かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:テレマン 協奏曲集1

神奈川意県立図書館所蔵CD、今回から3回にわたってテレマンの協奏曲を取り上げます。元音源はブリリアント・クラシックスの3枚組です。

さて、バロック音楽の作曲家と言えば、様々な人がいるわけなのですが、その中にテレマンがいます。このブログでは初めて取り上げますが、バロック好きな人たちの間では比較的ポピュラー(実際、大阪のテレマン室内オケの由来にもなっています)な作曲家ですし、このブログでも実は一度、大バッハの長男、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハを取り上げた時にウィキを引用する形で触れています。

テレマンは、バッハとほぼ同時代を生きたバロック末期の作曲家で、大バッハの長男、ヴィルヘルム・フリーデマンも師事した作曲家です。

ゲオルク・フィリップ・テレマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%9E%E3%83%B3

ウィキの記述で重要なのは、「彼は86歳と長生きだったため、晩年はハイドンの青年時代などと重なり、高齢でも創作意欲が衰えなかった。トリオソナタの編成で『ディヴェルティメント』と書かれた晩年の作品もあり、常に新しい音楽傾向の先頭に立ち続け、対位法を主体とする後期バロック様式からホモフォニーによる古典派様式への橋渡しをした作曲家であった。」という点でしょう。バッハと比べたとえば精神性などがないという理由からあまり顧みられることが少ないテレマンですが、彼が果たした役割は大きかったのです。

それが詰まっているのが、今回から3回に分けてご紹介する彼の協奏曲だと言えましょう。

まず、第1集の今回は、特に管楽器のための協奏曲が並びます。複数の楽器による協奏曲が並んでおり、それだけを見るといかにもバロック的なのですが、実は楽章はほとんどが3楽章制を取り、急〜緩〜急の構成になっているのです。そう、つまり古典派の協奏曲と一緒です。これは明らかに、ヴィヴァルディの影響を受けています。

中には、トラックでは4つになっているものもありますが、序奏としての役割を持っているものもあり、それを一つの楽章としますと見事に3楽章となるのですから、驚きです。

これと同じことをバッハもしており、活動的には宗教曲が少ないことを除けばテレマンもバッハも大して変りないのです。ライプツィヒに於いてはバッハ、ハンブルクに於いてはテレマンが、それぞれバロック末期のドイツ・バロックをけん引し、その様式を古典派へと引き継いだと言えるでしょう。

特に、この音源でそれを感じますのは、フルート、リコーダーのための協奏曲ホ短調です。リコーダーといういかにもバロック的な楽器を使いながら、楽章構成としてはラルゴの序奏がありつつ3楽章となっていることは、テレマンが生きた時代をまさしく代表する作品だと言えるでしょう。それ以外も、イタリア・バロックからの影響を強く受けつつ、古典派を用意している点に変わりありません。

彼は「ターフェル・ムジーク」ではコンチェルト・グロッソの様式で協奏曲を書いてもいますが、ここでは編成だけは合奏協奏曲風にしていますが、実際には普通の協奏曲と言えるような作品がずらりと並んでいます。この点からも、私はテレマンは明らかにヴィヴァルディの影響を受けていると考えます。

その上で、独創的な斬新さを入れてもいます。それが、2曲目の交響曲「イル・グリッロ」です。普通の指示とは少し異なるのですが、明らかに3楽章の交響曲と同じにしています。が実際には協奏曲です。交響曲の楽章構成がどのようにして成立したのかを考える時に、外せない曲だと思います。編成的にも、今ではラーメンのCMでしかお目に書かれないチャルメラ(シャルミュー)を使っている点も、注目だと思います。それがまた哀愁があって、けっして楽しさだけではないのがテレマンの作品の魅力の一つだと思いますし、それを代表しています。

チャルメラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%A2%E3%83%BC

しかし、なぜテレマンの作品は明るいと言われ、バッハの作品よりも貶められているにも関わらず、実はテレマンの作品にもバッハ同様に気品と哀愁がある作品が多いのかといえば、まず、当時の聴衆がそれを求めていたからだと言えましょう。

バッハとテレマン――歴史による淘汰?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ubukata/3u.html

その背景として、ここで再び私は地球物理学を持ち出したく存じます。つまり、マウンダー極少期です。気晴らしの作品が要請されたのは、それだけ社会が厳しかったからだといえましょう。マウンダー極少期は、数多くの人間の命を奪いました。寒さと疾患です。ペストも流行しました。そういった社会現象が芸術に強い影響を与えています。マウンダー極少期が終わった1715年、テレマンは34歳。フランクフルトで音楽監督をしていた時代です。一番多感な学生時代を、彼は太陽黒点が50個ほどしか観測されない、寒く厳しい状況で過ごしたのです。勿論、彼に作品を委嘱した人たちも同様の時代を生きていたわけです。気晴らしの作品がなければ、精神衛生を保つことなど、できない時代だったのです。

マウンダー極小期
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E6%A5%B5%E5%B0%8F%E6%9C%9F

このウィキのグラフを見てみると、実際に太陽黒点が正常に戻ったのは、実はテレマンの晩年であることが分かります。つまり、テレマンが活躍した時代のほとんどは、太陽黒点が少なく、寒い時代であったことが分かります。ですから私は、なぜ気晴らしの作品が多かったのかが、手に取るようにわかるという訳なのです。もしなかなかわかりづらい方は、ルーベンスなどフランドル派の画家の作品を見てみると分かりやすいかと思います。風景画は決して明るくないのに、一部だけ明るいとか、そういった点から感覚的に理解できるかと思います。それが音楽ではどのような影響を与えたかといえば、一方ではバッハが作曲したような哲学的な作品であり、一方でテレマンの明るく屈託のない作品であったわけなのです。

では、バロックを通じでそうだったのかというのが、私のバロック最盛期への興味に繋がっているのです。それがたとえば、コレッリなどの作曲家に目を向ける一つのきっかけになっていますが、それはまた別の機会に譲るとしまして、まずはテレマンの作品をご紹介することにいたしましょう。その導入として、再びマウンダー極少期を取り上げましたが、彼の作品を理解するためには、私は欠くべからざる視点だと考えています。

続く2回も、お読みになる皆様方が、マウンダー極少期を意識しながら読んでいただけますと、幸いです。

演奏面では、軽くしかし軽薄ではない演奏は、テレマンの作品のもつ、光と影を忠実に伝えているように思います。生き生きとした各々の楽器、或いはオケは、まさしくテレマンが要求された時代背景を伝えているように私には思えます。バロックは華麗・・・・・そういう曲もありますが、その背景までを描いているように聞こえるのはなぜなのでしょうか?決して奇をてらわない一人一人の演奏者の誠実な姿勢が、テレマンの「音楽が意味すること」を、私たちに伝えています。



聴いている音源
オルグ・フィリップ・テレマン作曲
3つのトランペット、2つのオーボエのための協奏曲ニ長調
交響曲「イル・グリッロ」(フルート、ピッコロ、オーボエ、シャルミューおよび2つのベースのための協奏曲)
フルート、オーボエ・ダモーレ、ヴィオラ・ダモーレのための協奏曲ホ長調
フルート、リコーダーのための協奏曲ホ短調
ヴァイオリンとトランペットのための協奏曲ニマーティン・ハーゼルベック指揮
ウィーン・アカデミー



地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。



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