神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、メンデルスゾーンの交響曲全集を採り上げていますが、今回はその第3集を取り上げます。
この第3集には、第3番と第5番が収録されています。第3番はメンデルスゾーン最後の交響曲で、第5番は実際は2番目の交響曲ですが、メンデルスゾーンの死後に出版された作品です。
交響曲第3番 (メンデルスゾーン)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC3%E7%95%AA_(%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%B3)
交響曲第5番 (メンデルスゾーン)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC5%E7%95%AA_(%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%B3)
つまり、この第3集には2番目の交響曲と、5番目の交響曲が収録されている、ということになります。メンデルスゾーンは決して成立順は番号順でないのは明らかなのですから、成立順で収録しても面白かったところです。
私は携帯音楽プレーヤーでは、番号順(成立順)で聴くことが多いのですが、このメンデルスゾーンは、成立順で並び直して聴いてみると面白いかもしれないなあと思っています。多分、入れる時にはそうしていると思いますので、やってみましたらまたエントリを立てたいと思います。mp3音源になってしまいますが・・・・・
確かに、第3番は堂々としており、メンデルスゾーンの円熟味を味わうことができます。連続して演奏されるとありますが、この演奏を聴く限りでは、区切られているのです。明確に区切られていないというよりも、休符なのではないかと思います。楽譜を見れば恐らく明白だろうと思うのですが、少なくともこの演奏を聴く限りでは、休符において区切られているように思います。
第5番は第3番よりも古いはずなのですが、実に面白い作品です。まず3楽章であること。その上で第1楽章と第3楽章がともに長いこと。この二つの特徴はこの作品を紐解くキーワードのような気がしてなりません。
第5番が作曲されていた時期、というより改訂が何度も入っていますから、最初に完成された時期、実はメンデルスゾーンはピアノの名曲「無言歌集」の第2集を作曲途中でした。その中にはとても苦しみを背景にした作品が含まれていますが、それらとこの第5番とは関連があるように思われます。ウィキには、メンデルスゾーンが「熱心な」ルター派だとか、最終楽章は気に入らないから破り捨てたいという言葉が載っていますが、私は額面通りに受け取っていません。
なぜなら、メンデルスゾーンはもともとユダヤ教徒だったからです。そのために、「エリヤ」を書いてもいます。メンデルスゾーンはただの熱心なルター派信者ではありません。ユダヤ教からヨーロッパの音楽界で生き残っていくために改宗したルター派信者です。熱心だったのはおそらく強迫的であったろうと想像できます。勿論、嫌いではなかったでしょう。そうでなければバッハ再興、特にマタイ受難曲の再興をするはずがありません。しかしその時でも、メンデルスゾーンは自分のルーツがユダヤであるということを忘れていません。「もともとユダヤ教の自分がキリスト教の受難曲を再興するとはな」という言葉を残していることを忘れてはなりません。
第5番に対する不満は実は、アウクスブルクの信仰告白の300周年を記念して作曲されたこの作品が採用されたなかったことによるものであろうと私は推測しています。それに合うために、心理の専門用語で「過剰適用」と言いますが、まさに過剰適用しようとして苦しんだ末の作品であると想像しています。
恐らく、3楽章という形式に似つかわない、第1楽章と第3楽章が長いという様式が、当時の人にとっては奇異に見えたのでしょう。では、この3楽章形式は何を意味するのでしょうか。私は20世紀音楽におけるキーワードである、自由を想起します。
勿論、第5番が書かれたのは第1番の1830年ですし、改訂もメンデルゾーンの死ぬ1847年まで続けられたわけです。時期的には20世紀であるはずがないんですが、二つの特徴が並び立つのは20世紀音楽の隠されたキーワード「自由」」としか考えられないのです。ただそれは、新古典主義音楽という経過の中で成立したキーワードです。
メンデルスゾーンが、宗教改革という歴史的偉業を表現するために、3楽章を採用し、しかしそれだけでは多感様式や前古典派のシンフォニアと一緒になってしまいますから、新しさを出すために時間配分を大幅に変えてみた、とすれば、この二つが並び立つのは理解できるように思います。そしてそれはメンデルスゾーンの中では、フランスの様式として、自由を意味する物だったのかもしれません。
同じく宗教を題材にとったのが、交響曲第2番「賛歌」です。第2番も特殊な構造をしていますが、楽章数から言えば4楽章と言えます。その意味では古典的で、ベートーヴェンの「第九」すら意識していると言えます。第5番はガチでルターの宗教改革を扱っています。それはカトリックからの解放、自由を意味しました。であれば、メンデルスゾーンが隠れキーワードとして「自由」を第5番に込めていたのかもしれません。私にはそのように受け取れるのです。
第1楽章は実に劇的な音楽で、第3楽章では平和が訪れるような音楽です。この構成からも、プロテスタントが辿った歴史に、自らを投影しているように私には思えるのです。それはおそらく、作曲から改訂までの間にメンデルスゾーンが経験した「痛み」であろうと思っています。その痛みを表現しきれないために、でた言葉が「破り捨てたい」ではないのだろうかと思います。
第3番と第5番では指揮者が異なりますが、オケは同じオランダキリスト教放送室内管弦楽団。ともに実に生き生きとした演奏をしています。特に第5番は指揮者が古楽オケでも定評のあるインマゼール。第3楽章の「神はわがやぐら」をもとにした旋律もステディかつ情熱的に演奏しています。第3番を指揮するのはオストマン。スコットランドでの、恐らく祖国での評判などから解放された、奔放かつ深遠な内面を、オケを歌わせることで雄弁に語らせており、最後は聴き手をノリノリにさせます。いずれもメンデルスゾーンの作品を深く掘り下げて、深い味わいを私たちに与えてくれています。
この全集を聴いていたからこそ、私は瀬川氏の「無言歌集」のリサイタルへと足を運んだのでした・・・・・・メンデルスゾーンを俯瞰したゆえに至った、精神世界を知っていたからこそ。
聴いている音源
フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ作曲
交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」
交響曲第5番ニ長調作品107「宗教改革」
アーノルト・オストマン指揮(第3番)
ジョス・ファン・インマゼール指揮(第5番)
オランダキリスト教放送室内管弦楽団
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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