かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ラインケン 鍵盤作品全集3

今月のお買いもの、平成28年6月に購入したものを御紹介しています。シリーズでお届けしている、ラインケンの鍵盤作品全集の、今回は第3集を取り上げます。

3枚組の3枚目ですから、此れが全集の中では最後になるわけですが、この第3集ではいきなりオルガン作品が第1曲に収録されているのが印象的です。コラール幻想曲の「如何なる辛苦が我らを襲えども(Was kann uns kommen an für Not')」です。

ラインケンのオルガン作品は、この作品もそうですが、バッハの壮麗さを予感させる作品が多いのですが、かといって圧迫感がありません。バッハの作品は圧迫感があるというか、そういう演奏が多いのですが・・・・・・

実際、バッハであっても、つかうオルガンで全く違うのです。出来ればバッハのオルガン作品は、二つか三つの音源を持っておくといいと思います。バッハの作品を圧迫感があるものにするか、そうでなくするかは全て、演奏者にゆだねられていることを発見する筈です。

それを知りますと、この最初の作品を聴くだけで、バッハがどれだけラインケンを尊敬していたかが分かりますし、バッハはこれら先達達の遺産を受け継いで、バロック最終期において出でた巨匠であったことをはっきりと認識することでしょう。

それ以外の作品はチェンバロ用ですが、装飾音が同じようにバッハではオルガン作品でもついているということを、このチェンバロ作品で発見することができれば、皆様の知識は豊かになり、音楽を聴くときに囚われがなくなり、自分の魂とどれだけ共感できているかにフォーカスすることができるかと思います。

バロック時代とは、同じ作品を様々な楽器で楽しむという時代でした。その楽しみを根底に置きますと、自由自在になります。まだまだ音楽が庶民のものではなく、自由に芸術に触れることができる時代ではなかったにせよ、萌芽ははっきりと見受けられるのです。ラインケンの作品たちは黙して語っています。

こういった作品がワゴンに残っていたことは奇跡だと思いますが、それだけまだまだ日本ではバロック音楽の楽しみ方が、バッハの精神性だけなんだろうなあと思いますと、残念です。バッハも精神性というよりは、霊的(魂)という部分にフォーカスしているように私には見受けられるのですが・・・・・

演奏者ステッラは、チェンバロであってもオルガンであっても、作品が持つ華麗さを失わせることがありません。それがオルガンにおいて顕著な「圧迫感がない」という点に繋がっています。あのバッハの重厚な分厚い「音」を要求してしまう人には物足りないのかもしれませんが、果たして、それはもともとバッハや、ここでいえばラインケンが作品に反映させたい点だったのだろうかと、聴き進めるたびに思います。

バロック時代は確かに、マウンダー極少期に重なっていますから、音楽に影の部分もありますが、決して明るい部分がなかったわけではありません。むしろ、亡くなった人を悼むため、必死に明るく振舞おうとしつつ、それをいかに手放すかに、果敢にチャレンジしていった時代だと思っています。ステッラは充分にラインケンの「チャレンジ」を、鍵盤上でやって見せています。

この全集はまさに、バッハの音楽の本質を知るための素晴らしいテキストであるように思います。ラインケン、今こそ再評価されるべき作曲家であるように思います。




聴いているCD
ヨハン・アダム・ラインケン作曲
コラール幻想曲「如何なる辛苦が我らを襲えども」
組曲第4番ハ長調
オランダのナイチンゲールに基づく変奏曲 ハ長調
組曲第2番ハ長調
組曲第3番ハ長調
トッカータト長調
シモーネ・ステッラ(チェンバロ、オルガン)
(Brilliant Classics 94606-3)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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