かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ワルターとコロンビア交響楽団によるベートーヴェンの交響曲全集3

東京の図書館から、シリーズで府中市立図書館のライブラリである、ワルター指揮ベートーヴェン交響曲全集の第3集です。

第3集では、第4番と第5番「運命」が収録されています。第5番「運命」こそ、父がカセットにダビングしてくれたものでもありました。これを探して何千里・・・・・ではなく、幾年月。

大島へ向かう船の甲板で聴いていたカセットが、いつの間にかなくなっていた、あの時からウン十年。ようやく再び私の手の中にあります。が、印象としてはこんなのだったかなあ、という感じも。

メディアはカセットから外付けHDへと変わり、オーディオはカセットデッキからPCに代わり、スピーカーは安物のイヤホンから、ハイレゾ対応のスピーカーに代わっています。音が変ってもなんらおかしなことはないわけではあります。

え、そんなことあるの?と思うかもしれません。けれども、スピーカーが変わると、今まで聞こえない音が聴こえたりするものなのです。再生装置の良しあしは、そんなところにも現れるものです。

この、かつて父がLPで買ってきた演奏が、今デジタル音源で聴ける喜び。演奏としては、これからいろんな旅を続けて、決してこの演奏が1番ではなくなりましたが、それでも説得力のある、魅力的な演奏であることには代わりありません。

第4番は結構アグレッシヴですし、一方の第5番は多少どっしり系ですが、しかしよく聴きますと結構テンポ速め。私としてはワルターは結構どっしり系だと思っていました。当時これに対照するのがカラヤンでしたからね~。しかし、カラヤンほどではないにせよ、けっこうこの演奏も幾分速めなんだなと気が付いた次第です。これこそ、再生装置のなせる業。

いままた、この演奏が持つパッションを感じます。作品が放つストーリーが明確な第5番。それに引きずられているかのような指揮者とオケ。しかも、オケの指揮者に対するリスペクト。コロンビア響が寄せ集めの特別オケだと知れば、さらにこの演奏のパッションに感動します。完璧すぎる!

確かに、録音を残すという目的のために結成されたオケですが、しかしワルターが「言いたいこと」がどこか共有されているように思います。特に第5番「運命」においてそれは顕著であるように思います。

こういう演奏を何もふり返らずに、カラヤンを批判する・・・・・いやあ、現代批判精神のほうがよほど文明論的に危険な気がします。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第4番変ロ長調作品60
交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

今月のお買いもの:ファジル・サイが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集9

今月のお買いもの、令和2(2020)年5月に購入したものをご紹介しています。e-onkyoネットストアにて購入しましたハイレゾファジル・サイが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集をシリーズで取り上げていますが、今回はその第9回目です。

第9回目では、第25番から第27番までが対象です。いきなり第25番からサイはかましてくれます。和声的にちょっとおどけた部分をまさにおどけて弾き、けっこう速く弾いていますけれどしかしおざなりではなく繊細。もう冒頭から参りましたって感じです。

第26番でも繊細さは存分に出ており、かつ力強さもあります。もう、こういった演奏には私はノック・アウトです。ハート射抜かれます・・・・・ああ、サイ様!

・・・・・って、出待ちやるんですかとか言われそうですが、いや本当にそんな気分にすらなります。本当にやるのかって?さあ、どうしましょうか・・・・・やってほしいですか?www

とにかく、3曲とも魅力的に弾くのは素晴らしい!もちろん、ベートーヴェンのピアノ・ソナタはどれも素晴らしいのですけれど、にしてもです、どれも魅力あるんだよとサラっと弾くサイの才能に、男が男に惚れるという感じです、ほんと。

再び言及しますけれど、たいていの全集はどこかで、これはどうかなあという演奏に当たるものなのですが、このサイのものはここまで一切ないんです。これもまたサイに惚れる理由の一つです。これは本当に素晴らしいことなんです。もちろん、ほかの人だと魅力的に感じない可能性もある、ということでしょうが・・・・・

少なくとも、私にとって、もうサイは「神」ともいうべき存在になりつつあります。反田さんとか日本人で素晴らしい才能も出てきていますけれど、サイもまた大きくアジアという視点で見れば、私たちアジアに住む日本人からしてもまだまだ注目なのではないのかな、と思います。

 


聴いているハイレゾ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第25番ト長調作品79
ピアノ・ソナタ第26番変ホ長調作品81a「告別」
ピアノ・ソナタ第27番ホ短調作品90
ファジル・サイ(ピアノ)
(Warner Classics)

