かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:アラウが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集2

東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリをご紹介しています。11回にわたりまして取り上げるアラウが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の、第2集です。

この第2集には第3番と第4番が収録されているので、ほぼ番号順での収録ということになるのですが、録音年代の関係で番号は前後するようです。

とはいえ、この第2集でもアラウの「歌」は健在です。そのうえで、第3番では流れるようなパッセージもあり、作品の特質をとらえながらも自分の歌を歌うアラウには、もう敬服するほかないって感じです。

本来、第3番は第1集に収録されている第1番と第2番とおなじ作品番号が振られています(作品2)が、ベートーヴェンの個性というものが発揮されているこれらの作品は、こんな若い番号の作品でも、独立して演奏しても何ら違和感がないってことを、アラウは自分の「歌」で証明しているんですね。これぞ巨匠たるゆえんだと思います。

第4番は作品7で、枝番がないのでこの1曲のみに作品7が振られていますが、アラウのピアノで聴いてみると、第3番も第4番もそれぞれが印象的で、個性が際立つのがわかります。こういった演奏を聴くことも、クラシック音楽を聴く醍醐味だあなあとおもいます。

もちろん、新しい作品を聴くのも私は大好きです。現代音楽で私が今まで気づかなった点が気付けるのは本当に幸せなんですが、その一方で、古典派の作品で新たな視点をもらえるのもまた楽しいことです。アラウのピアノは常に驚きと感銘にあふれています。ただ単に弾いているだけなのに!

アラウなんて当たり前のピアニストでしょ?という向きもあるかもしれません。しかし意外にも、日本の音楽教育だとほとんどが管弦楽作品しか音楽鑑賞の時間で聴かせないものですから、どうしても管弦楽、特に後期ロマン派へと傾倒している傾向がありますが、どうしてどうして、古典派のピアノ作品、そしてその演奏も素晴らしいものです。音楽の時間でもっとピアノ曲の魅力に触れていれば、私の人生も変ったろうになあと思います。多分もっと豊かで、恋人の一人や二人だっていたろうになあと思います・・・・・マヂで。

どうしても、大規模管弦楽作品って、女性は遠ざける部分ってあるんですよね。けれどもそれがわからずに、こっちは管弦楽一押しで突っ走る。相いれないのは当たり前なのに、全然今まで気づかないんです。でも、アラウのような演奏にでありようやく気付くなんて遅すぎですが、まあ、これが私の「その時」なんでしょう。

さて、このわたしのアラウ体験が「その時、歴史は動いた」となるのか、それとも違うのか・・・・・それは、私に課せられた一つの課題かもしれません。そう思いつつ、さらに次回以降を執筆したいと思います。

 

さて、次回第3集を取り上げるのは新年となりました。このエントリが本年最後のエントリとなります。本年もこのブログをご愛顧いただき、誠にありがとうございました!また来年もごひいきの程、よろしくお願いいたします!

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第3番ハ長調作品2-3
ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調作品7
クラウディオ・アラウ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:アラウが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集1

東京の図書館から、今回から11回にわたりまして、府中市立図書館が所蔵するアラウが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集をとりあげます。

実はこの全集、神奈川県立図書館で最後だけ借りており、以前とりあげたことがあるかと思います。それをすっかり忘れ、重複してリッピングしてしまっているという・・・・・orz

けれども、いずれにしても、その演奏がフラッシュバックしたのか、小金井でショパンを借り、そして府中でこの全集に至ったのは確かです。アラウの歌うピアノはこのベートーヴェンでも健在です!

とはいえ、この第1集は第1番と第2番、そして飛んで第5番が収録されていますが、実に堅実な演奏も見受けられます。ということは、アラウは音楽史を踏まえながら、自分の歌で作品を表現しているということになるかと思います。

しかも、第1番から徐々に歌い始め、そのクライマックスを第5番に持ってくるんです。第5番、短調なんですけれど・・・・・

それを言うなら、第1番も短調ですね、はい。アラウの抒情性と冷静さが同居するそのピアノは、まさに私好みだといえます。もう、どんどん歌ってほんと!

ピアノという楽器の歴史において、重要な役割を果たした作曲家の一人に、ベートーヴェンはまず挙げられるかと思います。当時のピアノの性能を最大限に使うだけではなく、当時では難しくても未来ではできるはず(例えば、「ハンマークラヴィーア」)という作曲もしたのは特筆に値します。オルベルツがハイドンの作品をあくまでもピアノ曲として表現したように、アラウはまさにベートーヴェンの作品を「ピアノ曲」として表現しているんですね。

この全集で実は私にとっては4つ目のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集なのですが、どのピアニストも個性的で素晴らしい!その中でも特にこのアラウの歌謡性と抒情性、そして時としての冷静さは、まさに私が待っていた演奏だとも言えるかなと思っています。第1集からこいつは縁起がいいや!

