かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ 作品集7

今月のお買いもの、平成28年1月に購入したものをご紹介しています。シリーズでカール・フィリップエマヌエル・バッハの作品集を取り上げていますが。今回はその第7集を取り上げます。

10集ある中のやっと7集までやってきましたが、ここで初めて声楽が登場します。それは第2曲目の「フィリスとティルシス」です。

この「フィリスとティルシス」は、第7集に収録されている作品の中では一番年代が新しい作品になります。他はWq147が1731年(1747年改訂)、Wq140が1748年、Wq81が1758年出版(つまり、作曲はそれ以前)、そしてWq143が1731年(1748年改訂、Wq147と同じ)となっており、フィリスとティルシスのWq232は1765年なのですから。

http://t-yoko.sakura.ne.jp/cpe_bach.html

確かに、カンタータ以外は作風は古風で、いかにもバロックという作品になっています。改訂もまだ父ヨハン・セバスティアンが生きている時代であり、もしかするとコレギウム・ムジクム(ヨハン・セバスティアンが設立した世俗曲演奏のための団体)で演奏するための作品であった可能性もあります。

で、フィリスとティルシスも音楽的には同じような様式を持っていますが、父ヨハン・セバスティアンと異なるのは、その題材がヨーロッパでは広く使われているギリシャ神話の神々の愛のうたであるという事なのです。

父ヨハン・セバスティアンの時代までは、あまりギリシャ神話を扱うことはなく、むしろもっと世俗的であったり、もっと教会よりであったりしたわけです。それがこのWq232ではがらりと変わり、父の代では取り扱わなかった題材を扱っているのです。

ここに時代を感じるのです。このカンタータが作曲された1765年とは、父ヨハン・セバスティアンがなくなってから15年たった時代であり、ハイドンが活躍し始める時代になります。つまり、古典派なのですね。そんな時代に作られたカンタータであるということを念頭に置く必要があります。

この後、カンタータは必ずしも宗教的なものにはならず、むしろヨハン・セバスティアンの時代であれば世俗カンタータと言える作品がカンタータの主流になっていきます。モーツァルトベートーヴェンの「カンタータ」はまさしく、このカール・フィリップの様式を古典派へと変化させて作曲したと言えるでしょう。つまり、彼ら二人のカンタータはバッハよりもむしろ、息子カール・フィリップを受け継いだと言えるわけです。ただ、その源流はヨハン・セバスティアンにある訳で、それが「世俗カンタータ」であるわけです。

このカール・フィリップのものは、ギリシャ神話を扱うことで、父ヨハン・セバスティアンの教会カンタータ世俗カンタータを融合させたものとも言えるでしょう。その意味では、カール・フィリップは父ヨハン・セバスティアンを超えたとも言えると思います。わずか7分ほどの短い、また編成もフルート2本に通奏低音という小さなものですが、その音楽史的意味は大きいと思います。

そのためか、このカンタータを中心に据えたアルバムは多いようで、検索しますと意外にこの「フィリスとティルシス」はヒットします。ただ解説はなくてアルバムがヒットするのですが、それでもこの作品が演奏家の間では重要な位置を占めることが見て取れます。

私もこのカンタータの特徴を知るには、様々な検索をした結果たどり着いたのでして、簡単には行きません。出来ればこれは国内盤で買ったほうがよかったかもと思います。歌詞が分からないので。ただ、聴こえるドイツ語の幾つかから想像しますと、やはりギリシャ神話に基くものだと判断できます。

ピュリス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%B9

特にこのカンタータの内容を知るために役立ったのが、同じ時代にハイドンが作曲した作品の歌詞でした。さらには、1700年代にはクレランボーも作曲をしている題材で、そこからある程度類推できます。

『イリスの勝利』

Le Triomphe d'Iris
http://rousseau.web.fc2.com/jopera/jiris.htm

こう見てみると、意外とこのギリシャ神話を扱う伝統がヨーロッパにはあることが分かります。ヨハン・セバスティアンはトーマス・カントルであったからこそその呪縛があったのでしょうが、息子カール・フィリップにはむしろなかったことが、こういった作品を作曲するのに大いに役立ったことでしょう。それによって不利益も蒙ったでしょうが、それはむしろ次に来る古典派の時代、ベートーヴェンのスタンスを支持するものになったでしょうし、そればロマン派の時代になれば、作曲家の自立ということにつながっていく契機になったとも言えます。

カール・フィリップはドイツにヨーロッパの、つまりイタリアやフランスの伝統を持ち込むことに資力した人であったと言えます。父ヨハン・セバスティアンは主に舞曲でそれに取り組んだ人であったとすれば、息子カール・フィリップはさらに父が役職故取り組めなかったことに取り組んだ人であったと言えるでしょう。こういう親子関係は素敵だなと思いますし、それは多分にカール・フィリップに依っていたと言えるでしょう。これからの日本社会に是非とも必要なプログラムの一つとして、是非ともカール・フィリップの作品を選んでほしいなと思います。

その他の室内楽も素晴らしいものばかりで、後の「ソナタ」成立に大きな役割を果たしていると思います。

演奏面では、古楽演奏ですのでフルートはフラウト・トラヴェルソになっているのが特徴ですが、一見しますと近代フルートかと聴こえる部分もあります。よく聴きますとトラヴェルソだと気づくのですが、こういった点は古楽演奏がすっかり普通になっているのだという事と、そのレベルがモダンと比べ遜色ないことを意味しています。

その意味では、先日亡くなったアーノンクールの功績は大きいと言えるでしょう。古楽だけではなくモダンでも洗練された演奏は素晴らしく、モダンに古楽のスタイルを持ち込むことでモダンがより洗練され、素晴らしい演奏が数多くなされたことが素晴らしいと思います。古楽とモダンが切磋琢磨し、お互いが良いものになっていく様は見ていて爽快でした。演奏自体も壮快なものが多く、古楽というよりも古典派、特にモーツァルトオーソリティとして古楽、モダンの相互乗り入れを実現した人だったと言えるでしょう。それは古楽演奏のレベルが上がらないと難しかったことでしょう。

この演奏を聴きましても、アーノンクールがまいた「種」が発芽し、みごとに花開いている様子が見て取れます。古楽だからと言ってやたらテンポは速くなく、どっしりとしつつもきちんと「跳ねて」おり、それがリズム感をよくし、べったりとせず生き生きとした躍動感を持っていることが素晴らしいです。古楽演奏は完全に新たなフェーズに入ったと言えるでしょう。

その「新たなフェーズ」がごく当たり前に行われているのが、この演奏だと言えるでしょう。




聴いているCD
カール・フィリップエマヌエル・バッハ作曲
フルートとヴァイオリン、通奏低音のための三重奏ハ長調wq147
カンタータ「フィリスとティルシス」Wq232
フルートとヴァイオリンのための二重奏Wq140
2つのフルートと2つのヴァイオリンのための12の小品wq81
フルートとヴァイオリン、通奏低音のための三重奏ロ短調wq143
ロスマリー・ホフマン(ソプラノ)
ニゲル・ロジェス(テノール
ハンス=マルティン・リンデ、クリストフ・ハントゲバース、ウィルバート・ハザレット(フラウト・トラヴェルソ
ヤップ・シュローダー、ベアトリクスランドルフ(ヴァイオリン)
フォーゲ・カルライ(チェロ)
ロルフ・ユングハンス、アンドレアス・シュタイアー(フォルテピアノ
(deutsche harmonia mundi 88843021622-7)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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