かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:春の海〜箏の名曲

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリを御紹介しています。今回は、「春の海〜箏の名曲」と銘打ったアルバムを御紹介します。とは言え、実の内容は宮城道雄作品集、なのです。

前回ご紹介したものが、宮城道雄の至芸、つまり演奏であるのに対し、このアルバムは宮城以外の演奏者達によって収録された「作品集」なのです。

とは言え、宮城というのは一つの流派です。ですので、このアルバムでも、宮城姓の演奏者達が演奏しています。その意味では、宮城道雄をリスペクトする演奏家達による名演集でもあります。

宮城道雄の作品が一つのクラシック音楽であるとみると、ここに収録された全ての作品はまさに、日本の新古典主義音楽だと言っていいものが並んでいます。お正月によく聴く尺八バージョンの「春の海」や、さくら変奏曲、数え歌変奏曲などは古典的な作品だと言えますし、瀬音や水の変態にはドビュッシー象徴主義からの影響が強く見られます。また、「さらし風手事」は、象徴主義的な部分と新古典主義音楽的な部分とが融合した、箏の大検校宮城らしい作品だと思います。

また、ステレオ録音なのも、宮城の作品の細部も聞き取れるのでいい点ですが、かといって、演奏がモノラルの自演よりいいのかと言えば、必ずしもそうとは言えません。例えばその代表が瀬音で、日本的で美しいのですが、どこか生命力は退行しています。その点、モノラルながらも宮城道雄の自演は、生命力あふれる、誠に人間を感じるものです。水が流れる音を表現したはずなのに、どこかその水に精霊でも宿っているかのようなのです。その点がこのステレオ録音では薄いのが残念です。

それ以外は、例えば落葉の踊りなどは情熱的ですらありますし、「さらし風手事」には感情もいっぱい詰まっています。どうも「日本的」となってしまうと、本来作品が持つ普遍的な生命力がどこか行ってしまい、「日本的美」というものだけが独り歩きするような気がします。勿論日本人の作品であり、日本人が演奏し、しかも日本の伝統楽器なのですから日本的美を追い求めるなとは言いません。けれども、私たち日本人も、人類という種の一つなのです。であれば、普遍的な人間的な部分もあって当然です。宮城道雄が盲目だったからこそ紡ぎだした、人間としての世界をもっとしっかり表現してもよかったなあって思います。その意味では素晴らしい部分もある一方、残念なアルバムでもあります。

今後、邦楽器の人たちには、宮城の作品に如何に人間性を入れ込んでいくのかを、是非とも挑戦し続けてほしいって思います。




聴いている音源
宮城道雄作曲
�@春の海
�Aさくら変奏曲
�B瀬音
�C落葉の踊り
�D数え唄変奏曲
�Eさらし風手事
�F水の変態
宮城喜代子(箏、�@・�E(低音)・�F(替手)、三絃�C)
宮城数江(�A(第一箏)・�B・�C・�D・�E(高音)・�F(本手、歌))
二世 青木鈴慕(尺八)
菊池悌子(十七絃、�A・�B・�C)
小橋幹子(第二箏、�A)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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