かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:カラヤン、フィルハーモニア管によるベートーヴェン交響曲全集4

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、カラヤンとフィルハーモニア管によるベートーヴェン交響曲全集を取り上げていますが、今回はその第4集を取り上げます。

収録されているのは、第6番「田園」と第8番の2曲ですが、私はこれは第3集の第2ヴァージョンだと捉えています。なぜなら、カップリングが標題ありとなしだから、です。

恐らく、第6番に関しては、このフィルハーモニアの演奏でもいろいろ批判どころか、非難が、アンチ・カラヤンから出ることでしょう。でも、私はあくまでも是々非々。その姿勢で聴いてみると、不思議なことが浮かび上がってきます。

それは、第8番同様、演奏がすっきりしていることです。これは後のベルリン・フィルとのセッションではもっと顕著なことですが、私はそこに、カラヤンの一つのメッセージを受け取るんですね。

以前から、私は第九での違和感はいったい何なのだろうと考えてきました。それがこの全集で明らかになりつつあることは、とても喜ばしいことです。

総括は最後の第5集、第九を採り上げる時にしたいと思いますが、この段階で言えるのは、カラヤンは敢えて標題にこだわっていない、ということです。あくまでも楽譜からのみ掬い取ろうとしているんですね。

で、私も古楽演奏が決して嫌いな人ではないですし、BCJのファンでもありますから、そういえば古楽演奏に似ているなと、最近感じています。古楽演奏は所謂後期ロマン派的な演奏をアンチとしていますから、すっきりとした演奏が多いのが特徴です。今ではそれも再評価となって、古楽演奏でもっと内面に迫れないかと言う実験が進行中で、いい傾向だと思います。

カラヤンは当時、勃興していた古楽演奏から、一体何を感じ取ったのでしょう?まるで影響を受けたかのような、すっきりとした演奏が並ぶのです。第8番のノリノリの演奏が、第6番にも散見されるのはどういうことなのでしょうか?

そこを考えながら聴くのが、カラヤン演奏の醍醐味なのかもしれない・・・・・今はそのように思っているのです。となれば、一見すれば初心者向けと言われるカラヤンですが、これは上級者向けなのかもしれないって思います。以前からそのように申し上げておりますが・・・・・

カラヤンがフィルハーモニアやベルリン・フィルを振っていた時代は、古楽演奏のぼっ興期である・・・・・この視点は大事だと思います。その上で、自分が何を感じるのか。外面的だからいやでもいいですし、すっきりとしていいじゃない?でもいいと思いますが、カラヤン党は人間として終わっているとか、人格攻撃はどうも受け入れることができません。

カラヤンと言う人物を、本当に知ったうえでの攻撃なのでしょうか?ここまでフィルハーモニア時代の演奏はすっきりとしているうえで、実にのびのびとしています。この第4集で言えば、第8番の諧謔性は私が聴いたなかでも最高レヴェルです。ベートーヴェンメトロノームをつかったということは、テンポが重視される作品であることを意味しています。そのテンポ重視からいったい何が出てくるのか・・・・・ここが指揮者によって異なる部分です。その違いを楽しむのが、本来のクラシック音楽の楽しみ方のような気がしてなりません。

その意味では、編集者は敢えて、第3集では第4番と第5番を並べ、この第4集では第6番と第8番を並べていると、私は判断しています。カラヤンの紡ぐベートーヴェン交響曲とは?ということを聴き手に徹底的に考えさせる・・・・・素晴らしいと思います。




聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第4番ヘ長調作品68「田園」
交響曲第8番ヘ長調作品93
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
フィルハーモニア管弦楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村