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神奈川県立図書館所蔵CD:フォーレのレクイエム ピアノ独奏版

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はフォーレのレクイエムをピアノ独奏用に編曲したものをご紹介します。

なぜか、合唱を伴う作品はピアノ独奏用に編曲されることが多いのですが、このフォーレのレクイエムもそんな作品の一つだったのか!と思い借りたことが思い出されます。

この編曲は、演奏しているナウモフによるものです。全体としてはいい雰囲気に仕上がっているのではないかとは思うのですが・・・・・

たった一つだけ、物足りないのが、リベラ・メ、です。これ、原曲をよく聴きますと、通奏低音はまるで心臓の音を表現しているかのように、ドンドン、ドッドンドンという感じでリズムを刻んでいます。それがすっかりどこか行ってしまっているんですよねえ。

演奏自体は申し分ないものだと思いますけれど、この編曲はねえ・・・・・聴いていてちょっと絶句でした。そこ、フォーレの内面性でもあるはずなのになあ、と。

ピアニストに声楽経験がないのかもしれません。これ、歌った経験があると、無視できないリズムなんです。なぜなら、このリズムに声楽が乗っているからです。ソリストのバスも、そして合唱団も、です。ある視点では人の慟哭、そしてある視点では人の心臓の音、であるだろうと私は思っていますが、おそらくこれは当たらずも遠からずだと思っています。

そんな大切な部分を、まるでごまかすかのようにしてしまう・・・・・多分、声楽までひっくるめて、ピアノ一台で何とかしようということなのでしょうね。その意欲は素晴らしいと思いますが、この編曲は必ずしも私が評価するものではありません。

今までいくつかの宗教合唱曲の編曲を聞いてきましたが、これほどがっかりするものはなかったように思います。ほぼ常に前向きの評価をする私が多少辛口なのですから、その無茶ぶりを想像していただけると嬉しいです。

ほんとに、リベラ・メ以外はいいんですけれど・・・・・それに、ほかのフォーレピアノ曲の演奏も実に誠実でいいですしね。それだけに、リベラ・メの編曲は非常に残念です。

 


聴いている音源
ガブリエル・フォーレ作曲
レクイエム 作品48(ピアノ独奏版、編曲:エミール・ナウモフ)
4つの夜想曲
 第1番変ホ長調作品33
 第6番変ニ長調作品63
 第7番嬰ハ短調作品74
 第13番ロ短調作品119
三つの歌曲(ピアノ独奏版、編曲:エミール・ナウモフ)
 「月の光」作品46-2
 「秋」作品18-3
 「ゆりかご」作品23-1
エミール・ナウモフ(ピアノ)

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神奈川県立図書館所蔵CD:デュセック ハープ・ソナタ集

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はデュセックのハープ・ソナタを集めたアルバムをご紹介します。

そもそも、デュセックって誰?って話ですけれど、以前ベートーヴェンと同時代の作曲家としてご紹介したことがある人で、むしろロマン派に対して影響を与えたと言われている作曲家です。イギリスやフランスで活躍した人ですが、そもそもはボヘミア出身なので、正確には「ドゥシーク」と呼ぶそうです。

ja.wikipedia.org

ですので、古典派からロマン派にかけて活躍した作曲家だといえるでしょう。とはいえ、彼の作品は必ずしも当時流行したわけではなかったようです。評価されたものもあったようですが、ほとんどはロマン派の時代が明けてから評価されたようです。

では、どれほど古典美がないのかと言えば・・・・・あれ?この古典美は一体何?と思う和声なのですよ、ええ。少なくともここに収録されているハープ・ソナタに関しては。

だれの模倣もしない、ということは言い換えれば、流行に乗らない、ということを示しているのではないかと思うのです。ということは当然ですが、安易にロマン派には乗らない、ということを示しているのではないでしょうか。同時にそれは、安易に古典派として保守にならないということも意味しています。

時代の移り変わりを見極め、その中で自分の音楽を追求し紡いでいったのがデュセックであり、その自立心というか、囚われのない部分をロマン派の作曲家たちが参考にした、という可能性も0ではない以上、デュセックを華麗なる一発屋だとか、日和見主義だとか言うのは適切ではないような気がします。

