かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:リスト 交響詩全集1

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回から5回にわたってリストの交響詩全集を取り上げます。元音源はブリリアント・クラシックスになります。

リストはピアニストとして有名ですが、管弦楽作品もかなり書いています。その中でも有名で教科書にも出てくるのが、「前奏曲」でしょう。前奏曲と言ってもオペラのだとか、或はピアノ作品のそれではありません。「交響詩」の、です。

以前、ナクソス音源を同じ県立図書館所蔵CDのコーナーで取り上げたことがあったと思いますが、その時から、せっかくならば、リストの交響詩を全曲聴きたいと言う想いが強くありました。この全集を借りたのはそれを実現するためでした。

さて、リストはウィキの以下のページの様に、交響詩を書いています。

管弦楽作品
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7_(S.1_-_S.350)#.E7.AE.A1.E5.BC.A6.E6.A5.BD.E4.BD.9C.E5.93.81

このブリリアント・クラシックスの音源は、実はこの作品番号順に収録されています。つまりは、作曲順なのですね。

そこで目につくのは、実はいきなり第1集で「前奏曲」が収録されているという点です。なんと、前奏曲は意外にもリストの交響詩の中でも初期の作品であるという事に気が付かされるのですね。

前奏曲を書く前には、2つの交響詩があり、それが第1曲の「山の上で聞く」(山岳交響曲)であり、第2曲目の「タッソ」であるのです。

人、山の上で聞きしこと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E3%80%81%E5%B1%B1%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%A7%E8%81%9E%E3%81%8D%E3%81%97%E3%81%93%E3%81%A8

タッソー、悲劇と勝利
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%83%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%80%81%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%81%A8%E5%8B%9D%E5%88%A9

前奏曲 (リスト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2_(%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88)

前奏曲が「人生は死への前奏曲」という言葉から取られていることで有名で、ともすれば情景描写ともとられがちですが、第1曲目と第2曲目にもそのような要素があります。しかし題材はいずれも詩であったり、戯曲であったりと、文学作品であることが多いのです。

リストはベートーヴェンを尊敬していましたから、管弦楽作品においてはベートーヴェン的な重厚で、荘重かつ感動的な作品が多いのが特徴です。それはある意味、ピアニストとしてのリストが超絶技巧へと走ったのと同じ根っこを持つように思います。堂々として、音が複雑に絡み合いあいながら、構築されていく世界・・・・・

3つの作品はいずれも、複雑に絡み合いながらも、一つの世界を構築していきます。「山の上で聴く」は2つのセグメントがありますし、タッソーも悲劇と勝利という対立するセグメントが使われていますし、前奏曲では5つの部分が人生という一つのテーマを語るという構成を採っています。

古典派のような形式美はありませんが、二つが一つを構成するなど、構造的に全くの自由という形ではありません。しかしそれでも、形式美の束縛からは解放され、人間の内面を描くのに成功しています。ですから一見すれば、情景描写のように取られても仕方ない部分があります。

そもそも、私がリストの交響詩が聴きたいと思ったきっかけは、音楽鑑賞の時間に置いて「前奏曲」を聴いたからでしたが、この全集の、しかもこの第1集においていきなり、リストの交響詩の本質がズバリあらわされていると言えましょう。それはロマン派に至って顕著になった、他の芸術とのコラボレーションによる、人間の内面描写であるという事です。

そのためには、交響曲のような楽章形式を、一旦棚上げにする必要があったとなれば、交響詩がなぜ単一楽章なのかが、よく分かるように思います。それまで、音楽において楽器だけで奏される「詩」はなかったわけです。このリストが創始したジャンルは、まさしくリストが目指した楽器だけの「カンタータ」であると言えるでしょう。その意味では、この3つの作品の中には、バッハが息づいているとも言えるかと思います。

演奏は前奏曲が多少ドラマティックさに欠けるので、実はナクソス音源に比べると物足りない点もあるのですが、かといって「山の上で聴く」や「タッソー」がドラマティックではないかと言えばそうではありません。むしろ、感情が一旦棚上げになるからこそ、リストの交響詩の本質は何であるかが、よく分かる演奏になっていると言えましょう。

感動する演奏もいいと思いますし、それを否定しませんが、リストの時代の作品は、感動することだけがいいとは思えないなあと、私は思うのです。まあ、それでも、やはり「前奏曲」にはそれなりのドラマティックさを求めてしまいますが・・・・・・

それが私というものなのでしょうねえ。




聴いている音源
フランツ・リスト作曲
交響詩「山の上で聞く」(山岳交響曲
交響詩「タッソー 嘆きと勝利」
交響詩前奏曲
アルパド・ヨー指揮
ブダペスト交響楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村