・・・・・って、まだ正月来てませんでしたね・・・・・

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調作品2-1
ピアノ・ソナタ第2番イ長調作品2-2
ピアノ・ソナタ第5番ハ短調作品10-1
クラウディオ・アラウ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。

コンサート雑感:府中市民第九2019を聴いて

コンサート雑感、今回は令和元年12月15日に聴きに行きました、府中市民第九2019を取り上げます。

府中における年末の第九イベントは、ここ数年は2年おきに開催されています。これは多摩地域では恒例になっているようです。同じようなサイクルで開催している自治体に小平市があります。

実はわたしはここ数年は府中市在勤者でした。そのこともあり実はずっと府中市民第九は聴きに行きたかったのですが、大体日曜日に行われるコンサート、日曜日勤務の私はなかなか行く機会がありませんでした。人手も少ないせいで、親戚が亡くならない限りは休暇すら取れない職場でしたので・・・・・

毎年、指をくわえてポスターを見ているだけでした。しかし今年はその仕事からも離れたため、初めて行ける機会ができた最初の年となりました。のに、その前にお誘いを受けたのが、毎年聴きに行っているコア・アプラウス関係のオペラ「蝶々夫人」・・・・・

どうしようか、あきらめようかとも思ったのですが、取り上げる曲などを勘案したら、はしごしても間に合うという結果が。なら、ひっさしぶりにコンサートをはしごしてみようか、と思い立ち、チケットを取りました。

今年のプログラムは、以下の通りでした。

オール・ベートーヴェン・プログラム
ベートーヴェン:シュテファン王作品117
ベートーヴェン交響曲第9番「合唱付き」

ここ最近の傾向なんですが、たいてい1プロは間に合わないという事態が発生しています。まあ、もうそれなりの年齢なんだなあと実感しますが、今回もその傾向ばっちりで、1プロ「シュテファン王」は間に合わずでした。けれども、担当オケは府中市交響楽団ですから、素晴らしい演奏だったのではないかと思っています。

そう、府中市民第九を聴きに行きたかったのは、昨年聴いた「わが祖国」が本当に素晴らしかった事もあるのです。あの演奏を聴かなければ無理して日程を組まなかったと思います。なにせそもそもそれ以前に予定していた「蝶々夫人」の開演が17時なんですから・・・・・

府中市民第九の会場は東府中にある府中の森芸術劇場どりーむホール。一方、先に入っていた蝶々夫人曳舟文化センター。どう考えてもギリギリなんです(実際それもギリギリでした。詳細は「蝶々夫人」のほうで述べたいと思います)。だからこそ悩んだわけなんです。けれども、チケットを取り聴きに行って大正解でした。

冒頭から緊張感のある演奏。府中市民響さんには珍しい音が外れるということもありましたが、全体的には引き締まった演奏で、ぐいぐい引き込まれていきます。特に素晴らしいのが金管ティンパニ、そして弦。ティンパニは堅めのセッティングですがそれをぶっぱなすのではなく、あくまでも上品に「ぶったたたく」。気品すら漂います。そして金管は本当に美しい・・・・・そして弦も、全くやせた音無し!

ただ、弦に関しては策を弄しすぎだったかなと思います。もちろん指揮者大井氏が、です。第3楽章ではもっと前半歌わせてもよかったと思いますし、第4楽章ではあまりアコーギクや表現を無視にしなくても十分魂に響くのではないかなあと思いました。府中市民響は本当にうまいオケですから、やりたい気持ちはわかるんですが、あくまでもアマチュアオケです。まあ、そこを忘れるくらいうまいんですけどね、府中市民響って・・・・・

vor Gott!の部分も特段変態演奏というわけでもなく、もし変態演奏だったとしても1拍抜けているくらい。とてもオーソドックスなんですが、特に今回素晴らしいのが合唱!アマチュア合唱団で安定した歌唱を聴けたのは昨年の都民響さんのソニー・フィルハーモニック合唱団くらいではなかったかなあと思います(年明けにまたこのコンビで第九があります、その日はベルオケさんの定演があるので今年は行けません。ソニーフィル唱さんや都民響さんの成功を祈ります)。