自分はこう思う、という意思をはっきり持ったうえで、いろんな勢力の人と付き合うのであれば、それはあまり問題ではないように思います。日和見主義というのは、己というものをもたないであっちへ着いたりこっちへ着いたりすること、ですから。どうもデュセックは違うような気はします。

いずれにしても、古典派的な響きがする作品ですが、様式的には独奏なんです。ここが、デュセックの先進性だったのだろうと思うのです。そしてそのハープのなんと美しいことか!まるでわたし(以下自己規制)

演奏するザニボーニは、古典的に端正な演奏を心がけているように聴こえますが、自然とハープのきらびやかな響きというものが浮かび上がります。とにかく自然体で、肩の力も入っていないような演奏は、常に癒しの響きを持っています。激動の世の中にあって、音楽を必要とする人たちが何を求めているかは、しっかりと抑えられているように演奏から聴こえるのはわたしだけなのでしょうか・・・・・

 


聴いている音源
ヤン・ラディスラフ・デュセック作曲
ハープ・ソナタ ヘ長調リッチモンドヒルの娘」
ハープ・ソナタ 変ホ長調作品34-1
ハープ・ソナタ 変ロ長調作品34-2
ハープ・ソナタ ハ短調作品2-3
エレナ・ザニボーニ(ハープ)

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東京の図書館から~府中市立図書館~:ワルターとコロンビア交響楽団のベートーヴェン交響曲全集2

東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリをご紹介しています。シリーズで取り上げています、ブルーノ・ワルターがコロンビア交響楽団を指揮したベートーヴェン交響曲全集の、今回は第2集です。

第2集では、第3番「英雄」が収録されています。ワルターなのでどっしりとした演奏・・・・・かと思いきや、意外とアグレッシヴ。ところどころ、アレ?って思う部分もありますが、全体的には雄弁で、説得力ある演奏です。

こういう「うーん、そこは・・・・・」と思いながらも、評価してしまう表現力はさすがワルターの解釈とオケの実力だなあと思います。とはいえ、知っている方も多いとは思いますが、コロンビア交響楽団とはこの全集を録音するために集められたソリストたちのことを言い、実際にコンサート活動を遣ったわけではありません。この全集を収録したとき、すでにワルターは隠居状態。

ですから、ワルター音楽監督にしてというオケは存在していないわけなのです。あくまでも、このセッションのために結成されたオケ。その意味では、同じコロンビア交響楽団でも、セルが指揮したものとはちょっと違うわけです(セルが指揮したコロンビア響は実際には手兵のクリーヴランド管。レコード会社の関係でそうなった)。

その割には、オケは生き生きとしていて、演奏に喜びが感じられるんです。それも、私の「こうあってほしい」というものと多少違っても受け入れられる原因の一つなのでしょう。ワルターという指揮者が当時どれだけの名声を持っていたかの象徴かもしれません。そして団員たちからどれほどの尊敬を得ていたか、というバロメーターでもあるように思います。

意外と、こういうことはカラヤン批判をする人たちからはすっぽり抜け落ちて居ます。問題の本質と背景をよく理解していないからではないかと私は思っています。20世紀の巨匠たちの時代とは、大国の覇権がヨーロッパからアメリカへと移った時代なのです。当然ですが、録音もその影響をもろ受けます。なぜなら、録音とは時として、プロパガンダだから、です。

ですから、カラヤンも、ベームも、ムラヴィンスキーも、そしてこのワルターも、それぞれその「覇権の移動」の影響を受けているのです。ただ聴くだけならそんなものどうでもいいんですが、やれカラヤンを現代文明の問題として評論する場合、その「覇権の移動」を抜きにしたものは全く意味を持たないと私は思っているのです。ある文明が世界的な影響を及ぼすためには、その文明が覇権を握っていることが最重要であるから、です。

このワルターの芸術も、大国として派遣を握ったアメリカが、ひとつの国威発揚とした可能性は否定できません。ステレオ技術とは当時、その国の技術力を見せるためにとても有効なものでした。その歴史をさかのぼると、ナチス・ドイツへとたどり着きます。ワルターがステレオという新技術に乗り気になったのも、おそらくドイツ在住当時のナチスとの関係性が頭にあったからだと想像できます。

そんなことを、おそらくオケの団員たちも知っている。そのうえ、モノラル時代のまだ生きている巨匠が、ステレオ録音に挑戦する!なんて、ワクワクするじゃありませんか!そのワクワク感が、この録音の演奏にもそこかしこに出ているように聴こえるんですよ、これが。

