かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:ミュンシュの芸術

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリを御紹介しています。今回は巨匠シャルル・ミュンシュボストン交響楽団と録音したアルバムを御紹介します。

ミュンシュの演奏は、実はずっと興味があったのです。それは学生時代、一番最初にベートーヴェンの第九を歌った時までさかのぼります。当時指揮をされた藤岡幸夫氏がまだ若く、大学生たちと練習後に酒を酌み交わすと言った中で、俺の尊敬する指揮者の一人なんだと紹介したのが、ミュンシュ指揮ボストン響のものだったのです。

それはまだ聴けずじまいなんですが(残念ながら、神奈川県立図書館にもなかったですし、府中市立図書館にもないので、残念です。CDあるいはハイレゾにて購入するしか方法がないようです)、兎に角もミュンシュの指揮する演奏が聴きたいと、ずっと思ってきたことだったのです。

ちょうど借りたころ、人生の「棚卸」が終わり、そうだ、そういえば、藤岡さん(と私は呼びます、第九を演奏した同志なので)がいいっていったよね、ミュンシュは。第九ではないけれど、借りてみようかなと、図書館の棚から出してみたのでした。

そうすると、ミュンシュという人のバックグラウンドが気になり始めるのが、私なんですね。で、ウィキで調べると・・・・・

シャルル・ミュンシュ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5

アルザスだったのか、と。それじゃあ、複雑な人生を歩んでいるよね、と納得する部分もありますし、それを踏まえてこのアルバムを聴きますと、なぜ曲目がこうだったのかが、ぼんやりと浮かんできます。

このアルバム、実はベートーヴェンではないのが残念ですが、フランス音楽、特にわが国ではあまり演奏されることのない作品がずらっと並んでいます。でもよーく見ると、交響曲が二つ入っているんです。そしてその二つとも、いかにもフランス風の楽章構成である3楽章構成なんですね。

交響曲 (ショーソン)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3)

フランスの山人の歌による交響曲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%B1%B1%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%AD%8C%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2

正直、この二人の作曲家、ショーソンとダンディも、もっと演奏されるべき作曲家だと思っています。特にダンディは室内楽も素晴らしく、豊潤と言うか、彩り豊かな作品がおおいのです。この「フランス山人の歌による交響曲」もその一つです。ダンディが生きた時代が19世紀〜20世紀という時代だったことから、民謡採集ブームがその背景にあるのと同時に、ゆえに新古典主義音楽の影響も受けている作品で、絵画的な音楽が私は好みです。

ヴァンサン・ダンディ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3

一方のショーソンは、一時ドビュッシーと懇意だったこともある作曲家です。ということは時代的にも実は印象派の作曲家と言ってもいいわけですが、ショーソンの音楽自体はむしろ後期ロマン派だと言えます。収録された交響曲と、ファンタジアと言ってもいい「詩曲」は、しっかりとした和声に基づきながら、ふくよかな印象を持つ作品です。

詩曲 (ショーソン)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%A9%E6%9B%B2_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3)

こう見て来ると、このアルバムの一つの特徴が見えてきます。タイトルとしては「シャルル・ミュンシュの芸術」とあったんですが、いずれもフランスの作曲家でかつ後期ロマン派〜新古典主義音楽のあたりまでの、あまり演奏機会の少ない作曲家の作品を採り上げ、かつそれを交響曲中心にしている、と言う事です。フランスの交響曲は伝統的に3楽章が多く、それをいったん壊したのがサン=サーンスなんですが(これはあまり音楽史に詳しい人でも気が付かないことだと思っていますが、とても重要なんです、フランス音楽が次のステージを目指す事になったのをふりかえるときに)、この二人の作曲家たちはいずれも交響曲は3楽章の物を作曲した、ということなんです。

ここに収録されている2つの交響曲は、作曲された時は特に楽章数に意味など持たされていません。フランス人の作曲家として、自然と3楽章になったと考えるべきです。しかしそれを、アルザス・ロレーヌ地方出身のミュンシュが振るとなると、違ってくるわけなんです。そこにはフランスと言う国への愛着(愛国心)と、「自由」というキーワードが見え隠れするわけです。しかもオケはアメリカのボストン響。どこからどこまでも、「愛国」「自由」と言うキーワードが見え隠れするんです。しかもそれは、ミュンシュという指揮者が辿ってきた人生を振り返る、一つの表現として。

その上でさらに、このアルバムは、ステレオのごく初期の録音なんです。「詩曲」はまだモノラルです。しかしそのクオリティは当時としては高いと言えるでしょう。今からすれば少し硬質なんですけれど、それでも特にダンディのは豊潤な「色」というものがぞんぶんに出ており、私などはショーソンよりもダンディがどんどん聴きたいなと思わせるのに十分な演奏です。その演奏が、さらりと「アメリカの技術力、すごいでしょ」となっているわけなんです。でも、一つも「すごい」という言葉が連呼されていない・・・・・今の日本のテレビ番組とは異なり。

つまり、一つの宣伝材料なんですね、これ。それをミュンシュの芸術というくくりでまとめるなんざあ、さすが「自由と民主主義と、パトリオティズム」の歴史が日本よりも長い国だよねって思います。日本だと愛国って国家主義ですもんね。それって真の愛国者からすれば窮屈この上ないです。別に愛国者は国家に縛られないリベラルだっていいわけですし、左翼だっていいわけなんですよ。だからパトリオティズム自体は私はイデオロギーでもないって思っています。自然権なのではとすら・・・・・

ミュンシュが二人のフランス人作曲家の作品を演奏することで言いたかったことが何なのかは、正確にはわかりません。でも幾つかのキーワードから、私はこの演奏にとても共感を覚えるのです。すごいだろなんて一つも連呼していないのに、自然と愛国心が湧き上ってくるこの演奏に・・・・・




聴いている音源
エルンスト・ショーソン作曲
交響曲変ロ長調作品20
詩曲 作品25
ヴィンセント・ダンディ作曲
フランス山人の歌による交響曲 作品25
ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン、詩曲)
ニコレ・アンリオ=シュヴァイツァー(ピアノ、ダンディ)
シャルル・ミュンシュ指揮
ボストン交響楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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