では、合唱団はどこか常設のところが担当しているのかと言えばそんなことはなく、この日のために結成された特別市民合唱団。いわゆる「第九を歌う会」みたいなもので、川崎市民第九とおなじ。なのに、その歌唱のなんと力強く安定した歌唱であることか!練習番号Mの部分なんて感動ものです。楽譜通り冒頭はソプラノなしで、そのあとの「そうだ、たった一人の友しか得られなかったものも唱和せよ!」の部分でソプラノが入ってきたときには鳥肌立ちました。いやあ、府中ってどこにそんな力あるんだ?と本当にびっくりさせられました。

感動というか、そこに仲間がいる!という感じで、体中に喜びが満ち溢れるのを感じました。また再来年も聴きに来たいなと思います。来年ないのは残念ですが、来年はぜひとも小平市民オケの第九を聴きに行きたいと思っていますので・・・・・

 


聴いてきたコンサート
府中市民第九2019 第18回府中市民第九演奏会
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
劇音楽「シュテファン王」作品117
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」
天羽明恵(ソプラノ)
奥野恵子(メゾソプラノ
望月哲也(テノール
青山貴(バリトン
府中「第九」2019合唱団(合唱指揮:山口浩史)
大井剛史指揮
府中市交響楽団

2019(令和元)年12月15日、東京府中、府中の森芸術劇場どりーむホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。

神奈川県立図書館所蔵CD:湯浅譲二 管弦楽作品集

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回は湯浅譲二管弦楽作品を収録したアルバムをご紹介します。

湯浅譲二・・・・・その名を聞いたことあるようなないような、という人が多いのではないかと思います。日本の現代音楽の作曲家で、なんと!まだご存命なのです。

ja.wikipedia.org

あまりメジャーな作品が少ないので、ピンとこない人も多いのではないでしょうか。かくいう私もその一人です。では、現代日本の「現代音楽」とはどのようなものか?と興味を持ち、借りてきたのがこのアルバムでした。

私も、高校の時教科書などではその名を見ていましたが、ではどんな作品なのかとなると、音楽鑑賞の時間で聴いた記憶ってないんです。ですから、百聞は一見に如かず、というわけで、聴いてみましょ~

借りてきたときのオーディオチェック時に聴いたときは、まだスピーカーがアキバで買ってきた1000円のものでしたから、とりあえずうん、それほどおどろおどろしくはないなという印象しかなかったんですが、今改めてソニーのSRS-HG10で聴きますと、なんと豊潤なサウンドが広がることか!

不思議と和声がいやらしくなく、むしろ美しい。不協和音が鳴り響いているにも関わらず、本当に美しいのです。特にそれを感じるのが、「コズミック・ソリテュード」。ヘルダーリンの詩を使った作品ですが、ヘルダーリンの狂気が、しかし一つ引いた、冷静な視点から描かれているのです。これは素晴らしい!

どの曲も、本当に現代音楽の悪い印象のおどろおどろしさが、むしろとても不思議な世界として広がっており、ふと耳を傾けてしまうんです。演奏するのはオケはN響と東響、そして日フィル。指揮するのもそれぞれ当代を代表するような指揮者ぞろいです。これだけのタレントがそろい、いいスピーカーで現代音楽を聴くと、今までとはまるで印象が変わるから不思議です。

そんな経験を、このところずっとしています。だからこそ、たとえばウィーン・フィルだったら新古典主義音楽だったり、退廃音楽あたりを持ってきても面白かったと思うんですが・・・・・まあ、湯浅の作品すら顧みられない現状では、難しいかもしれません。

今回聴きなおして、私は湯浅を「天才」と呼びたいと思います。なぜなら、彼が作曲家を志したのは、「これくらいなら自分でもできる」という自信だったわけですから。え、これくらいって・・・・・聴いてみてください、各作品を。決してそんな簡単ではないですよ。でも「これくらいなら私にだってかける」って言っちゃうんですもん。そもそも頭はいいんでしょうが、いいだけで説明つくのかって思います。

私自身、これだけのタレントの作品を今まで放っておいたのはたいへん申し訳ない気持ちです。今後できるだけ、取り上げることができるといいなあと思います。

 


聴いている音源
湯浅譲二作曲
①オーケストラの時の時
②コズミック・ソリテュード~ヘルダーリン「人生の半ば」によるバリトン、合唱と管弦楽のための
③クロノプラスティク
④内触覚的宇宙Ⅴ
⑤始源への眼差Ⅲ
宮本益光(バリトン、②)
東京混声合唱団(②)
ミヒャエル・ギーレン指揮
NHK交響楽団(①)
飯森範親指揮
東京交響楽団(②)
準・メルクル指揮
NHK交響楽団(③)
飯守泰次郎指揮
日本フィルハーモニー交響楽団(④・⑤)

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神奈川県立図書館所蔵CD:ヴァントとミュンヘン・フィルのブルックナー交響曲第5番