カラヤン批判をする某思想家の方から、ワルターが出たのを少なくとも私は知りません。この全集くらい聞いているだろうにと、非常に残念です。アメリカの否定だけで素晴らしい人材に慣れるのなら、リベラルが退潮することなどありえないと思うのですが・・・・・・

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
序曲「コリオラン」作品62
ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ブルーノ・ワルターとコロンビア交響楽団によるベートーヴェンの交響曲全集1

東京の図書館から、今回から6回シリーズで、府中市立図書館のライブラリである、ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団の演奏によるベートーヴェン交響曲全集をとりあげます。

実は、ブルーノ・ワルターが指揮するベートーヴェンはずっとほしかったのです。私が最初に聴いたベートーヴェン交響曲第5番「運命」は、ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団のものだったからです。

おそらく、父がLPで持っていたものを、カセットにダビングしたんだと思います。それを好んで聴いていました。とても好んで聴いていたのですが、じつは高校2年生の夏、伊豆大島へ行く途中の船の中で行方不明に。それ以降、聴くことはありませんでした。LPは父の所有物であり、しかも、あろうことか父はLPを全部捨ててしまったという・・・・・

けれど、CD時代になって、とりあえず新しい録音でと思っていましたので、ずっと放置していたのですが、府中市立図書館の棚で見つけたとき、これは借りておこう!と決めたのでした。実は今どき、ワルター指揮コロンビア交響楽団の演奏のCDなど、店頭にないんですよ・・・・・

CDはもちろんのこと、ハイレゾでもないです。ですので、図書館で見つかるという機会はとても重要で、ですので借りてきてリッピングを選択したのでした。

さて、第1集は第1番と第2番。どうやら番号順なのです、これ。ワルターというと、どっしりとした演奏が特徴なのですが、少なくとも第1番と第2番に関しては、かなり生き生きとした演奏になっています。特に第1番の、嵐のような演奏は、聴くものを引き込みます。

ステレオ最初期の録音であるにも関わらず、ハイレゾ対応のスピーカーで聴きますと、立体感までしっかり聴こえるのですから不思議です。ワルターの芸術とは、ここまで生命力あふれるものだったのかと、今更気が付く次第です。おそらくですが、コロンビアのエンジニアたちも、よほど優秀だったのだと思います。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第1番ハ長調作品21
交響曲第2番ニ長調作品36
ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

今月のお買いもの:ファジル・サイが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集8

今月のお買いもの、令和2(2020)年5月に購入したものをご紹介しています。シリーズで取り上げているe-onkyoネットストアにて購入しましたハイレゾの、ファジル・サイが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集をとりあげていますが、今回はその第8回目です。

この第8回目では、第22番から第24番までをとりあげます。特に第22番は中期の作品に入ってくるだけあって、陰影などが深い作品ですが、サイはさらに深みを覗き、その結果を弾いているような、ダイナミックかつ雄弁な演奏をしています。

特にその傾向が強いのが第23番です。ロマンティックさを前面に出すその演奏は、古典美であるはずのベートーヴェンの作品に、内面性が込められていることを示しています。こういった演奏を待ってましたという感じです。

ここまで、図書館で借りるなどして、いくつものベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を借り、リッピングし、聴いてきましたが、本当に満足する全集はわずかです。このサイの演奏のものはその僅かの中の一つです。

どんどん雄弁になるサイのピアノ。どこまで語るのだろうとワクワクドキドキしつつ、聴いているとふと過ぎ去った時間をふり返っていたりする・・・・・そんな時間を過ごすことができる演奏です。

こういう演奏にたどり着くために、図書館で借りまくってきたと思っています。CDを買うだけではなかなかたどり着けないこの地点まで、とうとうやってきたのかと感慨無量です。本当に神奈川県立図書館と小金井市立図書館、そして府中市立図書館の司書の皆さんには感謝の言葉しかありません。

サイの演奏は雄弁で縦横無尽、自由闊達。それでいて古典美も失わないという、まさに理想的な演奏だといえるでしょう。しり上がりによくなっていく演奏、一体どこまで行くんだろうと、さらに今後が期待できます。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第22番ヘ長調作品54
ピアノ・ソナタ第23番へ短調作品57
ピアノ・ソナタ第24番嬰ヘ長調作品78「テレーゼ」
ファジル・サイ(ピアノ)
(Warner Classics)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。