かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:鉄オタクラシック オーケストラ編

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回は鉄道に関する作品が収録されている音源をご紹介します。その名を「鉄オタクラシック」。

え、またスーパーベルズなどが出ているんじゃないの?と思うかもしれませんが・・・・・

随分前から、私はドヴォルザークは「鉄」であり、作品に反映されているのではと述べていますが、それをある程度裏付ける作品たちが収録されているのが、この音源になります。そして借りた理由こそ、この作品にはドヴォルザークの「ユモレスク」が収録されている点と、わたし自身が「鉄」であるからでした。

この音源は多くの作曲家の作品が一堂に集められており、その上で一人の指揮者と一つのオケによる、本格的なアルバムであるということが特徴でしょう。つまり、このアルバムは決してお遊びではなく、むしろ真面目なのです。テーマは鉄オタというよりは、「音楽史において、作曲家達は如何に鉄道を取り上げて、表現してきたか」、です。

一番最初に収録されているロンビは、収録されている「コペンハーゲン蒸気鉄道(1847年作曲)」によって有名な作曲家です。ヨーロッパ本場の音楽家たちの目によって、珠玉の作品が集められているアルバムであることが、この作品一つで判るのです。

これらの作品は、実はベートーヴェンの「田園」などの標題音楽にその源流をたどることができます。あるいはヴィヴァルディの「四季」です。鉄道という標題を表現しているわけですから。特に、ドヴォルザークの「ユモレスク」以外はまるで田園の第2楽章や、「四季」の「夏」のようです。SLのドラフト音をかなり忠実に表現しているロンビやレブエルダス、そしてダンティ、エドゥアルド・シュトラウスなどの作品、ユモレスクのようにこれから旅行へ行く喜びを表現したものなど、考えてみれば私が鉄道に乗った時に感じる心の内側そっくりです。

そう、これらの作品は、それぞれの作曲家たちが鉄道を一つの風景の一部としてとらえ、その上で最大限表現しようとした結果です。それは他のクラシックの名曲と何ら変わりません。しかしながら、その地位は多少低く抑えられていると言ってもいいでしょう。ドイツ音楽は精神性だ、いや、それは間違いでフランス音楽こそエスプリが効いていて素晴らしい・・・・・

私からすれば、それはどちらも一面的で、生産性がない聴き方だと思います。ドヴォルザークシュトラウス、そしてロンビなどはむしろドイツ音楽系です。そしてレプエルダスは新古典主義音楽に連なる作曲家だと言えるのでフランス系だと言えますし、最後を飾るオネゲルに至ってはバリバリのフランス人です。そこに何の差がありましょうや。

勿論、作品によってはたんなる風景の一部として切り取るのではなく、そこに人間が鉄道に対してどのような感情を持っているのかまで表現されている作品もあります。ダンティの作品には旅情が感じられます。それは鉄道が走っている風景を遠くから見ながら、そこに美しさを感じているからこその表現だと言えるでしょう。

SLに限らず、鉄道が走る風景はなぜか美しい風景が広がります。その「美」をいかに表現し得るかに挑戦することは芸術家としてごく自然なことです。このアルバムにはそのごく自然なことが、ごく当たり前に収録されています。

私としては初めて知る名前もありますし、すでに知っている名前もありますが、このアルバムを借りてからその後音楽を聴いた作曲家の中に、ダンティがいますし、レプエルダスがいます。ヴィラ=ロボスは実は某SNSのコミュですでに取り上げられており、以前から作品が欲しいと思っていたところで、すでに「今月のお買いもの」コーナーで取り上げている「ブラジル風バッハ」を買うきっかけになったのです。収録されている「カイピラの小さな列車」は「ブラジル風バッハ第2番」の1曲です。

今月のお買いもの:ヴィラ=ロボス ブラジル風バッハ全曲1
http://yaplog.jp/yk6974/archive/998

すっとこういった作品が並んでいることからも、ヨーロッパ本場のクラシック音楽に対する知識、そして聴き方というのは、日本人である私たちとは異なると言えるでしょう。先日、FBで日経BPにかつて載った、クラシック音楽の本場の聞き方というのが載っていましたが、このアルバムを聴けばその聴き方がなんと一面的であるのかを知るでしょう。近代とは、かつて貴族のものであった芸術が広く庶民へと広がって行った時代であり、だからこそ高級レストランへ行き高い料理を食べて寝ることだけが本場の聞き方ではないことが、こういったアルバムは教えてくれるのです。