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はブルックナー交響曲第5番のCDをご紹介します。指揮はギュンター・ヴァント。オケはミュンヘン・フィルです。

まあ、この組み合わせなら鉄板!というファンも多いかとは思うんですが、ヴァントと言えば、北ドイツ放送響とのもののほうが断然有名です。そんな中で、老舗ミュンヘン・フィルのものを借りてたってわけなんです。

ミュンヘン・フィルは私も好きなオケの一つです。何よりサウンドの豊潤さと爽快さが同居するのがいいなと思っています。そんなミュンヘン・フィルとだと、ともすれば甘美になりすぎがちな演奏になるブルックナーが、なんと生き生きとしていることか!

ヴァントの解釈も素晴らしいのだろうと思いますが、相互にいい影響を及ぼしているように思います。音楽の三要素である旋律、リズム、和声どれもおろそかにすることなく、そのバランスの中で絶妙なポジションを明確にしたヴァントとミュンヘン・フィルのサウンドは、適度に酔わせてくれ、また思考をめぐらさせてくれます。

特に、ブルックナー交響曲ブルックナーオルガニストであるというキャリアから出発していますが、そのキャリアをおろそかにしていない点も好印象です。

ブルックナーが作曲した時代は、宗教的権威が失墜し、市民社会が充実し始めた時代です。そんな時代を反映したような作品の一つとしてこのブルックナーの第5番は位置づけられるように思います。神なき時代の宗教とは?マーラー交響曲でも指摘されるこの視点は、ブルックナーにも言えるように思います。むしろブルックナーのほうが宗教的ですが。

とはいえ、たとえばコラールなどがつかわれているとかではないのに、旋法が感じられたりなど、ブルックナーの宗教音楽家としてのキャリアも反映されている作品を、しっかりとリズムを感じながら紡いでいくのは聴いていて爽快です。

録音もいいのも素晴らしい点で、ハイレゾじゃないとどうしてもブルックナーなどは高音やフォルティシモの伸びがどこか縮こまる部分があり、電気的な点も散見されるのですが、この録音では電気的な部分は仕方ないにせよ、高音部やフォルティシモの伸びが自然で、音に包まれるかのよう。もちろん、ハイレゾ対応のスピーカーで聴いているからかもしれませんが、いずれにせよ、レコーディング・エンジニアのセンスも見事です。デジタル時代はいかに自然さを損なわないかが大切なのですが、その自然さがよく出ている録音です。

ブルックナーのような長い曲であればあるほど、如何にリズムと和声に気を使い、録音は自然さを損なわないかがカギだと思いますが、そのすべてにおいて素晴らしい一枚だと思います。

 


聴いている音源
アントン・ブルックナー作曲
交響曲第5番変ロ長調(1875~78年原典版
ギュンター・ヴァント指揮
ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:アラウが弾くショパンノクターン集2

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。2回シリーズのアラウが弾くショパンノクターン集、その第2集です。

第2集は後半の第12番から第21番までが収録されています。第20番は正確にはノクターンではないようですが、それでもアラウは見事に歌い上げます。

ピアノで「歌う」・・・・・これ、簡単な様で本当に難しいことだと思います。特にピアニストと話をすると、やはり叩けば音が出るから、という意見が多く寄せられます。それはそうですよね、ピアノという楽器は弦を叩く楽器ですから、鍵盤を叩けば音が出るんです。

しかし歌はそうはいきません。人間の声は息と声帯の震えによる物理現象があって初めて音が出ます。叩けば音が出るというのとは異なる複雑な仕組みです。いや、声帯を震わせるという意味では単純ですが・・・・・

確かに、単に音を出すという意味では、声を出せばいいだけとも言えます。けれども、その声を出すために、声帯は何度震えるのでしょう。また、いったんは息を吸わなくてはなりません。そういったプロセスを踏んで初めて人間が出す息は音になるのです。

そう、つまりは、ピアノは叩くというプロセスだけで音が出ますが、声はまず息を吸って吐く、という二つのプロセスを経ないと音にならないのです。だからこそピアノ演奏は時として力任せになります。それはそれでピアノ演奏の一つの魅力です。それが超絶技巧です。

しかし、ショパンは超絶技巧という道を選ばなかったのです。それはショパン自身の事情もありましたが、むしろ抒情的で歌う作品へと傾倒しました。

だからこそ、ショパンピアノ曲は私は歌ってほしいんです。ショパンは祖国ポーランドや移り住んだ父の祖国フランスなどで、様々な経験をして想いを持つわけで、その「想い」というものを大事に演奏してほしいなと常々思っているからです。

