かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ラヴェル ピアノ作品全集2

今月のお買いもの、8月に購入したものをご紹介しています。今回はブリリアント・クラシックスから出ているラヴェルのピアノ作品全集の第2集です。

第1集を取り上げた時にも触れましたが、ラヴェルは日本では管弦楽作品のほうがより有名で、「音の魔術師」と言われることが多いのですが、実際はピアノ曲にも素晴らしい作品を残しています。

その中でも、特に有名なのが、この第2集に収録されている、「クープランの墓」です。

クープランの墓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A2%93

久し振りに、ウィキで素晴らしい解説に出会ったように思います。この作品は、ラヴェルの生きた時代というものを、しっかりと反映している作品です。

ウィキの説明で注目点は、ここです。

「フランスへの愛国心、大戦で散った友人達への追悼、そして母の伝えたバスクの血。ラヴェルはこれらすべてを織り交ぜて、友人達へのパセティックなレクイエムとしてこの曲を完成させ、それを通じて18世紀のフランスの音楽や伝統に敬意の念を表すことにしたのである。一つ一つの曲が『○○の追憶に』となっているのは、大戦で散った自らの友人達にそれぞれが捧げられていることを示し、またそうする事で一曲ずつ作曲するという18世紀の音楽作法にも従う形になっている。」

この作品は、完全な印象派でありながら、形式的にはバロックに範をとっています。これはまさしく、新古典主義音楽への扉を開くものです。

ドビュッシーにせよ、ラヴェルにせよ、フランスバロックの作曲家に範をとるということはよくなされていました。たとえば、ドビュッシーであればラモーですし、ラヴェルであれば「クープランの墓」のようにクープランであるわけです。そういった所謂「ドイツロマン派」以外に範を求めるという運動が、やがて印象主義をも駆逐して、新古典主義音楽を形成していくことになります。

新古典主義音楽
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%8F%A4%E5%85%B8%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E9%9F%B3%E6%A5%BD

つまり、ラヴェルの音楽は下降線を内包していた、とも言えるのです。新しいジャンルの登場でラヴェルの音楽が受け入れられなくなったことが彼の創作意欲を減じせしめた一因と言われますが、それは彼の創作姿勢というか、世の流れからすれば当然であったとも言えるのです。

20世紀の音楽があまり好まれない理由、そしてそれはかつての私もですが、それはおそらく、20世紀という時代が、こう複雑であるということに起因するのだと思います。それがまだかろうじてシンプルだった時代が、ラヴェルが活躍した時代までとも言えるかもしれません。

実際、クープランの墓以外でも、ラヴェルの音楽は和音は複雑でも、それが織りなす旋律は比較的シンプルです。第1曲目の「夜のガスパール」などがそうですが、不協和音が鳴りながらも、シンプルな旋律が、私たちを幻想的な世界へと導き、いろんな想像をかきたてます。

そもそも、絵画における印象派とは、作品対象をぼやかせることで、その場の「雰囲気」や「空気」といった、写真では決して表現できないものを表現しようとした芸術運動です。ラヴェル印象派ですから、「不協和音などを使って、何を表現しようとしているんだろう」と、あらんかぎりの想像力を働かせることが、印象派の作品を聴くときには必要だろうと思いますし、また、そうすることによって、作品が描こうとする世界に触れることになるだろうと思います。

そして、それを私たち聴き手はどう受け取るのか・・・・・そこが、印象派の作品の醍醐味だと思います。これは古典派とは少し異なる醍醐味だと思います。

古典派は、少なくともいろんな規則に縛らていますから、規則から生み出される造形美を味わうのが基本だと思います。印象派まで来ますと、規則を抜きにした「音楽そのものの美」を楽しむというように、古典派とは少し楽しむ視点が異なります。

しかし、共通しているのは、共に音楽であり、その美を楽しむことには変わりがないということです。そしてそれが、私たちを惑わすことにもなります。

この演奏を聴いていますと、特段ルバートをかけているわけではないのに、やはりどこかでルバートがかかっていたりします。それはおそらく、楽譜がそうなっているからでしょう。これが古典派であれば楽譜にそう書いていない以上は必ずルバートはかかりません。ただ、演奏者の判断で、つくことはあります。その演奏者の判断をどう受け取るかは、私たち受け手、つまり聴き手次第です。

それがごっちゃになる事があるんですね。それは多分に、現代という時代が複雑であるからなのですが、それが音楽となると、途端に訳が分からなくなるというのが、多くの方の印象でしょう。しかし、それこそが、現代音楽の魅力でもあるわけです。

以前であれば、そもそも印象派の音楽を、しかもピアノ作品を好んで聴くなどということはしなかったはずの自分が、今ではどっぷりとつかっています。それは明らかに、各時代の音楽というものの「ジャンルの力点」が分かって、その美しさはどこにあるのかが、明確であるからだと思います。そもそも、現代音楽は複雑なのだから、それを楽しんでしまえとなれば、特段難しいことはないわけなのです。

そう思い切ってしまいますと、この演奏からは、なんといろんな風景や美が見えてくることでしょうか!天上の神々の世界や下界の風景美、あるいは人の感情など・・・・・様々なものが混然一体となり、私たちに迫ってくる・・・・・

これぞ、印象派の音楽を「楽しむ」ということなのだなあと、教えてくれます。



聴いているCD
モーリス・ラヴェル作曲
夜のガスパール
ハイドンの名によるメヌエット
高雅にして感傷的なワルツ
前奏曲
・・・・・風に
組曲クープランの墓」
ミケランジェロカルボナーラ(ピアノ)
(Brilliant Classics 94083)



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