かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:黛敏郎 涅槃交響曲

今月のお買いもの、平成24年12月に購入したものをご紹介しています。今回は岩城宏之指揮東京交響楽団演奏による、黛敏郎の「涅槃交響曲」と、それに関連した「薬師悔過」がカップリングとして収録されているものを取り上げます。新宿ディスクユニオン新宿クラシック館での購入です。

え?何それ?っていう方も多いかと思います。特に黛さんの作品は彼の政治的スタンスから、あまり取り上げられることが少ないですし・・・・・・

黛敏郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%9B%E6%95%8F%E9%83%8E

まあ、バリバリの右翼さんです、はい。といってもですね、左翼系の人とも決して仲が悪いわけではなかったのです。実際、親族には朝日新聞に入社した人もいるわけですし。

私としては、気持ちのいい右翼さんという印象が強かったです。何よりも、どちらかといえば左翼である朝日新聞系のテレビ朝日系列で放送されている「題名のない音楽会」のメインパーソナリティを務めていたころ、毎年正月は準和様のプログラムで番組を構成していましたから・・・・・

それがいいかどうかは別として、スタンスがはっきりしていてなおかつ、だからと言って反対勢力をあまり攻撃しないその姿勢は、とても好感が持てるものでした。なので、けっして嫌いではありませんでした(だからと言って、積極的に支持もしませんでしたが)。

黛さんは作曲家として多くの作品を残していますが、私は一番の功績は、日本の芸術、特に声明や雅楽などをテレビで積極的に紹介していたことだと思っています。それが今、じわじわと日本の作曲家の再評価につながっていると言っても過言ではないと思っています。

その黛さんの代表作とも言えるのが、今回取り上げる涅槃交響曲なのです。

涅槃交響曲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%85%E6%A7%83%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2

恐らく、このウィキの説明を読んでどんな作品かすぐ分かる人は、特に後期ロマン派が特に好きな人であればあまりいないのではないかと思います。それは当然ですので何ら心配することはありません。一言でいえば、この作品は仏教の法要をオーケストラと合唱団によって表現したものだからです。

法要
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%A6%81

日本人に一番多い宗教が神道もしくは仏教と言われますが、江戸時代に檀家制度が確立されてから葬式仏教が主になってしまっているため、多くの方があまり想像できないと思うのですが、僧侶が読経をしながらたとえばご本尊の周りを回るなどの様子を、西洋楽器で表現してみたらというのが、この作品のコンセプトなのです。

私がこの作品に興味を持つきっかけになったのは、大学時代に何度も行った、東大寺二月堂の修二会の印象があるのです。

修二会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E4%BA%8C%E4%BC%9A

この法要の様子をつぶさに見た経験が、それから20年以上たって黛さんの「涅槃交響曲」に至らしめた、と言っても過言ではありません。勿論、修二会と涅槃交響曲で表現されているのは違うものなので全く一緒ではありませんが、実は「悔過」という点で共通します。涅槃交響曲で表現されているのは「薬師悔過」です。

悔過
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%94%E9%81%8E

例えば、葬式でいいので思い出してみてください。僧侶が読経を始めるとき、まず何から始めるか思いだせますでしょうか?鐘を鳴らすことからですよね。それが涅槃交響曲でいう「カンパノロジー 」です。

ですから、涅槃交響曲ではまずカンパノロジー が来て、その次に合唱団の読経が来る、という構成になっているのです。当然ですが、クラシックの王道である、後期ロマン派のような4楽章形式であろうはずがないのです。とうぜんですが、ソナタ形式でもありません。

言うなれば、オケが梵鐘であり、合唱団が僧侶です。それで想像できる方も多いかと思います。

最後の一心敬礼というのも、僧侶が手を合わせ祈る様子とオーヴァーラップしますし、とことん仏教の法要を表現した内容になっています。ですから、感動とか物語とかを求める方には、少し物足りないかな?という気がします。いっぽう、古美術に造詣が深い方であれば、法会などに参加する機会もありますので興味深い作品だと思います。

私はこの作品を聴いた時、懐かしさを感じました、あー、まるで「修二会」だー、と。勿論、前述しましたが修二会とこの涅槃交響曲で表現されている薬師悔過とは異なる法要ですが、「悔過」という点で共通するわけです。懐かしさを感じて当然ともいえます。

ただ、この作品は私はあくまでも西洋音楽として書かれているなと思います。なぜなら、最後が盛り上がって終るからです。ところが、実際の法要は盛り上がって終わるということはまずありません。静かに終わるのです。そこが唯一異なる点かと思います。まあ、西洋音楽のファンに向けて発表するとなれば、そりゃあ最後はある程度盛り上がらないと理解されにくいかなあ、という気もします。

しかし、最近のクラシック音楽では決して最後盛り上がらない作品も多いので、黛さんがもっと生きておられたら、もしかすると修正したかもしれませんね。

岩城さんと東響は佐藤眞の「土の歌」でも共演しているコンビですが、ステディな演奏をしています。純日本的な和声であるせいなのか、アンサンブルに崩れが見当たらず、完璧と言っていいほどの演奏になっています。特にカンパノロジーの部分はともすればごちゃごちゃになりかねないところを、しっかりと一音一音が浮き出る演奏になっているのはさすがプロ、といったところです。合唱団も読経部分をまるで僧侶のごとく表現していますし、作曲家立ち会いの下で収録されたとだけあって、その完成度は高いと言えましょう。

それを裏付けるのが、カップリングの「薬師悔過」です。演奏(というより、読経)は薬師寺僧侶。薬師如来を本尊とする法要が「薬師悔過」ですから、薬師寺がその総本山になるわけなので、薬師寺僧侶ということになるわけです。その僧侶たちの読経と、合唱団とを聴き比べてみると、実に合唱団ががんばっているのがよく分かります。読経独特の不協和音のアンサンブルなどが、十分表現されているのが一目瞭然です。それは勿論、オケにも言えることですが。

所謂、西洋音楽キリスト教グレゴリオ聖歌から出発していることを念頭に置いたこの仏教の読経を出発点にした「涅槃交響曲」。バッハなどが好きな方には意外とお奨めかな、と思います。不協和音さえ気にならなければ・・・・・

この作品も「新古典主義音楽」の延長線上ととらえることだって、可能なわけですから。



聴いているCD
黛敏郎作曲
涅槃交響曲
薬師悔過
岩城宏之指揮
東京交響楽団(涅槃交響曲
薬師寺僧侶(薬師悔過)
(DENON COCO-78839)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。



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