東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリをご紹介しています。クラウディオ・アラウが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の第6集になります。
第6集には、第16番から第18番の、いわゆる作品31がすべて収められており、少なくともアラウは第13番~第18番を一つのヤマとみていることが見て取れます。それはちょうどベートーヴェンが聴覚をほぼ失い、絶望の淵で「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた時期に重なります。
前に、私はベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」とは、ベートーヴェンが「生まれ変わるために必要な儀式」のように述べたことがあると思いますが、その証拠に、ベートーヴェンはこの時期、「新しい作品がこれから生まれる」と周囲に述べています。そのことをアラウはとても重要なことだと考えているように思います。
例えば、テンペスト。激しい演奏が常の作品ですが、アラウは決して激しさ一辺倒ではなく、さりげなく柔らかいタッチを入れて哀愁も表現しています。ベートーヴェンの「激しさ」の根っこにある「悲しみ」というものにもフォーカスしているこの演奏は、もともと対人援助職にもついていた私にとってはとても共感できる演奏となっています。
ベートーヴェンというと、「闘争」だとか「戦い」だとか、とかく英雄的にみられる傾向が強いんですが、一人の人間でしかありませんでした。特にそれは甥カールとの関係の史実において決定的だといえます。そのうえで、酒飲みで、現代風に言えばAC(アダルト・チルドレン)。そんな人が、自らの道を芸術と決めて、自らの人生のために芸術を紡いだのです。
アラウの演奏には、どこかベートーヴェンのそんな「覚悟」というものと、秘められた内面とをいかに同居させるかという試みが見えるんです。そしてその試みは見事に成功しているといえるでしょう。決して強くなくても音は強く聴こえますし、その中にやさしさも見え隠れする・・・・・なんと素敵な演奏だろう!
ここまでいくつかの全集を聴いてきて、これだけ感動するというか、「書ける」全集も正直珍しいと思います。もちろんほかの全集が書けなかったというわけではないんですが、一つのスタイルをがっちりと決めてしまっていると、当然他の集でもほぼ同じってこともあるので・・・・・まあ、それがまたその演奏者の強烈なメッセージだったりもするので、それがいけないってことではないんですけれどね。
アラウの場合、基本的に「歌っている」演奏なのに、単にそれだけなのに、よく聴いているといくらでもこちら聴き手が書き手として表現できる演奏なんです。それは私自身が気付かないうちに強烈に共感していることを意味します。やっぱり私は退いても合唱屋なんだなあって思います。「歌うたい」として「ピアノ・ソナタ」という「器楽曲」を聴いているってわけです。これはもう染みついたものですから、どうしようもできないんだなと本当に思います。
その点では、もう借りているからいいや、ではなくて、借りているけれども聴いてみよう!と判断したのは、間違いではなかったと思います。
聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第16番ト長調作品31-1
ピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品31-2「テンペスト」
ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調作品31-3
クラウディオ・アラウ(ピアノ)
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。