さすが神奈川県立図書館!こういった音源を保有していることこそ、本当に存在感のある素晴らしいことでしょう。

指揮しているスターレクは実は父親が鉄道マン。だからこそ起用されたというのも粋ですが、そのこと自体が、「クラシックにはワイン」などということが一面的であること、そして歴史的には芸術が貴族から庶民へと担い手が移っていくことを示しているのです。わが国も、江戸時代に同じ経験をしているはずですが、「歴史は近代を言う」みたいな修正主義がはびこったことで、見えなくなっているのでしょう。残念なことです。スターレクは実にステディな解釈を示すとともに、ポルカ「観光列車」に置いては、さすが父親が鉄道マンというように、駅間が長いその区間をゆっくりと走る各駅停車として描いています。ブックレットでは「高速列車のような演奏もあって」と他の演奏を否定するような記述もありますが、それはヨーロッパの鉄道をあまり知らない書き方だと思います。

ターレクが起用されたのは私は、鉄道を知っているという一点だと思っています。例えば、ヴィラ=ロボスの「カイピラの小さな列車」は、ブラジルのローカル線が舞台ですから、それほどスピードは速くないですし、だからこそテンポはゆっくりしているわけで、他の演奏もそうなっているわけですが、恐らくスターレクは他の演奏がそうだからではなく、ヴィラ=ロボスが表現しているのはローカル線の普通列車なのだから、テンポ指定もそのようになっているという解釈からゆったり目にしているはずです。それがポルカ「観光列車」のテンポに如実に出ているのです。そこにこそ、私は注目します。さすが鉄っちゃん!と喝采します。ただ、高速列車のようなテンポもアリなのです。実際、ヨーロッパの鉄道は日本よりもハイスピードです。観光列車だとしても、ハイスピードという解釈はアリです。ただ、スターレクは豊富な鉄道の知識から、ゆったり目のテンポを選んだと言う事です。そこにこのアルバムの味わい深い点があるのですね。

つまり、此のアルバムは、スターレクとしては、ドヴォルザークは鉄というのは当たり前な話であって、ただ、入れるとしたら交響曲が中心になってしまうからこそ、ドヴォルザークの内面を表現する作品として「ユモレスク」が入れられたということ、つまり、「ドヴォルザークは鉄」ということが知られており、その趣味が音楽に投影されていることが、クラシックファンの間では共通認識となっていることを、私に現地へ行かずに教えてくれたアルバムなのです。感謝するしかありません。やはり、私の見立ては間違っていなかったのです。こんなうれしいことがありましょうや!




聴いている音源
鉄オタクラシック オーケストラ編
�@コペンハーゲン蒸気鉄道(1847、ハンス・クリスチャン・ロンビ作曲)
�Aジョン・ヘンリー、鉄道のバラード(1940、アーロン・コープランド作曲)
�B出発進行!列車は通過した(アロイス・パッヒャーネグ作曲)
�C地下鉄〜交響組曲「パリ」より(1931、ジャック・イベール作曲)
�D緑の水平線、ファルコナーラ〜交響組曲「海辺の歌」より(1921、ヴァンサン・ダンディ作曲)
�Eテープは切られた!(エドゥアルト・シュトラウス作曲)
�Fユモレスク(アントーニン・ドヴォルジャーク作曲、ボフスラフ・レオポルト編曲)
�Gカイピラの小さな列車(1930、エイトル・ヴィラ=ロボス作曲)
�H蒸気をあげて!(1872、エドゥアルト・シュトラウス作曲)
�I鉄道敷設(1938、シルベストレ・レプエルタス作曲)
�J鉄道のフーガ〜抒情劇「アメリカ紀行」より(1932、ヒルディング・ルーセンベリ作曲)
�K観光列車(1864、ヨハン・シュトラウス2世作曲)
�L地下鉄乗車と空想のコニー・アイランド〜ミュージカル「オン・ザ・タウン」より(1944、レナード・バーンスタイン作曲)
�Mパシフィック231(1923、アルテュールオネゲル作曲)
イジ―・スターレク指揮
SWR南西ドイツ放送管弦楽団カイザースラウテルン

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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