かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:マーラー 交響曲第9番

今回の県立図書館所蔵CDは、マーラー交響曲第9番です。指揮はサー・ゲオルグショルティ、演奏はシカゴ交響楽団です。

自分のデータを調べてみましたら、3番、7番、9番を全く同じ日に借りています。それだけ、このときはマーラー祭りだったということになります。

マーラー最後の交響曲となるこの曲は、私にとって実は非常に入りやすい世界でした。それだけに、本当に私はとんでもない曲からマーラーは入ってしまったなあと思います。

ショルティ、シカゴ響のコンビはそのホールの響きのせいなのか、それともオケそのものの音質によるものなのか、とても聴きやすい演奏が多いです。買った「巨人」もマーラーのイメージを変えた一つのきっかけですし。ただ、この1曲だけではやはりインパクトが弱かった面は否定できません。

それを今聴いていても本当に感じます。音がなんというか、シャープという感じです。フランクフルト放送響の何となくやわらかい響きと違い、シカゴ響はもっとシャープなんです。それでいて、ダイナミクスさはもちろん、やわらかさもきちんとあります。それはショルティだから当たり前といえばそうですが・・・・・

初めから、ショルティだったら、もしかすると私のマーラー観は違っていたかもしれません。もっと早い時期から聴き始め、コンサートにも足しげく通ったかもしれません。ただ、それはもしかすると合唱という世界へと足を踏み入れることのない生活だったかもしれませんが・・・・・

そう考えますと、いろんな意味でインバルとショルティマーラーに触れているのは運命としか言いようがない気がします。

これからは、いろんな指揮者、オケで聴きたいですね。

この曲は第1楽章が30分もありますが、それが全く長く感じないんですね。形式的には、マーラーの個性がおもいっきり押し出されていますが、しかし4楽章形式で収めているところ、それが聴きやすさ、とっつきやすさにつながっているように思います。

実際、5番よりもこの9番のほうが私は好きです。この9番のほうが基本的に曲調が厭世的でない明るさと暗さを併せ持つからだと思います。

結局、私が一番最初に買った彼の交響曲は、こう聴いてきますと順位的にどんどん下がってゆく・・・・・なーんだ、マーラーはこんなに楽しい曲だったか、と今は考えています。

ま、それも一つの運命だったのかな、って思います。やっぱり、ブルックナーと比べてみますと、ブルックナーのほうがはるかに自分の好みでしたし。最初、マーラーではなくブルックナーだったら、また私の人生は変わっていたことでしょう。

でも、それが一番最初の後期ロマン派の交響曲マーラーの5番だったから、今までの人生になったわけですので、いまさらそれを悔いても仕方ありません。そのおかげで、今たくさんの合唱関係の友人がいます。今はもう歌っていないのにもかかわらず、コンサートなどで顔をあわせれば向こうから話しかけてくれるほどの人たちがいます。

それは、マーラーの5番が初めてだったからこそ出会えた人たちであり、それが例えばこの9番だったら、果たして出会えただろうかと思います。

そんなことを考えさせてくれた一枚でした。



聴いている音源
グスタフ・マーラー作曲
交響曲第9番
サー・ゲオルグショルティ指揮
シカゴ交響楽団
(DECCA 410 012-2)