さすれば、自然と私は歌いだすのではないかという気がするんです。ショパンにどれだけ共感できるか、そこに自身を投影できるか、あるいは自分の歌として咀嚼できるか。そういった点がショパン演奏には大切ではないかという気がします。

アラウはベートーヴェンでも抒情的な演奏をしましたが、このショパンではもっと顕著ですし、第2集ではさらにヒートアップ。情熱的ともいえる演奏です。かといって超絶技巧ではなく、しっとりと歌い上げる。それがたまらく私の胸を締め付けます。苦しかったでしょ、フレデリック・・・・・

私の魂にはショパンへの共感が満ち溢れます。その媒介をしてくれるのがこのアラウの演奏です。もしかするとここはアラウも泣いているんじゃないかと感じる瞬間すらあります。演奏者と聴衆がともにショパンと対話し、共感する・・・・・そこに仲間がいるように思うのです。

ショパンが演奏したのはほとんどサロンという仲間が集まる場所です。貴族のサロンとは単に貴族が自分を良く見せようとするだけではなく、仲間と語らう場所を意味します。ですから後期ロマン派~印象派の時代には、市民のサロンもできるわけです。ショパンがサロンを好んだのは、健康のせいだけではなく、そこに仲間がいたからと言えるでしょう。

アラウが弾くショパンノクターンは、そんなショパンの仲間たちの語らいや機微が見えてくるようです・・・・・

 


聴いている音源
フレデリック・ショパン作曲
第12番ト長調作品37-2
第13番ハ短調作品48-1
第14番嬰ヘ短調作品48-2
第15番ヘ短調作品55-1
第16番変ホ長調作品55-2
第17番ロ長調作品62-1
第18番ホ長調作品62-2
第19番ホ短調作品72-1
第20番嬰ハ短調 遺作
第21番ハ短調 遺作
クラウディオ・アラウ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:アラウのショパンノクターン全集1

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介します。今回から2回シリーズで、アラウが弾くショパンノクターン全集をとりあげます。

ショパンピアノ曲に関しては、県立図書館にてアシュケナージが弾いたものを借りてきています。けれども、アシュケナージも天才ではありません。どの曲も私の好みに合うというわけにはいきません。とはいえ、それはそれで素晴らしい演奏ではあるんですけどね・・・・・

そこで、小金井市立図書館の棚で見つけたのが、アラウのノクターン全集だったというわけです。フィールドが創始したノクターンは、ショパンによって広まったと言っていいでしょう。そのショパンの代表ジャンルともいうべきノクターンを、アラウはどう弾くのか、わくわくして借りた記憶があります。

さて、まず第1集。番号順に並んでいまして、第1番から歌う歌う!最も有名ともいうべき第2番も歌いまくる!アコーギクを存分に使ってまるでポルタメントのようにピアノを歌わせるんです。いんやー、これぞ私の待っていたショパンだ!

ピアノの「詩人」とショパンは言われますが、とはいえ彼は決して詩を読んだのだろうかと思うんです。いろんなことを抱えながら生きたショパンは、詩ではなく歌を残したのではと私は思っているんです。ですからちょっとだけするりと抜けていくアシュケナージではなく、このアラウの演奏のほうが好みです。

多分、覚えておいでの読者の方もいらっしゃるかもしれませんが、アシュケナージのを取り上げたとき、いつかほかの演奏者のを買うか借りてくるかすればいいだけだと述べたことがあったかと思います。実はこの全集はその宣言を実行に移したものなんです。アラウは以前、モーツァルトのピアノ協奏曲やベートーヴェンのピアノ・ソナタを借りてきていますが、その演奏で好きなピアニストの一人です。ですからこの音源を借りたというわけですが、少なくともこの第1集に関しては大正解だったといえるでしょう。

私はショパンは「詩人」ではなく「歌人」だと思っています。いわゆる歌詠み人です。あるいは俳人か。だからこそ、存分に歌ってくれるアラウの演奏は、適度に酔わせてくれます。いいわ~💛

ショパンの喜怒哀楽が、まるで万華鏡のように音で迫ってくる・・・・・アラウの演奏は、彩り豊かです。

 


聴いている音源
フレデリック・ショパン作曲
第1番変ロ長調作品9-1
第2番変ホ長調作品9-2
第3番ロ長調作品9-3
第4番ヘ長調作品15-1
第5番嬰ヘ長調作品15-2
第6番ト短調作品15-3
第7番嬰ハ短調作品27-1
第8番変ニ長調作品27-2
第9番ロ長調作品32-1
第10番変イ長調作品32-2
第11番ト短調作品37-1
クラウディオ・アラウ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。