしてのびやかで力強い合唱。端正な中に秘めたエネルギー。どれをとってももう最高の演奏!

残念だったのは、それゆえに前半と第1楽章が聴けなかったことです。もう遅れるのが通例となってしまっているんですが・・・・・この日も夜勤明けでさらに夜仕事がというスケジュール。何とかコンサートに寄れる時間を作ったのでした・・・・・

それでも、第2楽章以降が聴けたのは本当によかったです。MAXさんの力強く生命力あふれる演奏を聴きますと、今年一年の苦労など吹っ飛びます。このために仕事してきたんだ、って思えますから。

とくに今年は1プロにベルリオーズが入っているので、ぜひとも聴きたかったんですが・・・・・ほぼMAXさんなら外さないですからね、演奏。もちろんアマチュアもいるので完全ではないですが・・・・・

それでも、プロアマ混然一体となったエネルギッシュな演奏は毎年本当に私に勇気をくれてます。この場にて本当に感謝申し上げます。

本当に冒険しない演奏なのに、魂に燃料が注入されるような感じなんです。いつも私が問題にするvor Gott!の部分もさほど変体演奏とは言えないオーソドックスなものなのに、です。これが本当の表現力なのではないでしょうか。説得力あるというか。

今年の年末も、こんな素晴らしい演奏が聴けることを願って、さあ、今年も頑張りますか!今年はサントリーホールでですもんね!いいホールでの演奏を待ってました!はせ参じますよ。

 


聴いてきたコンサート
MAXフィルハーモニー管弦楽団第9回第九演奏会
ルイ・エクトル・ベルリオーズ作曲
序曲「ローマの謝肉祭」作品9
劇的音楽「ファウストの劫罰」作品24より「ハンガリー行進曲」
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125
林田さつき(ソプラノ)
長澤美希(アルト)
澤崎一了(テノール
照屋博史(バス)
MAXフィルハーモニー合唱団(合唱指揮:宇野徹也)
古澤直久指揮
MAXフィルハーモニー管弦楽団

令和元(2019)年12月30日、東京港メルパルク東京大ホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。

神奈川県立図書館所蔵CD:シュポア ヴァイオリンとハープのための作品集2

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、シュポアのヴァイオリンとハープのための作品集を取り上げていますが、今回はその第2集です。

この第2集では、どちらかと言えばシュポア夫妻に加えてさらに友人たちが加わったような編成の作品が中心に収録されています。その意味ではラディカルさは多少薄まっているといえるでしょう。

それでも、その中に女性がいるということだけで、当時は十分ラディカルだったはずです。そういうことを、本場の人たちは知っているんですね。だからこそシュポアも演奏されるわけですが、翻って我が国は、どうもファッションでしかないような気がします。

だからこそ逆にシュポアには精神性がない、あるのはベートーヴェンブラームスブルックナーだ!とか言っちゃうんですよねえ。困ったもんです。芸術を作り上げる人のどこに精神性がないんですか?考えればわかる話です(私の職場風で言えば「常識で考えろ」)。なくてどうして芸術が紡げるでしょうか。

むしろ、欧米の作曲家たちの根底には、常に「霊性」というものがあるように思えます。魂と言い換えてもいいかもしれませんが・・・・・あえて、「霊性」という言葉を使いたいと思います。他者への共感だったり、連帯だったり・・・・・そういったことを「霊性」と呼ぶのですが、その「霊性」こそ、音楽の本質であるように思うのです。

この第2集にある作品もそういった「霊性」から紡ぎだされたものが多いように感じます。「ヴァイオリンとハープのためのソナタ・コンチェルタンテ ニ長調」の第2楽章は、モーツァルトの「魔笛」の旋律を使っていますが、まるでシュポア夫妻がその旋律を使って楽しんでいる様子すら目に浮かんできます。

また演奏がそうさせるのでしょうけれども。この第2集でも歌うヴァイオリンとハープ。第1集を聴いた限りではもっと歌ってもいいと述べましたが、この程度でちょうどいいのかもしれません。過度に歌いすぎれば今度は普遍性が失われる可能性すらある・・・・・そもそも、この作品たちは「楽しむことにより連帯を深める」ことが目的であり、ひとことでいえばフェローなんですよね。その「フェロー」という点に着目すれば、実にいい塩梅の「歌」であることに気付かされます。

こういう演奏を聴きますと、ますますシュポアは聴きたくなるんですが・・・・・・うーん、どうしたものですかねえ。DLあるいはストリーミングの時代なのですから、思い切ってリスクをとってもいいような気はするんですけれど、まあ、現場としてはそう簡単にはいかないんでしょうねえ。演奏の少なさは本当に残念です。私自身がヴァイオリンなどを弾けるのであればぜひともライフワークにしたいところなんですが。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・シュポア作曲
ヴァイオリンとハープのためのソナタ・コンチェルタンテ ニ長調作品114
ダンツィとフォーグラーの主題による幻想曲 ロ短調作品118
ヴァイオリンとハープのためのソナタ・コンチェルタンテ ト長調作品115
ゴルゴダの丘」~マリアのアリア
ドラマ「相続契約」~エマの歌
ソフィー・ラングドン(ヴァイオリン)
ヒュー・ウェブ(ハープ)
アリソン・スマート(ソプラノ)
ロジャー・モンゴメリ(ホルン)
スーザン・ドリー(チェロ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。