神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、元音源ナクソスのピアノ作品全集を取り上げていますが、今回はその第19集を取り上げます。ベートーヴェンの交響曲トランスクリプションの第3集で、交響曲第6番「田園」と第4番が収録されています。
田園と言えば、第1楽章は禁則もぐり込み。その部分のトランスクリプションは最高です!なんと原作が残っていることでしょう。リストはベートヴェンの交響曲のトランスクリプションは1840年代から取り組んでいますが、最終稿が残されたのは1860年代。その後、様々な名作が世に問われたわけですが、その後の活躍が納得できる部分です。
第2楽章も殆ど原作が原形をとどめており、さすがと言わずして何でしょう。ところがです、繋がっている第3楽章から第5楽章までは、さすがのリストも手を加えずには完成できていない部分です。
私は、この第6番はロックだと思っています。第1楽章の禁則もぐり込みの採用から始まり、古典派では殆どなされていなかった標題の「復活」(ヴィヴァルディなどバロックの作曲家の方がやっていたため)、そして楽章が繋がるという様式。様々な部分に、当時の音楽の法則からは逸脱した部分が散見されるからです。これをロックと言わずして、一体なんでしょう?
そのロックの最たる部分が、第3楽章から第5楽章だと言えましょう。だからこそ、さすがのリストもかなり苦労しているのが手に取るようにわかるんですね。また演奏するシチェルバコフもかなり苦労しています。原曲からは想像もできないほど、ピアノでは普通に超絶技巧になっているのです。でもそれは、単にトランスクリプションしただけです。
つまり、ベートーヴェンは作曲した時、耳が聞こえないにも関わらず、頭に響いている音を楽譜に写すために、実際弾いている、という事なのです。何とこの作品は超絶技巧であることか!ピアノ・ソナタからは全く想像できないくらい、第6番はピアノ作品として弾きますと、すでに古典派ではなくロマン派の作品であるのです。それにリストが気づいていないということは、恐らくなかったことでしょう。
だからこそ、私は「田園」を古典派のロケンローと呼んでいます。第5番もそうだと言えますが分かりやすいため、第6番は置いてきぼりになる傾向がありますが、はっきり言いまして、これほど時代から外れた作品が現代の基準から言えばロケンローでないはずはないでしょう。それこそ、孤高であるが、仲間に恵まれた作曲家、ベートーヴェンが生み出した作品だと言えます。その様子がこのトランスクリプションと演奏から、手に取るようにわかるのは素晴らしいです。
そこで第4番を聴きますと、本当に古典的な作品なんだなと解かります。殆どリストが変えた部分がなく、原作そのままではないかと見まごうばかりの作品となっています。勿論よーく聴けば、所々原作と変わっている部分はあるので、やはりトランスクリプションですが、それが分かりにくいくらい、第4番は古典派している作品だと言えます。つまり、このトランスクリプションには、リストはあまり苦労していないということが言えましょう。
でも、この二つの作品は、特に第6番がそうですが、リストの後半生の作品たちに真っ直ぐつながっているのではないかと思います。例えば、音が飛び跳ねて騒がしい作品ではなく、もっと静謐な作品(「伝説」のような)へと。
シチェルバコフの演奏は、それへのリスペクトなのか、特に「田園」ではテンポを気遣って演奏しています。ゆったりぎみで入り、アコーギクも多少きかせて、ピアノ作品と交響曲が融合したような、そんな意識で演奏しているのが分かります。田園の第5楽章はまるでラ・カンパネラ。泣けてきます。それだけでもロケンローでしょ!
それはやがて、ロマン派以降のベートーヴェン神格化へと繋がっていくのですが、それはまた別の機会にお話しすることといたしましょう。多分、第九の時などに・・・・・
聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
フランツ・リスト編曲
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
交響曲第4番変ロ長調作品60
コンスタンティン・シチェルバコフ(ピアノ)
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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