かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ドヴォルザーク スターバト・マーテル

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、実は前回からドヴォルザーク全集からいくつかをピックアップしてご紹介していますが、今回はスターバト・マーテルを取り上げます。

実はこれらを借りた時、ドヴォルザークの宗教曲をまとめて借りています。「幽霊の花嫁」もその時に一緒に借りていますし、このスターバト・マーテルもそうです。

この作品を借りたきっかけは、コア・アプラウスが取り上げると聞いたからでした。2010年の演奏会がレクイエムで、そのプログラムに来年(2011年)はスターバト・マーテルであると出ていたので、予習の意味で借りたのでした。

それが2月。そのほぼ一か月後、東日本大震災が発生したのです・・・・・

レクイエムと異なり、スターバト・マーテルドヴォルザークが実際に家族を失うという経験がきっかけになった作品ですが、その作品を借りた年に震災が発生し、さらにコア・アプラウスのプログラムでもあったということは、今となっては偶然だったのか、それとも天の計らいなのかは、私には判断できません。

スターバト・マーテル (ドヴォルザーク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB_(%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%AF)

コンサート雑感:コア・アプラウスの「ドヴォルザーク スターバト・マーテル」を聴いて
http://yaplog.jp/yk6974/archive/853

ただ、この音源を聴いていたからこそ、コンサート評で「力強くしなやかな点が素晴らしく、特に印象に残ったのは、第3曲「Eia, Mater, fons amoris(さあ、御母よ、愛の泉よ)」の「fac, ut tecum lugeam.(あなたと共に悲しませてください)」でして、facが力強く豊潤な色彩を持っていたことです。普通アマチュアであれば単に力任せになってしまうところが、きちんと悲しみが表現されているのが素晴らしかったです。」と書けたのです。

指揮はヴォルフガング・サヴァリッシュ、オケはチェコ・フィル。合唱団はチェコフィルハーモニー合唱団と、実力揃いの演奏ですが、決して単にドラマティックにしているのではなく、子供を失った深い悲しみ、もっと言えば「慟哭」というものを、時には力強さだったり、時には柔らかさだったりで表現し、ffからppまでを存分に使い分け、表現しています。

今にして思えば、この作品の歌詞と、そして付いた音楽を見る、聴くにつけ、私としては運命を感じます。その後私は石巻に行く機会が与えられ、同地で炊き出しと傾聴を中心にした被災者支援活動にしばらく従事することとなったのですから。

スターバト・マーテル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB

そこで見聞きした、被災者の経験談は、おそらくドヴォルザークがスタ・バトで表現している以上の、悲しみと言うほかはありません。それでも、被災者はドヴォルザークがこの作品を作曲しようとしたのと同様、悲しみを癒し、立ち上がろうとしています。

それでも、まだ心の傷が癒えず、苦しみの中にいる被災者も一定数いまして、所謂PTSDによる苦しみは、私達の想像をはるかに超えるものです。

今、私は他の仕事をしていて、多分もう被災地に行くことはないでしょう。けれど、もしドヴォルザークスターバト・マーテル石巻で被災者のために歌う機会が与えられるとしたら、馳せ参じようと思っています。勿論、予習にはこの音源を聴いて・・・・・

考えてみれば、チェコも歴史の上で、悲しいものを背負っています。第二次大戦以前は家電王国で、豊かな国であったのが、ナチスの進駐にあい、枢軸国側になり、敗戦後は共産圏となり、今度はソ連の抑圧下に置かれます。その代表的な抑圧が、「プラハの春」におけるソ連軍の進駐だったわけです。

演奏している人たちが、それを知らないわけはないのではと思います。勿論、この演奏がプラハの春のことを言いたいのではないですが、その経験が合唱団なり、オーケストラなりに影響を及ぼしていることは想像に難くありません。特に哀しみを表現する部分における、ドラマティックさだったり、力強さだったりは、慟哭という言葉が最もふさわしく、それは何かを失うという経験なしには、難しい気がするのです。

もし、この曲を、被災地で、しかも被災者が主体となって歌うのであれば、私はとてつもない経験になるのではないかと思っています。勿論、下手すればそれは被災者の心の傷をもう一度開くことにもなりかねませんが、自分のストーリーを再構成してみることも、臨床心理の専門家の間では必要であるとも言われています。それが本人の心の傷を癒すのだ、と。

泣くことも、非常に重要なのです。私はコラムで、「いつか音楽が必要になる時が来る」とかつて述べたことがあるかと思いますが、今、被災地は実際に必要なフェーズに入ったといえましょう。その時にふさわしいのは、元気が出る曲ではなく、まず、心の傷を癒すような曲ではないかと思います。

その意味では、ドヴォルザークスターバト・マーテルは、最適な作品なのかもしれません・・・・・・

神様は、もしかすると私に「この曲を被災地で演奏するボランティアなどをしてみれば」というつもりで、震災前に借りさせるよう仕向けたのかもしれません。できるか、わかりませんが・・・・・

しかし、その機会が与えられたなら、寝食わすれて、全力を尽くしたいと思います。



聴いている音源
アントニン・ドヴォルザーク作曲
スターバト・マーテル 作品58 B71
ガブリエラ・ペニチャコヴァ―(ソプラノ)
ドラホミラ・ティカロヴァ―(ソプラノ)
オルトレン・ヴェンケル(アルト)
ベノ・ブラフト(テノール
ぺテル・ドヴォルスキー(テノール
ラディスラフ・ムラーズ(バス)
ヤン・ヘンドリク・ローテリング(バス)
チェコフィルハーモニー合唱団(合唱指揮:ルボミール・マートル)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。



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