かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ドヴォルザーク 交響曲と協奏曲集1

神奈川県立図書館ライブラリ、今回からドヴォルザーク全集の中から、交響曲と協奏曲を取り上げます。まずは交響曲第1番。ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏です。

え、すでに取り上げているのにまた?という方もいらっしゃると思いますが、それはそれで素晴らしい記憶力で尊敬します。確かに、取り上げています。

マイ・コレクション:ノイマンのドヴォ1
http://yaplog.jp/yk6974/archive/620

全く同じコンビですもんねえ。そういわれるのも当然かと思います。

しかも、ドヴォルザーク交響曲全曲に関しては、すでに同じコーナーで主にスウィトナー/シュターツカペレ・ベルリンを取り上げているという・・・・・

でも、なんです。ドヴォルザーク交響曲と言えば、セル/クリ―ヴランドか、ノイマン/チェコ・フィルというのは、ある意味鉄板ですよねえ。それを借りないって言うのもねえ。

ということで、借りたのがこの音源をはじめとする、ドヴォルザーク全集のCDだった、という訳なんです。

ノイマン/チェコ・フィルというコンビは、いくつかドヴォルザーク交響曲全集を収録しています。この全集がいつの録音かは、借りてきたときには記載がなかったのでわかりませんが、上記エントリで取り上げたCDとは幾つか異なるアプローチをしています。

基本的に、第2楽章と第3楽章は同じなのですが、第1楽章と第4楽章のテンポを逆にしています。上記エントリでは、全体的には疾走感があると書きましたが、この音源に比べますと少しゆったりとしたテンポとなっているのが特徴です。ところが、この全集の中のは疾走感そのものと言っていいでしょう。また、第4楽章は上記エントリでは疾走感あふれるテンポですが、この音源ではもう少し冷静というか、ゆったりとしています。

しかし、両方ともいえることは、テンポは決してのんびりではないということです。勿論、緩徐楽章はゆったりですが、それでもリズム感をしっかりと聴き手に意識させる演奏は、聴いていて爽快です。

ゆったりとした楽章で、壮快だと感じるのは素晴らしいのではないでしょうか。普通、それは急楽章で感じるものですが、それが緩徐楽章で感じるというのが素晴らしいのです。これはテンポ感に気を付けていないとなかなか難しいと思います。

それは、実はある仮説を私に想起させます。つまり、ドヴォルザーク交響曲を作曲するとき、常に鉄道のある風景が念頭にあったのではないか、というものです。

これは、以前から私がこのブログで述べていることであり、またこれは幾人かの音楽評論家の方も指摘している点ですが、この演奏を聴くとなぜか、私の頭の中には鉄道が浮かび上がってくるんです。

この第1番には「ズロニツェの鐘」という標題が付いており、しかもこれはドヴォルザーク自らが名付けたものです。ズロニツェというのはプラハ西方にある街で、ドヴォルザークが作曲を学んだ場所ですが、ウィキで調べますと興味深いことに、このズロニツェという町は、鉄道が中心をとおっている街なんですね。

交響曲第1番 (ドヴォルザーク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC1%E7%95%AA_(%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%AF)

Zlonice
http://en.wikipedia.org/wiki/Zlonice

ズロニツェの項目を見ていただきたいのですが、鉄道が町のほぼ真ん中を通っていることがお分かりでしょうか?もともとは中世に市場として栄えた町であったようで、そこに近代になって鉄道が通ったという歴史を持つようです。

特に私の興味を引いたのが、小さな鉄道博物館がある、という記述です。大抵こういった博物館というのは、元々車庫だったり、機関庫だったりということが多いのです。ウィキの記述ではそこまでの言及がないんですが、恐らく機関庫のある駅だったと考えられます。となれば、ドヴォルザークがズロニツェにいた時分は、四六時中蒸気機関車がいて、蒸気を吐き出していたという場所であったと考えるのが、鉄道史から言えば自然です。

ドヴォルザークがズロニツェに居たのは、12歳から15歳までの3年間ですが、一番多感な、そして人間形成の重要な時期です。そんな時期に蒸気機関車に触れたドヴォルザークが、最初の交響曲に鉄道のある風景を織り込んだとしても、何ら不思議はありません。そもそも、ドヴォルザークが「鉄」(鉄道ヲタクのことをそう呼びます)であったのは史実ですし、その原風景がズロニツェにあった、というように考えれば、なぜ「ズロニツェの鐘」なのかということまで考えが及ぶわけです。

この演奏では、そこにフォーカスしているように思います。特に、第3楽章スケルツォは、蒸気機関車の動きそっくりです。

これで、すっきりするわけです、なぜ、ドヴォルザーク交響曲を聴く比較的多くの人が、そこに鉄道の息吹を感じるのか・・・・・ドヴォルザークがもともと「鉄」であり、それを音楽、特に交響曲に織り込むことを宣言したのが、この第1番であり、だからこそ「ズロニツェの鐘」、つまり「鉄道を音楽に織り込むことを、鐘を鳴らすがごとく宣言した作品」であるから。

残念ながら、この作品はコンクールに落選して、その後スコアも行方不明になったわけですが、同姓の歴史家がどこかで手に入れ、持っていたことで、日の目を見ることになりました。

ノイマンは、この演奏では、鉄分たっぷりということを念頭に入れていたのかまではわかりません。しかし、「鉄」である私としては、念頭に入れているでしょ!と言いたくなるくらい、「鉄分(鉄道要素に富んでいること)」たっぷりだと思います。ヴァイオリンの使い方、通奏低音の音型など、蒸気機関車の所謂「ドラフト音」を表現したものとしか、聞き取れないからです。しかもこの演奏、特に奇をてらっているわけではありません。むしろ私好みの端整さを持っているのです。

それで、聴き手に鉄道を想起させるということは、多分にドヴォルザークがそもそも、楽譜に蒸気機関車の「音」を記載していると、考えるのが自然です。

やっぱりこのシリーズでも、鉄道との関係を考えることになりそうです。



聴いている音源
アントニン・ドヴォルザーク作曲
交響曲第1番ハ短調「ズロニツェの鐘」B9
ヴァーツラフ・ノイマン指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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